第四章⑨『魂の救済』

 微睡みにいたような意識の中、現実に引き戻される。

 流れていた時間はほんの一瞬だったのかもしれない。

 それでも、自らが体験してきたように見えてきた壮絶な真相に、要は涙が止まらなかった。

 隣の葉山にも同じイメージが頭に流れ込んできたらしく、苦々しい表情を浮かべていた。


 「葉山さん……百合神様……ゆりさんは……壱郎さんという男性を……」

 「はい……きっと彼女の魂は怨霊となり、百合神様として島を滅ぼしたのでしょう……」


 以前、幽花が話してくれた旧百合島を滅ぼした巫女とは、イメージで見えたゆりという女性で間違いないだろう。

 ゆりの恋人であり彼女を島の外へ連れ出し、結ばれようとしていた壱郎という男性は彼女を捨てたのではなかった。

 恐らく、ゆりを攫うことを恐れた島民と宮司によって始末された。

 しかも、ゆりは切り落とされた壱郎の生首と対面させられた。

 愛する恋人を殺された挙げ句、無惨な姿を見せつけられた悲嘆と憎悪は計り知れない。

 それ以前にゆり自身が抱え込んでいたであろう孤独感や疎外感、閉塞感もまた、彼女の悲憤を爆発させる要因になっただろう。


 「葉山さん……この遺体の女性は……」


 白骨化した遺体が纏っている黒いワンピースに、わずかに残った長い毛髪。

要はどこかで見覚えのある気がした。

 一方、葉山には心当たりがあるらしく、切なそうな眼差しで遺体を見下ろしている。

 遺体を眺めた後、「そういうことだったのか……」、と腑に落ちた表情で手を合わせていた。


 「お前が命を賭けて見つけた手がかりを、無駄にはしないよ……」


 葉山の言葉からようやく全てを悟れた要も、胸が締め付けられる想いで共に手を合わせた。

 恐らく葉山の親しい友人か仲間だった女性なのかもしれない。

 百合神様について調べている最中に、きっと自分達みたいにここへ逃げ込み、けれど呪い殺されたのだろう。


 ……か……ら、だ……みつ……け……て……。


 先程のように再び頭の奥へ霊的な何かが語りかけてきたような気がした。

 しかし、要領を得なかった言葉の意味を要は理解しかねた。

 今の要と葉山が新たに知ったのは、ゆりという名前の巫女の生い立ち、と儀式の真相。

 けれど、過去の情報から呪いから逃れるための手がかりらしきものは到底見当たらない。

 正直、改めて八方塞がりだと思っていた最中。


 ギギギギギ……。


 床が静かに軋むような音が不意に響いてきたかと思った一瞬のこと。

 年季の入った木製の壁がバリーンッ! と突き破られた。

 騒音に驚いた要と葉山は本殿の表側へ向き直る。


 「かなめ、みーつけた」


 すると破られた扉の隙間から、百合神様と幽花がゆらりと顔を覗かせてきた。

 幽花は赤い唇を弦状に吊り上げ、狂気に血走った目で無邪気に要を捉えた。

 周りには身体中に咲いた赤い百合の花が食虫花のように蠢いている。


 「幽花……! 私、全部知ったわ。百合神様……ゆりさんの味わった悲しみも……幽花が何を考えていたのかも……。辛かったのよね。でも、こんなのは間違っているよ……いくら誰かを呪い殺したって、失ったものが戻ってくるわけじゃ……」


 「かなめは……しんぱい、しなくて、いいんだよ……ずっといっしょ、いられたら、それで、いい……」


 受容と共感をしながらも、最後はあくまで大切な現実を伝える。

 要なりに説得を試みたが、狂気に囚われた幽花と百合神様にはまるで響いていなかった。


 「でも、そのため、には」


 お前は――邪魔。


 グリンッと眼球を葉山へ向けたかと思った瞬間、幽花と百合神様から凍て付くような威圧感が増した。


 「ぐっ……うああああ……!!」


 葉山が右手の甲を押さえながら、苦悶の叫びを漏らす。

 右手の甲に刻まれたアザは、焼ゴテを押されたかのように真っ赤に光り、腫れ上がっている。

 さらには葉山の腕や首筋辺りが、血管に生き物が輸送されているかのようにボコボコと蠢いていた。


 「やめて……! 幽花、お願い……!」

 「僕に構わないで、逃げてください! 要さん……! あなたならきっと……!」

 「でも……!」


 自分が今にも呪い殺されそうになっているのに、葉山は要を逃がそうとしている。

 しかし、恩人である葉山を見捨てて逃げられるわけがない。

 いくら幽花に懇願しても呪いの発動が止む気配のない様に、要は焦燥に駆られていく。


 ミャアァ……。

 「痛っ……! ミーコ!?」


 不意に足元に柔らかい物体が絡んでくるのを感じたと同時に、足首にチクリとした痛みを覚えた。

 またしても、いつの間にか現れたミーコ二号の姿、場にそぐわない存在感に、要は困惑する。

 しかも、ミーコ二号は何かを訴えるように要の足首を一噛みしてから、裏口付近へ歩いて行った。

 ミーコ二号の一連の行動に意図があると葉山は察した。


 「要さん……! ミーコを追ってください!」

 「で、でも……」

 「いいから早く! きっと、その先に助かる方法があるのかもしれない……! ぐうぁ……っ!」


 身体中の血管に種子や茎が蠢き、右手の甲を焼くような痛みに苛まれながらも、葉山は要の背中を押した。

 他に良い方法が見当たらない今、葉山の言う通り要はミーコ二号の跡を追い始めた。


 「待って! ミーコ……! 一体どこへ……っ」

 

 本殿の裏口から出た要は、神社の境内をぐるりと回り、鳥居の外へと誘われていく。

 ミーコ二号の軽やかな足取りは未だ止まる気配を見せない。

 先程の遺体を見つけた時と同様に、大事な手がかりへと導いてくれているのかもしれない。


 「ここって……例の祠……?」


 ミーコ二号が案内してくれたのは、神社の石階段の中間から斜めに逸れた坂道を降りた先にある小さな丘――いつも幽花と一緒に参っていた小さな祠とミーコの墓のある場所だ。

 意外な場所に連れてこられた要は、戸惑い気味にミーコ二号を見つめる。

 しかし、当然ながらミーコ二号が人に通じる言葉を話すわけもなく、ただミーコの墓に体を擦り付けるように彷徨くのみ。


 「もしかして、ここに何かあるの?」


 ミーコ二号の行動と居場所から察しのついた要は、ミーコの墓前に近付いた。


 「え――?」


 ミーコ二号の体が蛍の光を集めたように輝いたかと思えば――いつの間にか姿を消していた。

 代わりに、ミーコ二号がいた場所にはなかったはずの小さなシャベルが落ちていた。

 何故こんな場所に――そう考える暇も与えられないまま、要は覚悟を決めた。


 「ごめんね、ミーコ」


 だいぶ昔に亡くなったミーコへ静かに謝罪と共に手を合わせた要は、シャベルの先端を――ミーコが埋まっている土へ突きつけた。

 墓石となる石を祠の横に置き、白百合を掻き分けると、無我夢中でその場所を掘っていく。

 幸い、土は柔らかくなっているおかげで、長い時間をかけなくてもよさそうだ。

 しかし、途中で要は直ぐに或る違和感に気付いたが、時間が迫っていることを考え、両手を動かし続けた。


 「はあ……はあ……っ」


 無我夢中になって掘り続けている最中、シャベルの先端が石とは異なる硬い感触にぶつかった。

 見つけた箇所とその周りを重点に掘り起こしていくと、そこにあったモノに要は愕然とした。


 「ミーコ……いや、まさか……っ」


 掘り起こした場所にミーコの死骸は埋まっていなかった。

 おかしい。確かに昔、幽花と一緒に埋葬したはずなのに。

 代わりに人間の遺骨――肋骨部分を見つけた。

 見た感じでは恐らく成人の遺骨が埋められている。

 ミーコ二号が見つけて欲しかったのは、見知らぬ人の遺骨なのだろうか。

 長年この小丘の祠を祀っていたが、まさか人間の遺骨が土の下にあるとは夢にも思わないだろう。


 ……いや、待って。まさか。


 或る重大な事を思い出した要は、土に陥没した遺骨をよく調べてみた。

 結果、要の考えは的中した。


 赤いアザの呪いで首をもがれた犠牲者達。


 百合神様に近しい誰かを祀っていた小丘の祠。


 ミーコの墓の下に埋められていた“頭部のない”人間の遺骨。


 体を返して、という台詞。


 全ては或る一つの答えに繋がった。


 「……ここで、ずっと待っていたのですね……」


 何百年くらいもの間、ずっと、傍にいたはずなのに、気付いてもらえなくて。

 きっと誰かに見つけてもらう時を、ずっと待ち焦がれていたのだろう。


 「――かなめ――かなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめかなめ!!」


 いつの間にか、百合神様と共に幽花が背後に現れた。

 左胸のアザが灼けるように痛みだす。

 まるで死期は目前に迫っていることを訴えるかのように。

 けれど、私は喉の底から力強く呼びかけた。


 「百合神様――いや、ゆりさん!! 思い出してください! 壱郎さんのことを!」


 空虚を彷徨っていた百合神様の赤い瞳は、要へ焦点を合わせた気がした。

 僅かだけれど、名前に反応したように見えた要はそのまま続けた。


 「ずっと、探していたんですよね……? 大切な、壱郎さんの体を……」


 い……ちろ……さ……から、だ……かえ、して……ど、こ……。


 「ゆりさん、壱郎さんはここにいたんです……ずっと、あなたに見つけてもらうのを待ち望んでいたんです……っ」


 今まで口を開かなった百合神様――ゆりはたどたどしくだが、恋人の名前を呼び、大切だったその人の体を求めて、血の涙を流した。


 今しかない――。


 そう思い立った要は、背中に隠れていた首なしの遺骨――失われた壱郎の胴体を見せた。


 ああぁあぁ――いち、ろうさん――あああぁあ――。


 ゆりは感極まった様子で血の涙を零しながら、要の目前まで近付き、土に半分埋まった遺骨へ青白い手を触れさせた。


 ……やっと……見つけた……壱郎さん……これで、やっと……。


 ゆりが安堵したように呟いた直後――ゆりと幽花、遺骨は蛍の光を集めたように眩い光に包まれた。

 要は目が眩みそうになりながらも、光の中を凝視した。


 「ゆりさん――?」


 白い光の空間には、白百合柄の黒い和服に、長い白髪、淡い海色の瞳の美しい少女――本来のゆりが佇んでいた。


 悲しげに瞳を伏せるゆりの両手には、骸骨の頭部があった。

 しかし、程なくして骸骨の頭部に蛍のような光が纏わり付くと、ひとりでにゆりの手元から離れて――胴体のみの骸骨の首の付け根と接合した。

 頭部と胴体の合体した骸骨は、みるみる色付いていき、やがていつの間にか人の姿形――和装の男性に変わった。


 ずっと……お待ちしておりました……壱郎さん……。


 遅れてしまってすまない……ゆりさん……これからはずっと一緒です……。


 天災を鎮める生贄の巫女としての運命、島の風習によって引き離されてきた二人は霊魂としてようやく一緒になれた。

 もしも、儀式や天災などのしがらみさえなければ、二人は現世で幸せに結ばれていたなど、また異なる未来があったのかもしれない。

 そう思うとやるせなさが芽生えそうになるが、引き裂かれていた二人が再会を果たした事に、要の心にも光が灯った。


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