第三章⑥『神の祟り』

 古い紙と新しい紙の匂いが混じり合う空間にて。

 差し出された麦茶を喉へ流し込む。

 乾いた喉と共に心まで潤っていくようだった。


 「少しは落ち着きましたか」


 懐かしい昭和風のちゃぶ台の置かれた畳に腰掛けている要は、向かいにいる葉山へゆっくりと頷いた。


 「まさか、そういう形で夜に外へ出る羽目になるとは、君も災難でしたね」


 葉山が一人で住んでいるという民家へ駆け込んだ後。

 要の事情、彼女が遭遇した不可解な現象について耳を傾けてくれた葉山は、ただ労りの言葉をかけてくれた。

 渡利に関しては、気の毒ではあるがやむを得ないと言った。

 有難いことに葉山は要を窮地から救い出し、こうして部屋に匿ってまでくれた。

 そのうえ、にわかに信じがたい怪奇現象についても、最後まで信じて相づちを打ってくれた。


 「葉山さんは、信じてくださるのですか……私が見たことも……」

 「信じるも何も、私は何度か見たことありますので……あの夜にだけ出現する不気味な怪異を」

 「見たことあるって……そういえば、葉山さんはこの島で何について調べているのですか」


 初めて会って名刺を渡された際に、探偵兼ライターであることは知っていたが、肝心の内容については把握していなかった。

 しかし葉山の確信に満ちた表情といい、あの赤百合の化け物を火で追い払った手慣れた様子から、彼が何か重要な情報を掴んでいるのは間違いない。

 畳を埋め尽くす資料や古めかしい文献の山、壁中に貼られたメモや写真のリストがその証拠だ。

 いかにも探偵か記者らしい部屋の有り様を、ちらっと横目で確認する要に、葉山は気恥ずかしそうに頭を掻く。


 「散らかっていてすみませんね。話していましたっけ? 私、百合島の伝承や事件について調べているんですよ」


 百合島の伝承……?

 小学校では社会科・歴史の授業はちゃんとあり、百合島の地理や資源、社会的課題について勉強をしたくらいだ。

 また百合島の祭事は花山院神社を管理する花山院家、そして主な島の資金源としてももせ製薬を経営している百瀬家の二大名家が、百合島の成り立たせたという歴史がある。

 要にはそれくらいの知識しかないため、教科書や授業では知り得ない百合島について知ることができるかもしれない。

 そう、例えば、あの時、百瀬梨花が言っていた……。


 「あの……葉山さんは……“ゆりがみ”様が何か、知っていますか……?」


 途端、穏やかに凪いでいた葉山の眼差しに鋭い光が宿った。

 どうやら、葉山もその名前に心当たりがあるらしい。

 葉山は真顔で要を見つめながら、逆に問いかけてくる。


 「要さん……その名前を、どこで聞いたんですか?」

 「えっと……百瀬梨花さんが……死ぬ時に、言っていたんです……」

 「あの百瀬梨花が……他には何か言っていましたか……!?」

 「え? その……確か……」


 要は百瀬梨花が死に際に口から零していた言葉を、何とか頭の奥から思い出そうとする。

 葉山は要の言葉の一つ一つを聞き漏らすことなく、丁寧にノートへメモを取っていた。

 記憶の断片を集めて、明瞭な言葉へ繋ぎ合わせていく形で、何とか伝えることができた。

 百瀬梨花曰く、赤い花みたいな不気味なアザは“ゆりがみ”様の祟りによるものらしいこと。

 そして、その呪いのアザを刻まれた者は萩野太一や森彩花、草部一也、百瀬梨花のように不穏な死を迎えること。

 そして話をした最後に、要はシャツの襟口を少しだけ下ろしながら、打ち明けた。


 「私の左胸にもあるんです……四人と同じアザが……」

 「……要さん、いつからそのアザを……?」

 「八年前……十九歳の冬に、突然できていたんです……何をしても消せなくて……」


 要にも呪いのアザが刻まれていることを知った葉山は、固唾を呑んで彼女を見つめた。

 やっぱり、そうか……と一つの確信を得たように頷くと、資料の山から付箋や写真を貼られた物を複数枚取り出した。

 机の上に広げられた資料の内、人物の顔と体の一部を写した色写真に、要は口に手を当てた。


 「これって、まさか……」

 「“六人分”全員の死亡事件に関する資料だよ。彼らは全員、死ぬ前にこの謎のアザを刻まれていた」


 要と同じ赤い花模様のアザを体の一部に刻まれ、不幸な死を遂げた者達。

 まさか四人だけではなく、他にも犠牲者がいたとは思わなかったが。

 犠牲者六名の名前と顔写真を確認している内に、さらに驚きの共通点を見つけてしまった。


 「私……この人達、全員知っています……」

 「そうなのですか?」

 「はい……百瀬梨花達四人は私と同級生でした……後の二人は、小学校の先生でした」


 残り二名は小学校でよく担任を務めていた鹿島麗香、体育専門の山田二郎だ。

 二人は小学校の時、特に要を目の敵にしていた。

 要が百瀬梨花達にいじめられていると知った際も、「あなたの気にしすぎじゃないの」、「いじめられるお前に理由があるんじゃないか」、と真剣に取り持ってくれなかった。


 しかも、特に二人はももせ製薬の息女であり、美人で成績優秀な百瀬梨花を明らかに贔屓にしていた。

 まさか、要にとって苦い思い出の一部である教師二人まで、しかもアザの呪いで死んでいたとは。


 「……君と彼らとは、どんな関係だったか……聞かせてくれるかい……?」


 葉山は少しだけ気が引けている様子ではあったが、事件の核心と手がかりのために要へ問う。

 要は同級生四人と教師二人へ良い記憶と感情は抱いていなかった。

 事実、要に対して冷酷だった彼らが全員死んだという皮肉な現実に、複雑な気持ちになりながらも、彼女はありのままを打ち明けた。


 「そうでしたか……ごめんなさい……辛いことを、思い出させてしまって」

 「いいえ……もう、十数年も前のことですので……」


 申し訳なさそうに謝る葉山に対して、まったく怒りも苛立ちもない。

 それでも、いじめられた人間にとってはあの壮絶な傷つき体験も孤独も、何年経っても傷跡として残るものだ。

 事実、百瀬達にされた仕打ちも、教師や島民から受けた差別も、今思い出してもかさぶたを剥がすような痛みと眩暈を感じる。


 「こうしてみると……やはり“ゆりがみ”様の祟りにあった者は、この百合島の出身者であり……百瀬家と花山院家と何かしら深く関わっている人間らしいですね……」


 祟りの犠牲者の特徴と共通点を述べながら逡巡する葉山に、要も重要なことに気付いた。


 「待ってください……もし、それが本当でしたら……花山院幽花、さんはどうなるんでしょうか……!?」


 葉山の言う通り、祟りの標的が百瀬梨花と深い関わりのある人間ばかりだとすれば、幽花も呪いの標的になるのではないか。

 要が逢いに行った時、幽花にはアザらしきものは見当たらなかった。

 要が左胸のアザを見せた時も、ただ冷静に受け入れて、「守る」と抱き締めてくれた。


 「その彼ですが……僕も気になってね、八年前から繰り返し家を訪ねているんです。ですが、本人は中々応じてくれなくて……」

 「そうなんですか……」

 「代わりにお手伝いさんと彼の父親……花山院家の現当主が対応してくれましたが……肝心な事は訊いても答えてはくれないし……今じゃもう、うんざりされて門前払いをくらうんですよ……」

 「……やっぱり噂通り、ずっと家に閉じこもっているんですね」

 「そうなんですよ……それで島でも生死不明と言われているようです……」


 要の中でも何だか腑に落ちなかった。

 要が訪れた際、最初から幽花本人が逢ってくれた。

 しかし、要以外の人間ではお手伝いさんや父親に対応させ、決して顔を合わせようとしない。

 仮にうつ病を患っていたとして、それが外の人間との接触を敬遠する理由になっているとしても、要と他の人間では何が違うのか。

 要が幽花と顔を合わせた事は、葉山に伝えるべきか、正直迷っている。


 きっと幽花なりに理由があって閉じこもっている彼について、他の人間を通じて探りを入れるような真似も、何だか気が引けてしまった。

 もしかすると、要は幽花と逢えたことを無闇に他者へ伝播しないだろうと信じてくれたからこそ、彼は顔を見せてくれたのかもしれない。

 そう思うと、幽花の信頼を裏切るようで、今は話すのは気が引けた。


 代わりに「時間ができたら、彼の家に私も訪ねてみますね」、と真実で誤魔化してみた。

 すると葉山は疑いのない眼差しで、「もし、その時は私にも詳しく教えてくださいね」、とまるで釘を指すように告げてきた。

 要は疑惑の隙を与えないよう、間髪入れずに「分かりました」、と承知すると、さりげなく話題を元に戻した。


 「それで、葉山さん……“ゆりがみ”様とは……一体何なのでしょうか」

 「そうでしたね……本題から逸れてしまって、申し訳ありません……」

 

 葉山は了解した様子で、今度は本棚から古びた文献を一冊取り出した。

 赤く染めた花びらを乾燥させたような質感の表紙に、黄色にくすんだ紙を何枚も重ねた辞書ほど分厚い本だった。

 細長い縄で結ばれた本を開くと、やはり古い文献らしく、黒い筆で達筆な文字が羅列されている。

 当然ながら要にはまったく読めない。


 「これは……花山院家と百瀬家の歴史……つまり百合島の成り立ちについて記された古い文献だ」

 「そんな重要な文献……図書館にあったのですか?」

 「まさか。花山院神社の拝殿に隠されていたよ」

 「え……」


 窃盗という重大な事実をあっさりと告白した葉山に、要は愕然としながらも、耳を傾け続けることにした。

 今の葉山にとって、真実と生に縋り付くためには、社会的な規範に構っている暇などないのかもしれない。

 呪いや祟り、怪異、不吉な死を目の当たりにしてきた要もまた、“生きるため”に人事を尽くす時かもしれない。

 葉山が赤い文献の頁を数回捲った所で、或る挿絵のある頁が留まった。


 「“百合神”様――それに由来する或る少女について記されているんだ――」


 くすんだ白い頁一面に描かれていた“百合神”――白い着物に長い髪の少女を模写した挿絵に、要は目が離せなかった。


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