第四章⑤『執念』
僕は誰も信じられなかった。
家の権力と矜持にしか関心がなく、母と子を道具としか見なしていなかった父親も。
本家の嫡男としての僕を付け狙い、その権力や地位に擦り寄ろうとする周りの大人達も。
家柄や容姿、学業という表面的な僕しか見ていなかった周りの子ども達も。
唯一母様は僕を僕として愛してくれた。
母様だけは僕の喜びと悲しみに寄り添ってくれる存在だった。
たくさんの煌めく物語を読ませ聞かせてくれた。
僕に祈り敬い感謝する心の大切さを教えてくれた。
母様がいてくれたからこそ、僕は僕の願いを叶えられる人間でいられたのだろう。
けれど、唯一の味方だった母様も僕が幼い時に病気で亡くなってしまった。
母様が亡くなってからは、父親の厳しい教育に耐えて、学校では優等生を保つという空虚な日々を送った。
唯一の慰めは母様がよく祀っていた、白百合の小丘の祠でお祈りをする事だった。
母様とよく一緒にそうしたように。
けれど、或る雨の日の出逢いが僕の運命を変えたのだ。
『ゆう、か……君って、幻想的な花みたいに綺麗な名前だね……!』
幽遠なる花、と書いて幽花――。
僕が百合神様の愛と加護を受けるように、と霊的な意味合いのある漢字に花の付く名前を、母様が与えてくれた。
以前、同級生からは「女みたいな名前で変」、「幽霊の漢字とか気色悪い」、とからかわれたという悲しい記憶がある。
けれど、栗花落要――彼女だけは、僕の名前を綺麗だと言ってくれた。
栗花落要は僕と同級生の女の子で、特に百瀬梨花達からいじめを受け、島でも孤立していた。
理由は“他所者の娘”とクラスや島の界隈で噂の的になっていたため、僕ですら知っていた。
互いにただの同級生でしかなかった僕等は、雨の日に猫を助けたことで“友達”になった。
『これからも、ずっと“友達”でいよう。約束だよ』
栗花落要は僕にとっての“特別”な女の子になった。
要は他の大人や同級生みたいに、僕を家柄や容姿、成績だけで判断したりしない。
ただ、ありのままの僕を見つめてくれた。
なのに、当時は臆病で無力な子どもだった僕は、要を助けることもできず、いつもただ指を咥えて見ていることしかできなかった。
たとえ、一度勇気を振り絞ってみても、それはかえって要を危険へ追い込むことしかできなかった。
しかも、要に嫌われるのだけは怖くてたまらなくて、いつも泣いて謝って、“友達”という言葉で彼女を縛ることしかできなかった。
『要……要……要……っ』
程なくして、プール事件を機に要は学校へ来なくなった。
学校の先生や要の父親へ事情を伺うと、要は離婚した母親に付いて島を出ていったとのこと。
確かに考えてみれば当たり前かもしれない。
我が子がいじめで死にかけたにも関わらず、真剣に対応してくれない学校側にも味方のいない島にも、居座り続ける理由はない。
要とは最後に話もできないまま、離れ離れになってしまった。
要の父親に頼み込んで、新しい住所へ手紙を送らせてもらった。
けれど、手紙が返ってきたのは一度きりで、それ以降の文通は続かなかった。
要……要……要に逢いたい。
要本人も彼女との唯一の繋がりだった愛猫のミーコもいない。
また島での空虚な生活が始まった。
それからは、一年、二年、と退屈な年月と季節が空しく過ぎ去っていった。
しかし、僕が十八歳の頃に大きな転機は訪れた。
『百瀬家の息女と婚約させることにした』
常に厳格で冷淡な父親から告げられた言葉に、僕は目の前が真っ暗になった。
嫌だ――。
百瀬家の息女とは百瀬梨花……つまり要を執拗にいじめ尽くし、終いには殺しかけた。
そんな憎たらしい存在でしかない女が、僕の将来の妻になると言った。
到底愛せるはずがない。
要を虐げた女と婚儀を開き、いずれは後継ぎを産むための交わりをせねばならない――想像するだけで吐きそうだ。
嫌だ嫌だ――。
父親はあくまで老舗ももせ製薬の儲けから生まれる莫大な資金、長年続いている百瀬家との繋がりをより確固たるものにするのが目的だ。
つまり僕は政略結婚の道具として、さらには花山院神社の跡継ぎの人形として利用されるだけの人生だ。
嫌だ嫌だ嫌だ――。
僕が好きなのは昔からずっと要だけなのに――。
要だけが本当の僕を見てくれるのに――。
けれど、要はここにはいない――。
もしかしたら、僕のことなんか忘れて、他の男と幸せになっているのかもしれない――。
――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
僕を――忘れないで。
僕を――置いていかないで。
僕以外の人を――愛さないで。
要――要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要要。
気付けば、僕の脳内は要で一色に染まり――蔦のような縄の輪っかに首を引っ掛けていた。
ああ、これで、要を迎えられるのを待ち続けられる――。
これで、要を傷つけた奴ら全員に仕返しができる――。
僕等の邪魔をする者達は、誰一人残らずに――してやる。
誰にも要を――“彼”を――渡さない――。
僕は――“百合神様”なのだから――。
*
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