第四章⑧『生贄の儀式』
生まれて物心ついた頃から、私の世界は閉じていた。
神様を祀る神社の中が、私の生きる場所だった。
私は将来の天災のために準備された、神様の大切な捧げ物。
だから、勝手に神社の外を出歩いてはいけないと言われた。
ただし、夜は神様の通り道だから、自由に出歩いてもいいと言われた。
でも、夜は暗くて怖くて嫌いだから、結局外には出たことがない。
本当は広く青い空の下を思い切り駆けてみたかった。
お日様の温もりを肌で感じてみたかった。
神社にはいない同じ子どもと話してみたかった。
灰色の薄暗い本殿の窓の格子越しや、筆で描かれた景色ではなく。
色鮮やかな明るい外の世界を見てみたかった。
けれど、それは決して叶わない絵空事だった。
私が神様の捧げ物になる巫女である限り。
私が他の人間とは違う“異形”である限り。
巫女として生まれ落ちた私は、やがて訪れる天災を鎮めるため――神様にこの身を捧げる運命なのだ。
あの日――あなたと出逢うまでは。
『ゆりさん……あなたらしい素敵な名前だ。御髪も白百合みたいに綺麗に輝いている。ああ、僕の名前は――』
壱郎と名乗ったその男性は、夜の荒れた海を超えて、何とかこの島に上陸してきたという。
壱郎さんは神社で一休みするために訪れたらしく、初めて夜に神社の周りを散策していた私と鉢合わせた。
瞬間、互いに時間が止まったような、不思議な感覚を覚えたのだ。
気付けば私は壱郎さんを本殿に匿い、保存食と水を与えた。
壱郎さんは不思議な御方だった。
島の人には畏れられていた私の姿を見ても、怖がったりはしなかった。
むしろ、生まれつき真っ白な私の髪を白百合みたいだと、綺麗だと、褒めてくれた。
そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。
『外に出たことがないなら、夜は僕が一緒だから大丈夫だ』
壱郎さんは優しい御方だった。
神社の外に一度も出たことがない私のために、夜の島を共に散策させてくれた。
薄暗い夜道を歩く際は、必ず私の手を優しく繋いでくれた。
夜を優しく照らす月の輝き。
夜に凜々と鳴く鈴虫の声。
夜を照らす蛍の輝き。
夜に静かに揺らめく海と潮の音色。
壱郎は私に外の世界の美しさをたくさん教えてくれた。
決して私のことを怖がったりせずに、いつも優しく笑いかけて触れてくれた。
そんな壱郎さんを私は――。
『ゆりさん。僕と一緒にこの島を出ないか。僕は……これからもずっと、あなたと一緒に広い世界を渡りたい……僕はあなたのことが――』
泣くほど嬉しくて、怖いほどに幸せでたまらなかった。
壱郎さんも私と同じ想いでいてくれたことが。
私に島の外へ――昼間の明るい世界を見せたいと言ってくれたことが。
私は壱郎さんの誘いを喜んで引き受け、将来を誓い合った。
壱郎さんは船を準備して、約束の時間と場所に迎えに来るから、待っていてほしいと言ってくれた。
私は幸せな鼓動を奏でる心臓の音を聞きながら、壱郎さんを待ち続けた。
けれど、壱郎さんは迎えに来てくれなかった――。
約束の日以降、壱郎さんはまったく姿を見せなくなった。
その頃から嵐によって海も島も荒れて、焼けるような強い日照りも続いた。
そして神社の宮司に呼ばれた時、ついに“その時”は来てしまったのだ。
ああ、やはり、私は巫女として生を終えるのだ。
以前の私ならば、己の運命を容易く受け入れただろう。
けれど、今の私は生きる喜びを知ってしまったのだ。
壱郎さんが外の世界の美しさを教えてくれたから、わたしに我欲が生まれてしまったのだ。
壱郎さんと出逢いさえ、しなければ――。
生贄の儀式が始まった。
禊を済ませて巫女の衣装を纏った私は、棺の中へ横たわる。
怖い。死ぬのが怖い。
棺の戸を閉める前に、宮司達は私を囲って祝詞を唱える。
第一の祝詞が終わると、棺はそのまま閉まる――はずだった。
『ここに“第二の生贄”の首を捧げる』
長格の宮司はそう零すと、棺に横たわる私の胸元にボトンッと“それ”を置いた。
壱、郎、さん――?
手足を縄で縛られたまま棺に納められて動けない私の目前に、一つの生首が置かれた。
顔は殴られたようで真っ赤に腫れ上がり、両目は虚ろに上向いている。
切り落とされた首の付け根から染み出した鮮血が、私の白い着物の胸元を汚していく。
呆然としている間に棺の戸が重々しく閉ざされる。
棺が移動され、洞穴へ落とされた振動が伝わる。
棺越しに土を掛けられる音も重みも伝わってきた。
けれど、私にとって全ての一瞬が切り取られたような感覚しかない。
壱郎さん――どうして?
壱郎さん……死んじゃった……。
島の人間が、殺した……。
……許せない……。
壱郎、さんの……体、返せ……。
みんな、死ねばいい――。
微睡みの意識の中、次に目を覚ました私の目の前は真っ赤に染まり――全てがメチャクチャになっていた。
ああ、大変。
早く、壱郎さんの体を探してあげないといけないのに。
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