第31話 鏡越しに

 昼食は穂乃香と二人で食べた。


 朱里と早崎さんが来るのは決して毎日というわけではないから、今日彼女たちが来ないことは特段不思議なことではない。


 だけど今日に限って穂乃香は、「朱里ちゃんたち来ないね」と言ってきた。


「まあ、毎日来てるわけじゃないからね」

「毎日くればいいのにね」


 私はそれに答えない。


 そりゃあ、毎日来てくれた方が楽しいけれど、今は素直に頷けない。


 いつも言葉が足りない朱里は、何を考えているのかわからない。

 彼女は、他の友達と話す時や集団で話すときは饒舌なのに、私と二人で話すときはそうではない。


 かつての朱里と今の朱里が頭の中で混ざり合って、本当の彼女がわからなくなる。


 私がぼうっとしているように見えたのか、穂乃香が首を傾げて言った。


「どうかした?」

「ああ、いや。なんでもない」


 私は首を振って答える。


 適当に穂乃香の話に相槌をうちながらいつものパンを齧る。


 だけど頭の中ではまだ朱里のことが渦巻いている。


 このままじゃだめだ、と思う。


 今朝からずっと、朱里との会話が頭から離れない。


「ごめん、ちょっとお手洗い」


 言って、私は立ち上がる。


「おっけ」


 廊下は、私と同じようにお手洗いへ向かう人や、洗面所の周りで歯磨きしている人、ただたむろしておしゃべりしている人で混みあっていた。


 彼女らの波をかき分けて歩く。

 中に入ると、偶然朱里と鉢合わせた。


 見たところ隣のクラスの友達と一緒に来ているようで、私は話しかけるか少し躊躇した。挨拶の一つくらいするべきかと迷ってるうちに、彼女がこちらに気づいた。


「アキ」


 彼女はちょうど手を洗っているところで、洗面台の鏡越しに私に話しかけた。

 鏡越しに目があう。


「や」


 想定していなかった事態に私からは、変な声で返事が出る。


 ……気まずい。


 朝の一件から、別に喧嘩したわけでもないけれど、なんとなく話しずらい。


「あ、今日、お昼来なかったんだね」

「行かない方がいいかと思ってさ。それに……」


 朱里はそう言って、出口付近にいる生徒達の方を見る。


「ああ、なるほどね」私は呟く。


 だけどその言葉がなんだか冷たく響いたような気がして、取り繕うようにして言葉を続ける。


「いつも、来ないときはあの人たちと昼ごはん食べてるの?」

「……うん」朱里は小さくこくりと頷く。

「仲いいんだ」

「まあね」

「そっか」


 私はなぜか、朱里が来ない日は早崎さんと二人で食べているんだろうと思っていた。


 朱里が他の友達と食べているなんて考えればわかることなのに。


 だって、二人で食べるなら毎日私の教室に来ればいい。


 彼女には、早崎さんのほかにもお昼ご飯を一緒に食べる友達がいる。


 そんなことは当たり前で、そんなことに驚いている私の方がおかしい。


 たぶん私は、彼女に私以外の友達がいるという事実を受容できていないのだ。


 だからこんなにも、彼女が私以外の人を優先しているという事実に困惑している。


「ハンカチ持ってる?」


 だがそんな私をよそに、彼女は洗い終わった手をぱっぱっとしながら私に尋ねる。


「うん」私はポケットの中を探る。「持ってるよ」


 差し出すと、朱里は「ありがと」と言ってそれを受け取った。


 自分の手を拭いて、朱里はそれを私に返す。


 受け取ってポケットにしまうと、朱里は「アキ」と言って私を見た。


「今日の放課後、空いてる?」


 その声に、私の心臓はどきっと跳ねる。


「……空いてるけど」


「じゃあさ」彼女は一瞬間をおいてから言う。「日暮れ公園、覚えてるよね」

「覚えてるよ」


 日暮れ公園とは、私たちが小学生の頃によく遊んでいた街区公園のことだ。


「放課後、そこで話をしよう」


 学外で、彼女と会おうとするのは初めてだ。


 私は彼女と仲良くなり過ぎないようにしていたし、彼女も放課後にまで私と接しようとはしなかったから、今まで放課後に彼女と遊んだり出かけたりすることはなかった。


 彼女とは確かに友達だったけれど、今もそうと呼んでいいのか私は確証を持てない。


 一緒にお昼ご飯を食べるような仲は『友達』なんだろうけれど、私と朱里との関係においてはなんだかしっくりこない。


 三年という絶対的な時間の隔絶は、私と彼女の間にあったなにかを連れ去ってしまった。


 当たり前に存在していた何かは、私が目を離した隙にどこかにいってしまった。


「……わかった」


 私は小さく頷く。


「三上さーん、何してんのー?」


 外からそんな声が聞こえてきて、朱里は「あ、そろそろ行くね」と呟いた。


「じゃ、また放課後に」


 彼女はそう言い残して去っていった。

 私も用を済ませた後に教室に戻る。


「遅かったね」


 スマホをいじっていた穂乃香が、私を見て言う。


「ああ、偶然朱里に会ったんだよ」

「なるほどね」


 穂乃香はスマホをいじる手を止める。


「朱里ちゃんって、小学校の時どんな感じだったの?」

「え、なんで?」


 私は少し身構える。


 なんでそんなこと聞くんだろう。


 いや、別に聞いてきたっていいんだけど、なんでわざわざ今日なんだろう。


 彼女のついての話題は、今は少しタイミングが悪い。


「ほら、朱里ちゃんってモテるから。昔からそうだったのか気になっただけ。結構告白とかもされてるらしいよ」


「へ、へえ」私は顎に手を当てて、少し考えるそぶりをする。


 小学校の時の彼女とのことは、積極的に誰かに話したいような話ではない。


 それは、今ではもう失くしてしまったけれど、確かに間違いなく私たちだけの大切な時間だったのだ。


「どうって言われてもな……。まあでもそんな、めっちゃモテてるとかじゃなかったよ。今ほど社交的なタイプじゃなかったし。どちらかと言えば、本とか読んで過ごしてるタイプだったんだよ」


「へー、そうなんだ」穂乃香は軽く頷く。「確かに朱里ちゃん、ちょっと翳のある感じするもんね」


 私から見れば朱里は、翳のある感じと言うか、翳の側の人間そのものなのだけれど、穂乃香からすると朱里は明るい側の人間に見えるらしい。


「朱里より私の方がモテてたんだから」

「えー、ほんとかなあ」

「がちだよ。でも朱里って、そんなに言うほどモテるの?」


 私は少し不安になって穂乃香に尋ねる。


 朱里が恋人を作るなんてことは万に一つもないだろうけれど、それでも彼女がどれくらい人気があるのかは知っておきたい。


「私も詳しくは知らないけどさ。ほら、朱里ちゃんって金髪だから目立つじゃない? だけど見た目に反して穏やかと言うか……。そういうギャップがいいんじゃないかな。顔も普通にかわいいし。結構朱里ちゃんの事気になってるっていう人多いって、噂は聞くよ」

「あー」

 私は深く頷いた。なるほどね。


 自由な校風を謳って、髪色などの規定がない我が校だが、そこまで派手な髪色にしている生徒は少ない。


 そんな中で明るく染められた髪色は、悪い意味でよく目立つ。


 それは時に人に威圧的な印象を与える可能性を孕む。


 遊んでそう、だとか。怖そう、だとか。


 だけどなるほど朱里の場合はそれがない。


「ねえ」気づけば穂乃香が、じっととした目で私を見つめている。「アキちゃんって、ほんとは結構朱里ちゃんと仲良かったでしょ。小学生の時」

「え」


 思わず、口から言葉が漏れ出る。

 ばれるような要素があっただろうか。

 別に知られてまずいことはなにもないけれど、彼女に隠し事をしていたようで少しきまりが悪い。


「……わかる?」

「なんとなくね。雰囲気かな。二人の」

「そっか……」私は少し息を吐く。「幼馴染なんだ、実は」


 嘘をついてまで隠す必要もないので白状すると、穂乃香はにやっとした顔で笑った。


「なんで隠してたの?」

「隠してたわけじゃないよ。ただ……いろいろと複雑なんだよね」

「なにー、それ」

「いろいろはいろいろ。解決したら話すから」

「そっか。じゃあ、気長に待つね」


 そういう、彼女の茶化しながらも深くは踏み込んでこない姿勢は、素直にありがたいなと感じる。


「うん。そうしてくれると助かる」


 そう言って私は頭の後ろをぽりぽりと掻いた。


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