第一章⑧『赤い百合の花』

 「ど……どうして……っ」


 心臓のように脈打つ真紅の花。

 百瀬梨花の首に広がるように咲いたソレを、彼女は自分で掻きむしるように触れる。

 見覚えのあるソレに言葉を失う要を他所に、百瀬梨花は苦痛にのたうち回る。

 ただごとではないと感じた要は、とっさに寝台にあるナースコースへ手を伸ばした。


 「あんた……だれ、よ……! かってに……はいって、きてっ!」


 しかし、伸ばした手は、ナースコールに触れる前に鷲掴みにされた。

 ようやく要の存在を認識した百瀬梨花は、血走った眼でまくしたててくる。


 「私は……栗花落……」

 「つ、ゆり……あんた、まさか、あの、つゆり……なの?」


 戸惑いがちに名乗った要の声に、百瀬梨花は思い出したように呟く。

 誰のことなのかようやく理解した様子の百瀬梨花に、要は緊張で身構える。

 十数年も前にいじめた人間のことなんか、綺麗さっぱり忘れているかもしれないと思った。

 思い出されるにしろ、忘れられるにしろ、どちらにしても複雑な気持ちではあるが。


 「っ……ねぇ……あんた、まさか……しってるんでしょ……っ?」

 「なにを……」

 「とぼけんな! このキモいアザのことだよ!」


 笑顔でも嘲笑でもない反応と共に問い詰められた要は、意味を直ぐに理解できた。


 「そのアザ……いつから……?」

 「八年前からよ……このアザのせいで……私散々な目にあって……っ」


 八年前ということは、百瀬梨花も十九歳の時――要と同じ時期に同じアザができた。

 そして、交通事故で亡くなった森彩花も同じアザを体に宿していた。

 一体、何故“私達”が?

 或る一つの仮説を得た要は、森叔母さんから預かった例の写真を、そっと百瀬梨花に差し出して見せた。


 「このアザ……亡くなった森彩花の体にもあったみたいなの……」

 「彩花……やっぱり、そうなんだ……っ……それなら……っ」


 写真にうつった森彩花のアザを見た瞬間、百瀬梨花は察しがついた表情で俯いた。

 それからクツクツと喉を鳴らして笑いながら、ゆっくりと顔を上げた。


 「なら、あんただって……もうすぐ“死ぬ”かもしれないんだ……?」


 “死”という言葉に凍りついた要を、百瀬梨花はいい気味だと笑いながら答える。


 「彩花だけじゃない……きっと、萩野も、草部も、そのアザのせいで死んだんだよ……」

 「でも……三人は不幸な事故で死んだんじゃ……っ」

 「このアザはね……持ち主に“不幸”をもたらすのよ……それで、きっと最後には“殺す”のよ……!!」


 百瀬梨花がどこまで本当のことを言っているのかは定かではない。

 けれど、地方大手の製薬会社である『ももせ製薬』の人間である彼女なら、島の人間について詳しく知っていてもおかしくはない。

 本当に百瀬梨花の言う通りであれば、要の仮説通り、萩野太一と草部一也にも同じアザがあったのだろう。


 けれど、謎のアザの正体と原因については未だ分からない。

 そして、何故要と百瀬梨花を含む五名にアザが発現したのか。


 「でもね……私は絶対、みすみす殺されたりなんかしないわ……! 何が……何が“ゆりがみ様”の祟りよ……バッカじゃないの……っ!」


 ゆりがみ様――?


 百瀬梨花から初めて耳にした不穏な単語に、要は首筋に冷たいものが落ちるのを感じた。

 ゆりがみ様というもの、と謎の赤い花みたいなアザはどう関係しているのだろうか。

 しかし、百合島にいた頃ですら聞いたこともない名前について考えても、不明なままだった。

 くだらない、と罵られることを承知で、要は意を決して聞いてみることにした。

 その前に……。


 「聞きたいことがあって……花山院かさのいん幽花ゆうかは……今どうしているか、知っている……?」


 百合島に帰って来てから、心の隅で気がかりだった、大切な“彼”の名前を久しぶりに呼んだ。

 小学六年生の時に島を出てから、一度か二度“彼”と文通していたが、半年で互いに音沙汰が無くなった。

 手紙を書かなくなったのは、自分と“彼”のどちらだったのか、要はもう思い出せない。

 ももせ製薬の跡取り娘であり、百合島で名を馳せている百瀬梨花であれば、その後の“彼”がどうしているのかも知っているはずだ。


 「ゆう君のこと……何、馴れ馴れしく名前呼んでいるの……キモっ。そういえば、昔からアンタは何気にゆう君に色目使っていたわねぇ? ゆう君はアンタなんかちーっとも相手にしないのにさ」


 昔のことを蒸し返され、その頃と変わらない物言いで気持ち悪いと嘲罵され、胸に未だ残っていた古傷が疼くのを感じた。

 それでも、どうしても、私は知りたかった。


 「っ……花山院君は……今も百合島にいるの……?」

 「いるけど、それが何? まさか、あんた押しかけにでも行くつもりー?」

 「そんなつもりは……ただ……」

 「でも、残念ねぇ。ゆう君はね、この梨花と……っ!?」


 今も幽花は百合島にいる。

 それが分かっただけでも、十分だった。

 たとえ、幽花があの頃のことも要のことも忘れてしまっていたとしても。

 もしくは、あの頃のことについて、幽花が逆に要を恨んでいたとしても。

 後の事は、島の人や本人に直接聞ければいいと思った。

 幽花の居所に目星をつけられた要は、次いでゆりがみ様について訊こうとした。


 「ひっ……いやぁ……こ、来ないで……! がぁ……っ!?」


 突如、百瀬利香は恐怖の形相で要を見ながら、激しく後ずさるような動きを見せた。

 先程の強気な態度から一転して、ひどく怯えているような様子に違和感を覚える。

 心なしか、百瀬利香の目線が要――というよりも、要の後ろでひらめくカーテンへ真っ直ぐ注がれている気がする。

 まさか、後ろに誰か来ているのだろうか?

 ほんの一瞬、人らしき気配でカーテンがひらめいたような気がした要も、勢いよく後ろを振り返ろうとした――。


 「ぐ、るなぁ……ぃ……ぎぃぃ……っ!」


 突如、百瀬梨花はアザの咲いた首元から胸を掻きむしるように押さえながら、再びのたうち回る。

 明らかに様子がおかしい……!

 今度こそ尋常ならぬ様子に、要は即座にナースコールを鳴らした。


 すると看護師二名が急いで駆け付けてきた。

 看護師がそれぞれ声かけや測定などでバイタルサインをチェックし、やがて主治医も診察のために訪れる。

 要が傍から見ていることしかできない中も、左胸がさらに熱を帯びたように激しく疼いていた。


 「ぃ――ぎぃやあぁ――っ!!」


 ブシュウウゥ――ッ。


 首元で茎状の血管がボコボコと蠢いたかと思った瞬間、真っ赤なものが噴き出した。

 看護師達の顔や手も血なまぐさい真紅に汚れていく。

 やがて枝木のように太くなった赤い筋は首から手足と顔にかけて広がっていく。

 虚ろな眼差しで天を仰ぎ、真紅の花びらみたいな唇から声が漏れた。


 「た、すけ――て――しに、たく――な――っ」


 ブシャッ――!


 血に濡れた断末魔を合図に、浮き出た身体中の血管が破れ、血飛沫を咲かせた。


 嘘――何、これ――。


 愕然と揺れる眼差しに映り込んだのは、血に塗れた百瀬梨花の肉体――全身の血茎からおびただしく咲いた“赤い百合の花”だった。


 赤い百合の花は首元からも狂い咲き、百瀬梨花の首を掲げるように押し上げていた。


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