第三章⑪『襲撃』

 「ゆう、か……?」


 しかし、隣にいるはずの幽花はそこにはいなかった。

 今我に返ってみると、手を繋いでいた感触もいつの間にか雪のように消えていた。

 まさか、こちらに迫っていた気配にいち早く気付いて、知らぬ間に姿をくらましたのだろうか。

 辺りを見渡す要を前に、葉山も違和感に気付いた様子を見せる。


 「もしかして、やはり一人ではなかったんですか……?」

 「えっと……」

 「ちなみに、そのお友達の名前を伺っても?」


 葉山に打ち明けるべきか迷った。

 けれど昨夜に救われた恩や、この人に話せば色々な事が分かるかもしれないという思いから、要はようやく決心した。


 「花山院幽花です……今日はずっと彼と一緒にいました……」

 「! 彼に会えたのですか……!」


 要が幽花本人と会っていたことを知ると、葉山は驚きながらも食い付いてきた。

 葉山にとっても幽花もまた花山院家と百合神様の秘密を知る重要人物なのだ。


 「まさか……本当に生きていたんですね……それにしても何故……」


 葉山ですら、八年間花山院家を訪ねても幽花本人には一度も会えたことがないらしい。

 一方十数年ぶりに帰ってきた要はあっさりと本人に会えたということに、葉山は動揺を隠せない様子だった。


 「その……幽花さん自身とは、どんなお話をしましたか?」

 「えっと……あ……! 確か……百合神様に会ったことがあるって……」

 「その話……よろしければ、僕の家で詳しく話せますか? この夜道ではなんですので……」

 「分かりました……」


 百合神様の名前を告げると、やはり葉山は重要な手がかりを得られることに食い付いてきた。

 要自身も葉山には他にも訊きたいことが未だあるため、丁度良いと思った。

 ただ、突然消えるようにいなくなった幽花が内心気がかりではあった。

 しかし、要にすら何も告げずにいなくなってしまったということは、余程外の人間に見られるのを嫌がっているのかもしれない。

 幽花には申し訳ないが、後日にまた訪れて謝ろうと決めた。

 要は十段程下にいる葉山へ近付くために一、二歩降りていこうとした――。


 「っ――ぃ……」


 月明かりの影に佇む葉山の影が、揺らめいた。

 薄闇へ目を凝らして見ると、葉山は右手の甲を痛そうに押さえつけている。


 「葉山、さん……? 大丈夫、ですか……」

 「っ……すまない……急に手が痛く……うっ……まさか……っ」


 葉山は強がってみせるが、ますます眉間に皺を寄せて、額から汗を浮かべている様子から痛みが強そうだ。

 心無しか、痛みに疼く右手の甲から焼け焦げるように妙な音と匂いが漂っている気がした。

 謎の激しい疼痛が治るまで、要が葉山本人を見守っている時だった――。


 カサカサカサ……


 カサカサ……ドチャッ……グチャッ……


 虫がさざめくような音に、果実を踏み潰したような薄気味悪い音が響いてきた。

 泥の底から這い上がってきたようにねっとりと重い圧迫感。

 要は葉山の後ろ側に浮かんでいる人影に気付いた。


 「っ……葉山、さん……後ろ……っ」

 「っ……あぁ……いる……っ」


 葉山は気配だけでなくその正体にも勘付いているらしく、痛みに耐えながらも冷静に答える。

 要は目を背けたかったが、両目は確かめずにはいられないかのごとく、不気味な影から離れてくれない。


 「っ……ぁ……つ……り……っ……ゔぅっ……ゆ……り……っ……ヴゥヴゥヴゥヴゥヴゥヴゥヴゥヴゥヴゥヴゥヴゥヴゥ……!」


 興奮した様子で痙攣した声をあげる不気味な影が一、二歩こちらへ前進してきた。

 月明かりの差し込む場所へ出てきたことによって影の姿が晒される――。


 「ひっ……い……いやああぁ……!!」


 人の形の皮膚で蠢く漆黒のカブトムシ。

 鋭く尖った手足や角に突き刺された手足や皮膚は赤い斑模様にかぶれている。

 鮮血で染めたような赤い百合の花がまばらに咲いている。

 しかし、恐怖で一段と目を引いたのは、目玉と口から飛び出るように狂い咲いた赤百合。


 「ぐうぅ……っ……そうか……ついに、俺を……呪いに……かかったのか……っ」

 「葉山さん、どうしましょう……! 逃げなければ……っ」


 おぞましい異形の存在は、港で渡利を呪い殺したのと同じような類だと一眼で分かった。

 要が狼狽えている間にも、カブトムシ男みたいな異形は接近しており、その度に葉山が辛そうに右手を押さえる。

 どうしよう……何か追い払う方法は……。

 焦る頭を何とか絞り出して、要はこの危機を打破する方法を考えつこうとする。

 そうだ……! 確かあの時……。


 「葉山さん! ライターか何か火になるものを持っていませんか?」

 「ああ、もちろんある。僕もそのつもりだ」

 「それなら……!」


 葉山の目配せと言葉に従い、要は彼のズボンのポケットからマッチを取り出した。

 達筆な文字を書いた不思議なお札みたいなパッケージから、通常よりも大きめで細長いマッチを取り出す。

 摩擦部めがけて赤い部分を思い切り擦り上げると、火が灯った。


 「早く……それを、そいつへ……投げろ……!」


 葉山の声へ呼応するように、要はマッチを異形めがけて投げた。

 不思議なことにマッチの火は宙に舞っても最後まで消えることはなかった。

 マッチはそのまま異形に咲いている花びらにぴたりと触れた――。


 「ヴイイイイイイイイイアアアアアアアアァ……!!」


 カブトムシの異形は花びらから瞬く間に広がった炎の渦に呑まれ、この世のものとは思えない断末魔をあげる。


 「今のうちに、逃げるぞ……!」

 「わ、分かりました……」


 葉山に手を引かれた要は、何とか震える足を奮い立たせて、階段を駆け降りた。

 幸い、異形が追ってくる様子はなく、葉山さんも落ち着いたように見えた。


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