第四章④『真実』

 暗夜の帳が完全に降りた頃――。

 妙な胸騒ぎを覚えた葉山は、夜の花山院邸の前に佇んでいた。

 こんな夜更けに家を訪ねるのは、特にこの島では御法度だと百も承知。

 しかし、違和感という名の仮説が正しかったことは、明かり一つ灯っていない閑寂な花山院邸が証明している。

 早速葉山はインターホンを押す事なく、用意した梯子で白い塀をよじ登った。

塀を越えて地面に着地すると、硬い砕石に混じって枯葉を踏んだ感触がした。


 「まさか、本当にな……」


 格式高い屋敷の壁には蔦の植物が巻き付き、隅には緑色の黴びが生えていた。

 中庭も長年手入れされていないらしく、雑草がボウボウに生い茂っている。

 廃墟とまではいかないが、人が住んでいるのかすら怪しい雰囲気に満ちている。

 葉山は枯葉まみれの石畳を踏み越え、古びた玄関の扉に立つ。

 思い切って手を掛けてみると、建て付けが悪くなっているが、扉を開けることができた。


 「お邪魔します……」


 断りの言葉を自然と漏らした葉山だったが、家の中に入った時点でそれは無意味だと肌で感じた。

 上質な漆の廊下を渡っていくと、降り積もった埃や黴びの匂いが充満しているのが分かる。

 本来ではあれば屋敷内を回っているはずのお手伝いさんらしき姿も気配すら見当たらない。

 胸騒ぎと違和感が強まる中、葉山が真っ先に探したのは、花山院家当主・幽花の父親だ。

 八年前に二回きりだったが、初めて屋敷内へ通され、客間で顔を合わせたことがある。

 いかにも厳格で寡黙な雰囲気の当主は、子息については固く口を閉ざしたままだった。

 結局、その日は何の収穫もなく帰らされた記憶だ。

 ただし、門前で見送る当主が残した謎の言葉だけは、今も耳に残っている。


 『“アレ”はもう……私の息子ではない……』


 やつれた目元に濃い隈を浮かべ、眉間に深い皺を寄せながらそう零した。

 二回目に会った際は、枯れ木さながらすっかり憔悴した様子で、まともな返答は期待できなかった。

 あれから八年間、顔すら合わせていない当主は現在どうしているのか。

 幽花本人と唯一逢えた要ですら、当主の姿は見なかったという。まさか――。

 閑寂とした廊下の奥から隈なく探索していく最中、当主の書斎を発見した。

 重厚な扉を開くと、貴重な文献の並ぶ本棚に挟まれるように机と椅子があった。

 黒艶の上質な椅子はこちらに背を向けているが、誰かが座っているのに気付いた。

 しかし、葉山は声を出すこともなく、忍び足で椅子へ近付いた。


 「な――っ」


 椅子に腰掛けていたのは、花山院家当主の白骨化した遺体だった。

 奇妙なことに骸骨の眼窩や骨の隙間からは長い茎が蔦のように巻き出て、萎れた赤い百合の花を咲かせている。

 よく見ると、椅子や床、テーブルには赤黒く固まった血の跡もあった。


 何ということだ……花山院家当主は既に死んでいたとは……。


 二回目以降の訪問からはお手伝いさんによって門前払いをくらっていたとはいえ、何故八年間も気付けなかったのか。

 今回の初めての夜の来訪によって、現在の花山院家の真の姿が現れたことも、人外的な力が働いていたとしか思えなかった。


 「要さん……どうか、無事でいてください……っ」


 当主の遺体と周辺を一通り調べた後、今度はここに来ているはずの要の姿を探し始める。

 一階を隈なく探し回っていると、突如足元に小さな気配を感じた。


 ミャアァ……

 「猫……?」


 白い綿毛のような体に黒いブチ模様のある綺麗な猫がそこにいた。

 いつの間にか足音も立てずに、こんな場所へ現れた猫に、訝しげな眼差しを送る。

 すると謎の猫は再びミャアッと鳴いてから、こちらへ背を向けて歩き出した。

 まるで自分を誘っている様子の猫に、葉山は静かに後を追った。

 猫の駆け上がった階段へ続くと、床の軋む音が鋭く響き、葉山の不安を煽る。

 猫の足は、二階の廊下奥突き当たり――扉が半開きになっている一室で止まった。


 「要さん……?」


 恐る恐る要の名前を呼んでみたが、やはり返答はない。

 扉の隙間から部屋の中へ入っていった猫を再び追う。

 気のせいか、歩く度に軋む床の音が段々と大きく感じる。

 半開きになった扉に手を掛けて、部屋の中を覗いた――。


 「っ――そんな――要さん――っ」


 目の前に広がった光景に戦慄した葉山は絶句する。

 血飛沫を撒き散らしたように狂い咲く真紅の百合の花。

 蔦のように雄々しく伸びた茎同士は絡まり、部屋中を埋め尽くす。

 部屋の中央の天井から床に垂れている縄の先端には、花山院幽花――らしき骸骨が繋がっていた。

 要は骸骨の両腕と百合の花の茎に抱かれるように、両目を閉じていた。


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