死百合

水澄

プロローグ『栗花落要』

 昔からそうだった気がする。


 どうも私は“愛される”のが下手らしい。


 悲しいことに“愛する”ことも下手だ。


 栗花落つゆりかなめの子ども時代を振り返っても、実の父親には優しく名前を呼ばれたり、頭を撫でてもらって可愛がられたりした記憶は一切ない。

 理由はより明確らしく、母親曰く私が“息子”として生まれなかったから。

 父親もその祖父母も本音は男の子が欲しかったらしい。

 だから、私も父親に甘えたことは一度もなかった。


 小学校時代は“最悪”の一言で済ませられる。

 学校の先生はやたら私にばかり厳しい目と口を向けてきた。

 校庭マラソンの際は、他の生徒が辛そうに息を切らしていると「大丈夫か? もう少しだからがんばれよ」、と笑顔で励ます。

 なのに、私にだけは「ダラダラ走るな! 辛いフリをして逃げようたってそうはいかないぞ!」、と私の尻を竹刀で叩いた。


 授業では難題を私にばかり当ててきて、不正解をしたら「こんなこともできない あなたは本当に馬鹿ねぇ」、と笑うかチョークを投げるかだ。

 不思議なことに私を吊し上げる先生は一人や二人ではなかった。


 こんな調子で学校を過ごしていれば、他の同級生も揃って私を馬鹿にし、叩きのめし、いじめ尽くした。

 理由は正直よく分からなかった。

 母親曰く、私が“余所者の娘”だからとのこと。


 結局、私が十二歳の時に“ある事件”を機に両親は離婚した。

 娘である私の親権はアッサリと母親に委ねられた。

 父親にとっては娘に何の未練もなかったのだろう。

 母親と共に私は辛い思い出しかない田舎の百合島を出たことで、ようやく解放された。


 以降は母親の実家があるトーキョーで暮らし、穏やかな学生時代を送れたと思う。

 けれど、一緒に笑い合えるような特別仲の良い友達も、文化祭などでクラスメイトと情熱を分かち合うような青春も、尊敬できる先生から影響を受けるといったこともまるでなかった。

 私が高校を卒業してトーキョーの大学への入学を機に、実家を離れて一人暮らしを決めた際も、母は特に寂しいとは言わなかった。


 今までの私の人生は誰かに“愛される”というものとは、無縁だった。

 それは、私もまた誰かを“愛そうとする”ことができなかった結果なのだろう。

 そのせいか分からないが、私は生きることに意味も目標も見出したことはなかった。

 人との繋がりも、自己保存と利益のための打算でしかないと思えなかった。

 虚しさの塊である自分にわずかだけ自信が生まれたのは、大学で初めて付き合った彼氏の存在だった。

 けれど、その彼氏とも“あること”がきっかけで、気味悪がられて別れを告げられた。


 就職してからだいぶ仕事に慣れてきた二十五歳の時、仕事の関係で出逢った男性に告白されて付き合った。

 人生で二人目の彼氏である渡利は私のことを“愛している”と言ってくれた。

 けれど、私は気付いてしまった。

 渡利は私を“愛してはいない”し、私も彼を“愛せない”事実に。

 案の定、別れ話に激怒した渡利は“二回目の暴力”を私に振るった。


 『絶対、お前を逃さないからな』

 

 『僕から離れることは、許さないよ』


 髪を乱して頬を腫らした私を嘲笑いながらそう告げた渡利は、もはや私の知る彼ではなかった。


 このままでは、私は“偽りの愛”に殺されてしまう。

 

 人生で生まれて初めての危機感を覚えた私は、隙を見て渡利から逃げて――現在は“シェルター”に身を潜めている。

 シェルターはDV被害を受けている女性を一時的に保護し、今後の生活の支援を受けられる場所だ。

 幸いと言うのは不謹慎だが、私は暴力を振られていたのもあって緊急性を認められた。

 まさか、今までシェルターを紹介してきた自分が入る側の立場になるとは想像もしていなかったが。


 本当にとんでもないことになってしまった。

 支配欲の激しい男から逃れるためとはいえ、安息も住処も奪われ、仕事どころではなくなってしまった自分の今後に不安を覚えないわけがない。

 しかも、シェルターに在籍している精神科医からも“ショックな告知”を受けた。

 心当たりがあるといえばあるが、いつ頃から自分が病んでいたのかは分からない。


 いじめ、両親の離婚、失恋、就職、DVなど、挙げればキリが無い。

 自分でも混乱している中、さらに最悪な知らせに心が病みそうだ。


 「久しぶり、要ちゃん。元気にしているかな?」


 今まで音沙汰の一切なかった母親から、珍しく連絡が入ったからだ。

 当然ながら、母親は自分の現状も彼氏の存在のことも知らない。

 渡利に勘づかれることを危惧した私は、母親と祖母のいる実家に戻るのだけは避けていた。


 「うん、元気しているよ。お母さんとおばあちゃんは? どうしたの?」


 適当に当たり障りのない返答と共に、率直な疑問をぶつける。

 すると、電話口の母親は言いづらそうに沈黙してから意を決した様子で答えてきた。


 「あのね、お父さんがね――」


 母親から告げられた予期せぬ知らせ、と“お願い”に、私は暫く言葉を失ってしまった。


 これで、逃げられるのかもしれない――。


 同時に私は絶望と歓喜という複雑な感情に呑まれていた。



 ***

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