第三章⑨『百合神の巫女』

 「要……やっと逢えた……っ」


 花山院家の屋敷へ行くと、一昨日と同じ流れで先ずお手伝いさんに客室へ案内され、そこへ真っ先に幽花本人が顔を見せてくれた。

 今日も幽花は一昨日と同じ白百合模様の描かれた淡い男性用の着流しを纏っていた。

 やはり幽花は色白なため、昔と変わらず白がよく似合っている。


 「私も……逢いたかった、よ」


 顔を見せて早々に抱き締められた要も、思わず笑みを零しながら両手を回した。

 無邪気に肩に顎を置いてくる幽花に、何だか愛しさを覚えてくる。

 二人の足元にも、ミーコ二号が懐っこく鳴きながら纏わりつく。

 一昨日と同じように、自室へ案内された要は幽花と肩を並べて座る。

 要が何気無く示した距離感が、互いの心と一致しているのを感じ取った幽花は気を良くしたように微笑む。

 しかし、それから一転して、どこか不安げな眼差しで要に微笑みながら、静かに問いかけてきた。


 「要はさ……いつまでこの島にいてくれる?」


 決して避けては通れない質問。

 けれど、要も幽花と同じ寂しさを抱えており、故に答えなければならない。

 また幽花を心から気にかけているからこそ、要は突き付ける責任があると思った。


 「お父さんの容態がどこまで落ち着いてきたか分かって、何もなかったら……一週間以内には、帰るつもり……」


 病身の父親にも要と同じ呪いのアザが発現してしまい、しかもバイタルは安定しているとはいえ意識が未だに戻らない中、果たして叶うのか懐疑的ではあるが。


 「そう、なんだ……そうだよね……要はずっとトーキョーにいたから……」

 「うん……でも、私……」


 要の返答を耳にした途端、予想はしていたが、幽花は明らかな絶望感を顔に浮かべていた。

 黒い双眼は絶望感に揺らめき、やるせなさに唇を結び、眉間には悲しげな亀裂が走る。

 それでも、聞き分けの良い子どもを精一杯演じるように返事をする健気さに胸を締め付けられる。

 こんな自分のために泣きそうな顔をして、想ってくれる人の悲しみをいち早く取り除きたくて、要は懸命に言葉を続けた。


 「本当は……私も幽花とずっと一緒に、いたい……」

 「要……本当に……?」

 「うん……あのね……幽花に聞いてみたいことがあって、気になっていたんだけれど……」


 けれど、肝心な部分には未だ触れないまま、要は幽花にとっては一つの爆弾となりうる問いかけをついに投げかけた。


 「幽花……一緒に、病院へ行かない……?」


 幽花からすれば要の唐突な案に、やはり彼は首を大きく傾げる。


 「……どうして……?」

 「きっと不安なのかもしれないけれど、私も一緒に付いているから……今幽花が困っていることとか、お医者さんに話せば気が楽になると思うの……」


 今の幽花にとって病院に行くことは、閉じこもっていた殻を破って外へ出て行き、未来を向いての一歩になる。

 幽花の将来を思えば、このまま何もせずに閉じこもっていても何も変わらないし、前にも進めないだろう。

 ただ幽花にとっては重く辛い一歩になるだろう事を思い、要はそこに付き添いたいと決めた。


 「僕は……要がここにいて、話を聞いてくれたら、それでいいよ……」

 「え……でも……それだと……体調とか……」

 「僕にとって要がいてくれることが一番の薬だよ……それに……」

 「それに……?」

 「ごめんね……僕は病院にだけは……どうしても、行くわけにはいかないんだ……」


 純粋無垢な好意と共に絶対的な拒絶を示された要は、思わず口を噤んでしまう。

 恐らく、今は未だその段階ではなかったのだろう。

 らしくもなく焦ってしまった自分への軽い嫌悪と反省、幽花への申し訳なさに苛まれる。

 幽花は病院にだけは行くわけにはいかないと言った。

 島唯一の病院である百合島病院は百瀬家の息のかかった医師が管理している。

 それに、息女であり入院していた百瀬梨花が死んだ場所でもある。

 病院が百瀬家と関わりがあるのも、行きたくない理由の一つなのだろうか。

 要は理由を聞いてみたかったが、幽花が泣きそうな表情をしていたため、止めておいた。


 そこからは幽花から父親のことを訊かれて、要は話題を父親のことに移すことにした。

 手術自体は無事に終わったが、父親の意識だけは未だ戻っていない事を伝えると心配してくれた。


 「そういえばさ、昔夏祭りがあったよね……今はどうしているんだっけ」

 「今は……というか、この八年間は……夏祭り自体は中止になっているんだよ」

 「そうなの?」

 「最近、この島の人達も高齢化が進んで……若い人達も子どもも減っているから……立ち行かなくなってきているんだ……」


 夏祭り自体が自粛されている原因は、百合島以外の地方でも挙げられている人口減少と少若高齢化によるものが大きいらしい。

 言われてみれば、十数年前と比べると、島に息づいていた人の活気や気配が薄れたような気はしていた。

 要は内心納得している中で、儀式について詳しく訊いてみることにした。


 「夏祭りでは、儀式に出ていた幽花は……いつも綺麗だったなあ……」

 「あはは、覚えていたんだ、要。ちょっと恥ずかしいなあ」

 「そんなことないよ。幽花は本当に綺麗で色も白いから、まるで精霊みたいに様になっていた」


 花山院家が代々担ってきた神聖な儀式とはいえ、巫女の装いをする――つまり女装をすることに、幽花自身は気恥ずかしいものを感じていたようだ。

 儀式の巫女役は本来、花山院家の息女が担うらしい。

 しかし、今の当家には女の子が生まれなかったため、子息の幽花が担っていた。


 「そういえばね、要は信じてくれるかな……」


 幽花も当時を懐かしむように、遠くに咲いた山の白百合を眺めながら口を開いた。

 改まった口調から、聞き流していい話ではないと察した要は、よく耳を澄ませて頷いた。


 「僕はね……“百合神”様に会ったことあるんだ……」


 幽花から初めて耳にした“百合神”様の名前、と衝撃的な言葉に、要は「えっ」と声を漏らした。

 明らかに驚いている要の反応に、幽花は気を悪くした様子もなく、夢を辿っているような口調で語り始める。


 「夏祭りの儀式……箱の中に入る時、いつも隣から僕を眺めていて……一緒に箱の中へ入るんだ……でも、百合神様は……いつも悲しそうに泣いていた……」


 神霊体験と呼べる話をする幽花に、要は静かに耳を傾ける。

 百合神様は悲しんでいる……?

 要と同じ疑問を抱いたのか、幽花は幼い頃に目にした百合神様へ、率直に聞いてみたという。


 「僕は……“どうして泣いているの? ”って訊いてみたんだ……そしたら……こう言ったんだ……」


 ――から……だ……みつ……か……ら……な……あの……ひ……の……っ……くび……


 身体……首……?

 断片を繋ぐと不穏な言葉に、要の心に暗雲が立ち込めそうになる。

 対照的に静穏な表情を浮かべている幽花は、百合神様なる存在について懐かしむように語り続ける。


 「他にもね……少しずつだけど、色々なことを教えてくれたんだ……」


 かつて百合神様は一人の巫女であったこと。

 島の守り神を鎮める巫女としての役割を果たしてきたらしい。

 十六歳……儀式で巫女の本懐を遂げる年齢に差し掛かった頃、彼女に転機が舞い降りた。


 「或る日、外から島へ渡ってきた一人の若い男性と出逢ったんだって……」


 巫女は島の外から来た若い男性を神社に匿い、世話を焼いた。

 男性は純粋爛漫で清雅な巫女に魅せられた。

 巫女もまた生まれて初めて出逢った、誠実で温厚な男性に惹かれた。

 互いに恋に落ちた二人は将来を誓い合い、駆け落ちを決意した。


 「けれど……約束の場所に男性は現れなかったらしいんだ……」


 気まぐれか何かしらの事情によるものか、理由は定かではない。

 しかし、結局いくら待ち続けても、駆け落ちのために約束した場所に来なかった男性に、巫女は深く失望した。

 巫女は失恋の涙の中、生贄の巫女としての運命を迎え――百合神様と一つになった。


 「けれど、百合神様そのものになった巫女の魂は晴れることもなく、悲しみと怒りのまま……一度、この島を滅ぼしたんだ……」


 旧百合島が生まれて五百年目の儀式の後、島は一度滅んだ。

 理由は、悲恋の中で死を遂げた巫女の魂の慟哭が、そのまま憤る神として君臨してしまったのだろうか。

 もしも自分が未来を誓い合った相手から約束を反故にされ、寂しい地で独り生贄として生きたまま埋められるのを想像すると――。


 「……なんて……実は僕のお母さんがよく聞かせてくれたお伽話みたいなもの……って、要……泣いているの……?」


 いつの間にか要の双眸から透明な滴が硝子片のように零れ落ちる。

 物語に聞き入っている内に、何故か自分も巫女になったように感情移入していたらしい。

 職業柄、要は相手の心に共感と理解を示しながらも、あくまで自分の感情はコントロールすべきだ。

 しかし、目の前の幽花が穏やかに、けれど遠くを見つめる目で切なく語るからか、何だか泣けてしまった。


 「だって……その巫女さんは、きっと寂しくて、悲しくて……本当はもっと、生きていたかったんじゃないかって思うと……っ」

 「……要は優しいね……」


 憤る百合神様となった巫女の生き様に涙する要に、幽花はむしろ微笑ましげな苦笑を浮かべていた。

 要を慰めるために頭をポンポンと優しく撫でながら、何故か嬉しそうに口を開いた。


 「要に泣いてもらって……きっと彼女も……喜んでいるよ」

 「……? そう、なの……?」

 「うん……そんな気がするんだ……信じられないような話だけれど……」

 「……ううん……私も、信じるよ……」


 最後まで曇りのない眼差しで語るからか、何となく要も信じてみたくなった。

 それに要自身も呪いのアザの件で、今まで誰にも心の底から信じてもらえなかったという苦い痛みがある。

 最初に付き合った彼氏も、行方不明になった元彼氏の渡利からは「アザが勝手に浮き出てくるわけないだろう」、と真剣に取り持ってもらえなかった。

 誰にも信じてもらえない悲哀と孤独感を知っている要だからこそ、幽花を信じてあげたいと思った。

 要のそんな気持ちが伝わってきたのか不明だが、幽花の瞳が歓喜で煌めいた気がした。


 「ありがとう……僕は要を置いて行ったりはしないからね……」


 懐っこく猫みたいに擦り寄ってくる幽花にそう言われて、要は甘い安堵に包まれるが、同時に小さな罪悪感も覚えた。

 今まで幽花は要を責めたことは一度もない。

 それでも十五年前、一度は幽花を置いて逃げるように島を離れた要を、本当は彼はどう思っているのだろう。

 自分のことに重ねて考えてみると、例の巫女との約束を破った男はどうなったのかも気になる。

 やはり何かしらの理由で巫女を置いて島を離れたのか、それとも災害で命を落としてしまったのか。

 どちらにせよ、巫女の心を弄んだ男には天罰が下ったのかもしれない。


 「そういえばね、幽花……よかったらなんだけど……」


 昔話を聞いたことで不意に思い立った要は或る提案をした。

 幽花は目を丸くはしていたが、次の瞬間には昔以上に屈託のない笑顔で快諾してくれた。


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