第二章⑧『真実の愛』

 「私だってそうしたいよ……でも、きっと……無理だよ」

 「……どうして?」


 口では不可能だとのたまいながらも、弱く浅はかな私はこの温もりを未だ手放せないでいる。

 要の言葉に幽花は突き放された子どもみたいに眉を下げて問いかける。

 突然島を離れた事や、元彼氏の件に限った話じゃない。

 きっと今の本当の私の姿を知れば、さすがの幽花だって離れていくだろう。

 否、優しい幽花だから仮に知ったらきっと自分を憐れんでくれるだろう。

 けれど、自分は同情なんかで幽花に傍にいてもらいたくない。

 これ以上、幽花を縛り付けたくない。


 「私……もうすぐ、死ぬのかもしれないの……っ」


 自分でも薄々感じていた不吉な気配――死の予感と危機を打ち明けた。

 要の口から零れた言葉があまりに衝撃的だったのか、幽花も言葉を失う。

 動揺する幽花に根拠を説明するために、要は「ちょっと、ごめんね」名残惜しそうに手を離すと鞄から一枚の写真を出した。


 「この写真は……」

 「交通事故で亡くなった森彩花の写真。肩のところに妙なアザがあるよね? 赤い花みたいな……」

 「う、うん……」

 「……私の左胸にも同じアザがあるの……っ」

 「同じ……アザが……?」


 要は無言で頷くと、シャツの襟ぐりを少しだけ下げ、花びらの先端みたいに突き出ているアザの一部を見せた。

 心無しか、花びらが育つようにアザが少し広がっているような気がした。


 「……いつ頃から……?」

 「八年前から……浮き出たまま、ずっと、何をしても消えないの……」


 元彼氏に相談した時は皮膚科に診てもらい、レーザー治療を受けてみたりもした。

 けれど、いくら調べてもらっても原因も正体も分からなかった。

 しかも一度レーザーで消したはずのアザは、次の日には治療前と変わらない姿で再び浮き出たのだ。

 さらに二度目のレーザー治療の際は、照明が落ちたり、機器類が故障したりなどの不可解な現象も起きた。

 まるで無理矢理アザを消す事も、逃れることも許さないかのように。

 ここまで話せば、さすがの幽花も自分の手には負えないと離れていくだろう。


 「……要ちゃんは……死なないよ……僕が死なせない」


 要の想いとは裏腹に、幽花は一度離れた手を再び繋ぎ、もう片腕で彼女の頭を抱き締めた。

 死なせない、とはどういう意味だろう。

 幽花自身も何が何だか分からなくなって、けれど要への強い想いだけで動いているような気がした。


 「僕は要とずっと傍にいたいから……」

 「……でも、私……もうすぐ死ぬかもしれないよ……? 森彩花だけじゃない……萩野太一、草部一也、あの百瀬梨花も……死んだんだよ……? だから、きっと私も……っ」


 これはきっと“呪い”なのかもしれない。

 百瀬梨花が死に際に言った事が本当なのであれば、きっと“ゆりがみ”様とかいう謎の存在の仕業。

 この赤いアザが発現してからというもの、要自身にも不可能な出来事や不幸が相次いでいる。

 あのアザが原因であの四人が最後に不幸な事故や現象で亡くなったのであれば、同じアザを持つ自分もきっと……。


 「大丈夫……要は僕が守るから……要は絶対死なせない……死なないから……」


 言葉だけ聞くと気休めでしかないはずが、何だか深い確信に満ちた声に、不思議と気持ちが安らいで行く。


 「本当、に……?」

 「うん」

 「私、きっと、幽花に迷惑かけちゃうよ……?」

 「今は僕から離れるほうが迷惑だ……」

 「私、うつ病だよ……? 一緒にいても落ち込んだり、泣いたりしてばかりで、幽花の負担になるよ……?」

 「僕は要がいてくれるだけで幸せ……」

 「私、こんな醜いアザがあるんだよ……」

 「……よかったら、見せてくれる?」


 一瞬躊躇したけれど、幽花の気持ちに真っ直ぐ応えたい一心で、私はシャツのボタンを二、三個外した。

 露わになったのは花のように広がる真紅の斑に、血管さながら今にも蠢きそうな筋脈。

 幽花は感情の見えない眼差しでアザを見つめる。


 「触れてもいい?」

 「え……う、うん……」


 自分ですら触れるのを躊躇する真紅へ、幽花はそっと指を伸ばした。

 花を慈しむような指先の感触は、ややくすぐったくも妙に心地良かった。


 「よかった……」

 「え……?」

 「感じるんだ……要は確かに生きていて……僕の目の前にいてくれる……」


 幽花は左胸の中央へ指の腹を当て、薄い皮膚越しに心臓の鼓動を感じ取る。


 「アザがあってもなくても、要は要のままだよ……」

 「幽花……」

 「僕はそのままの要を愛するよ――」


 たとえ手足や心臓を失っても――。


 氷砂糖のように甘く透明な言葉を囁かれた要の心は瓦解するしかなかった。

 同じ心臓の鼓動を奏でる広い胸へ顔を埋めた要は、声にならない涙を流した。

 もはや二人の間には、謝罪も感謝の言葉も意味を成さない。


 「要――」

 「幽花――」


 ただ空のように優しく澄み渡る沈黙の中、互いの呼び声が波紋していた。


 愛している、と代わりに囁くように。


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