第43話 結び目
朱里の手を取ったはいいものの、その然るべきつなぎ方がわからなかった。
握手のようなつなぎ方か、それとも――恋人つなぎか。
朱里は手を握られるのを待つ側だからずるい。
手のつなぎ方くらい、彼女に決めてほしいと思う。
別に、指を絡める手のつなぎ方にそういう名前がついているだけで、その行為自体にそこまで複雑な意味があるわけではないはずだ。でも実際そこにそういう名前がついているのが問題で、素直にそのつなぎ方をするのは躊躇われた。
――彼女にも責任を取ってもらおう。
「つなぎ方、これでいいの?」
彼女の指の隙間に私の指を入れて、軽く握る。
握り心地はいい。手にフィットするような感じがする。
というか、覚えがある。当たり前だ。
昔何度も繋いだ手なのだから。
「……いいよ。てか、早く帰ろう」
彼女はそわそわとしながら、辺りをきょろきょろと見回している。
もしかして、誰かの目を気にしているのだろうか。
そんなんだったら、初めから言わなければいいのに。
そんな態度でいられると、なんだか少しむかついてしまう。
――朱里から言い出したことなのに。
彼女は勝手に歩き出して、私はそれに引っ張られるようについていく。
彼女の手は、細く、だけど柔らかい。
他の誰かと手を繋いだことがあるわけでもないけれど、きっと彼女の掌は誰のものよりも心地がいい。
階段を下りていく。
私は自転車通学だ。
自転車を置いて、歩いて下校するわけにはいかない。手を繋げるのは駐輪場までだ。
「朱里、私さ。自転車で来てるから駐輪場までしか手繋げないよ」
「いいよ、別に」
「でも、そしたら手つなげる時間ちょっとしかないよ。こんなのがご褒美ってことでいいの?」
「だから、いいって言ってるじゃん」
彼女は言って、握ったその手に少し力を込めた。
その微妙な力の入れ方に、何かしらの意味があるように感じられたけれど、それが具体的になにを表しているのかはわからなかった。
「そう。なら、いいんだけど」
朱里は、昔と比べたらよく話すようになった。
それは今の彼女の交友関係の広さからも明らかだ。
だけど、私の隣にいる彼女は時折、昔に戻ったかような様子を見せる。
仕方ないから、私から口を開く。
「課題、大変だった?」
「まあ、それなりに、かな。早崎さんが結構手伝ってくれた。早崎さん、理系科目得意強いから」
「へえ、そうなんだ。学校で?」
「いや……。電話して、わかんないところ訊いたりとか」
「なるほどね。じゃあ、早崎さんにはありがとうだね」
なんだろう。そうは言ったものの、なんだか心がもやもやする。
朱里とこうして手を繋いでいられるのは、早崎さんのおかげと言っても過言ではないはずなのに。
「朱里、電話とかするんだね」
「そりゃあ、するでしょ」
「でも、私とはしたことないじゃん」
「それは……。じゃあ、する?」
彼女は問うて、私の目を見つめた。
なんだか、久しぶりに彼女と目を合わせたような気がした。
私は、思わず目を逸らす。
「別にいいよ。学校で話せるし」
その口から出た言葉は、おそらくただの強がりだ。
でも、「じゃあ」なんて言い方されたら、私だって素直にしたいなんて言いたくなくなる。
私は一人暮らしだから、正直に言ったら家では暇だし、時には寂しいって思うこともないわけじゃない。朱里と電話したら、そういう時間を埋められるのかもしれない。
だけど口から出たのは、それを叶えるような言葉ではなかった。
「……そっか」
そう朱里は呟いて、私はそれに何か返すこともできなくて、だから結局私たちの間には少しだけ重たい沈黙が横たわっていた。
それとは無関係に繋がれていた掌だけが、私と彼女の関係を繋ぐ唯一の結び目のような気がした。
駐輪場に着いても、繋いだその手を離すのは躊躇われた。
……今日は、歩いて帰ろうかな。
思わずそう言ってしまいそうになる。
そうすれば、少なくともあと数十分はこの手を離さずに済む。
だけどその思いは、朱里の「じゃ、ここまでだね」という声とともにあっさりと絶たれた。
手が離されて、朱里は両手を後ろに組む。
「ああ、うん」
私は鞄の中から自転車の鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。
朱里の鞄と私の鞄を前の籠に入れて、スタンドを蹴り上げた。
「じゃあ、行こうか」
私は彼女に告げて、自転車を押して歩いた。
彼女は私の隣について歩く。
「どっか寄ってく?」
「ううん。最近課題で睡眠時間削ってたから、今日は早く寝たい」
「そんなに寝てなかったの?」
「一日四、五時間くらい」
「やば。私の半分くらいじゃん」
「それは、アキが寝すぎ。変わんないね、昔から」
「暇なんだよ、案外一人暮らしってさ」
和菓子屋さんの前。交差点の信号に立ち止まる。
「いつも家で何してるの?」
「勉強したり、映画見たり、本とか漫画読んだり、あと、ギター弾いたりとか」
「そう言えば、小六の時貰ってたね。アキって、ちゃんとギター弾けるの?」
「弾けるよ。一応これでも、三年くらいは続けてるんだから。だって、ほら。触ってみてよ」
私は左手をハンドルから離して、指先を彼女に差し出す。
「指先、かたくない?」
朱里が私の手を取って、人差し指と親指で私の指先を摘まんだ。
「ほんとだ。かたくなってる」
「そう。たくさん弾いてると指先がかたくなるんだよ」
「じゃあ、結構弾けるんだ」
「まあ、人並み程度だよ」
信号が青になって、私たちは再び歩き出す。
無機質なハンドルを握る私の両手が、彼女の柔らかな感触を求め始めた。
でもどう考えたって、片手で自転車を押しながら手を繋ぐなんておかしいし、バランス的にも難しい。
どうにも、上手くいかない。 自分の事も、彼女の事も。
言いたいこともうまく言えないし、依然として彼女の事もよくわからないままだ。
……もっと、上手くやりたい。頑張らなきゃな、と思う。
関係なんて慣性で進んでいくけれど、私たちの乗っている電車の車輪は、長い間使われなかったせいで錆びついてしまっている。その錆をとるための努力はしなければならない。
「たまには、歩いて登校してみようかな」
拾われなければいいとどこかで思いながら、私は独り言のように呟く。
でもその言葉はしっかりと朱里に拾われてしまった。
「なんで?」
「さあ」私は適当に返す。「誰かさんのためじゃない?」
私が言うとさすがの朱里も気がついたようで、むっと押し黙る。
「私は自転車の方が楽なんだけどね。誰かさんには、そうした方が都合がよさそうだから」
唐揚げ屋さんに近づく。
香ばしい匂いが駅前の通りにも漏れ出ていて、小さくお腹が鳴る。
だけど、そっちの音は朱里に拾われなかった。
ハンドルから手を離して、相変わらず何を考えているのかわからない顔で隣を歩く彼女の肩を拳で叩く。
「……なに?」
「別に」
意味が解らない、というように朱里は眉を顰める。
それでいい、と私は思う。いくら考えてもわかりはしない私の行動の意味を、ずっと考えていればいいと思う。
横目で彼女を観察しながら歩いていると、突然彼女は私の制服の袖を引っ張るように掴んだ。続けてはあ、と息を落とす。
「……じゃあ、たまに、お願い」
彼女はそう言って、俯いた。
三年前の彼女と、その幼気な姿が重なる。
私も一息おいてから肩を軽くぶつけて、「朝早く起きれたらね」と付け加える。「だけどあんま期待しないでよ」
朱里はその言葉に、ぱっと顔をあげた。その頬にはこころなしか含羞の色が浮かべられているように見えた。
そして彼女は、湿気をはらみ始めた風に煽られた前髪を抑えながら言った。
「うん。期待しとく」
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