第20話 塔と帰途
数枚写真を撮ってもらった後、私はカメラマンのおじさんに撮った写真を見せてもらった。
私が朱里に腕を絡めている写真。
私が朱里に寄りかかっている写真。
二人でピースしている写真。
最初の二枚の朱里はどこか不満そうに眉根を寄せているけれど、最後の写真では口角をあげていて、笑顔を作ろうという意志は感じられる。
朱里は笑顔を作るのが下手だ。
先ほど自ら撮った写真では上手く笑えていたけれど、被写体になるとどんな客観的な自分の姿を意識しすぎて笑い方がわからなくなるのだろう。
確か、撮ってもらった写真は、卒業アルバムにも載ることもあるらしい。
載るとしたら最後の写真だろうな。
「この写真ってどうなるんですか?」私はおじさんに尋ねる。
「んー、そうだな。今日僕がここで撮った写真は、後日小学校で張り出されるだろうから、そこで買えるんじゃないかな。ほら、写真に番号が割り振られていて、欲しい人はそれを書いて提出するってかたちで。わかるかな? ああそう、あと卒アルにも載るかもよ」
カメラマンのおじさんは感じのいい笑みを浮かべながら、私たちにそう教えてくれた。
「わかりました」
よかった。
それならこの写真たちがたとえ卒業アルバムに載らなくても、私はそれらを入手することができる。
「だって、朱里。よかったね」
「うん」
私は朱里に言う。言って、気づく。
学校にこの写真が貼り出されるならば、この三枚の写真はみんなの目に触れることになる。
三枚目はまあいいとしても、最初の二枚は、何と言うか、個人的すぎる。
それに、このいつも私にしか見せない朱里の表情がみんなの目に触れるのは、なんとなく嫌だった。
「ん? どうしたの、アキ」
気づけば朱里が私の顔を覗き込んでいる。
いつもは鈍感なくせに、こういう時だけ妙に朱里は察しがいい。
「別に、なんでもないよ」私は小さく息を吐いた。
「そう」
私はカメラマンのおじさんに、「ありがとうございました」と言って軽く頭を下げた。
「写真、絶対買います」
「うん、いい写真だからね。買ってもらわないともったいないよ」
「はい」
「じゃあね、お二人さん。いい一日を」
そう言うとおじさんは去っていった。
「朱里も買ってね」私が言うと、朱里は「そりゃ買うでしょ」と私の目を見ずに返した。
しばらくしてクラス活動の時間になると、私たちは大型遊具の前に集まった。
その中でかくれんぼをすることになっていた。
私たちの班から一人鬼を決めるということになって、四人でじゃんけんをした結果、私が鬼となることが決まった。
こういう時、私はいつも朱里と行動を共にしているから、彼女と離れて行動するのは久々だった。
私は大丈夫だけれど、彼女は一人で大丈夫だろうか。
だいたいの人は、仲のいい友達同士で固まって行動するだろうけど、彼女は私以外に取り立てて仲のいい人なんていないだろうから。
「朱里、一人で大丈夫?」
「なに、大丈夫って。馬鹿にしてる?」
「してないよ。でもほら、こういう時、いつも私たち一緒にいるでしょ」
「心配ないって」
朱里がそう言うなら、私から言うことは何もないけれど。
とはいえ、それはそれで一抹の寂しさを感じないでもない。
「そっか。じゃあね」
数分待って、かくれんぼが始まる。
遊具の内部は立体的な迷路のようになっている。
道が入り組んでいるし、ロープでできた道やジャンボスライダーなど、本気で動くには危ない道もあるから、鬼ごっこだと少々危険が伴うのだ。
私はほかの鬼の二人と手分けして遊具の中に入った。
一人、二人と見つけて、捕まえていく。
だいたいの人は奥までは行っていない。手前を歩き回っていたら大体数見つけられた。
それでも、目当ての人がいなくて、私は奥まで入り込んで行く。
奥まで進むと、外れに小さな塔と繋がる網でできた橋があった。
渡って行くのは少し怖かったけれど、まあやらなければならないことは仕方ない。
ここは行きどまりだから、隠れるにはあまり適してはいないだろうけれど、一応確認しておかなければならない。
一歩踏み出すたびに、みしみしと不快な音が鳴ったが、なんとか橋を渡りきって中に入る。
その空間は、遊具の一部なのだから仕方ないけれど、お世辞にも綺麗と言えるようなものではなかった。
壁に取り付けるように設置されたベンチは砂をかぶっていて、壁のコンクリートは靴跡や何かの傷で汚れていた。
そしてその中に、取り付けられた窓から外を覗くようにして、ベンチに腰かけている少女がいた。
それは、どこかの囚われの王女を連想させた。
「…何してるの?」私は恐る恐る声をかける。
彼女の様相はどこか儚げで、彼女の作るその景色を壊してしまうのはなんとなく躊躇われた。
すると、彼女はおもむろに私の方に目を向けた。
「待ってたんだよ」朱里は私の方を指さして言った。
「私を?」
朱里は小さく頷いた。
「うん。遅いよ」
「それは、ごめん」とりあえず、私は謝る。「一人?」
「見たらわかるでしょ」
「他の人、来なかった?」
「来なかったよ」
「そっか。じゃあ私が初めてか」
そう言うと、朱里の瞳は少し揺れたように見えた。
「他の人はわざわざここまで来ないだけだよ」
朱里は目を伏せて、言い訳をするように呟く。
「それでも、だよ」
私は朱里の隣に腰かける。
「アキ、鬼でしょ。座ってる暇あるの?」
「いいのいいの。誰もまじめにやってないからさ。それに、私の事待ってたんでしょ?」
私は朱里の肩に頭をよせる。
どうせ誰も来ないだろうし、これくらいどうってことない。
「そういう意味じゃないけど」
私は朱里の言葉を無視して続ける。
「なんでここにいたの?」
「人のいない方に歩いてたら着いた」
「あの網の橋渡るの怖くなかった?」
「怖かった。……だから帰りは一緒に渡ろう」
その言葉に、私は少し笑った。
「そうだね」
「今どんな感じ? みんな捕まえた?」
「わかんない。でも、だいぶ少なくなってるとは思うよ」
「そっか。じゃあそろそろ行かないとかな」
朱里は立ち上がろうとするけれど、私は彼女の服の袖を摘まんで引き止める。
「あとちょっとこうしてようよ」
「…いいけど」朱里は再び腰を下ろす。
塔の外では、クラスの友達の笑い声が聞こえる。
三月も半ばを過ぎて、だいぶ暖かくなった。
桜が咲くのはまだ先だろうけれど、蕾はすでに綻びかけている。
そして私は、不意に思い出す。
「ねえ」私は口を開く。「ここってさ、あのトンネルみたいだよね」
「そう?」
「ほら、いい感じに狭いし。外の声とか聞こえてきてさ。世界から少し切り離された感じがしない?」
「ああ」朱里は軽く頷いて言う。「それならわかる気がする。……私、あそこ好きだったな」
「私もだよ。最近は、行く機会もなくなっちゃったけどね」
私は何の気なしに小窓から外を見る。
もうすぐ中学生になる。
私が中学生なんて、想像もできない。
それでも大人になるんだな、と思う。
こうやって、よくわからないままゆっくりと大人になっていくんだろうな。
「朱里」
彼女の名前を呼んで、振り返る。
朱里も私の方を向いていてようで目が合う。
私のことを見ていたのかと考えたけれど、おそらく朱里も私と一緒で窓の外を眺めてたのだろう。
「キスしよっか」私は言う。
朱里は軽く目を見開く。
「なんで、急に」
「いろいろ思い出しちゃって、なんか寂しくなっちゃって」
私が少し早口で理由を話すと、朱里は軽くため息を落として、いいよ、と小さく言った。
そして続けて、「実は…… 私もしたいと思ってた」と言った。
その言葉に私の心臓は、どくんと大きく動く。
そうして朱里は目を瞑る。
ずるい。
そんなこと言っておいて、結局は私にゆだねるのか。
私は彼女の耳許に手を当て、顔を寄せる。
抗議の意を込めて、私は彼女の下唇を甘く噛む。
だけど予想に反して彼女はおとなしい。
私の行為を抵抗せずに受け入れている。少し拍子抜けした。
こんな朱里は知らない。いつもと違う感じがする。
こんな時、私はどうすればいいのかわからない。
私は一度唇を離す。
彼女の瞳を覗くと、うっすらと何かが滲んでいるように見えた。
「ごめん、痛かった?」
尋ねても朱里は答えず、代わりに私の鎖骨辺りの服で目元のそれを拭った。
「どうしたの」私は思わず声をかける。「なんか、いつもと違くない?」
「そんなことないよ」朱里は伏し目がちな表情で私に言う。「目瞑って」
朱里は言いながら私の瞼を手で覆う。
そして唇に触れる。おそらく彼女のそれで。
下唇を噛まれる。私のそれとは違い、少し噛んだ後、それを癒すように軽くついばまれる。
彼女の声が聞こえる。
声は出していないはずなのに、明らかに彼女の声を近くに感じる。
私は舌で彼女の唇をつつく。
すると、私のそれと同じもので私の唇もつつかれた。
――不意に頬に冷たい感触がして、私は顔を離す。
目を開けて朱里の目を見ると、そこからは数滴、涙が流れていた。
「朱里、やっぱり、泣いてる?」私は問いかける。
「ううん」彼女は首を小さく横に振って、自分の頬を指でなぞった。「泣いてない」
そうはいっても、彼女が泣いているのは明らかだ。
声が震えたりすることはなくても、ほのかに赤らんだ目は隠しようがない。
「何で泣いてるの?」
彼女の否定の言葉に構わず続けると、朱里は「……わかんない」と言って俯いた。
私は自分の服の袖で彼女の目元を拭う。
「ほら、もう泣かないでよ」私は冗談めかして言う。そして立ち上がり、彼女へと手を差し出す。
「泣くつもりなんてなかったのにな」朱里は私の手を取りながら言う。
そのまま手をつないで、網の橋を渡る。
行きよりは怖くない。何より、自分より怖がっている人が横にいると冷静になれた。
二人で横並びで渡るには少し狭かったけれど、私は彼女の肩を寄せて渡った。
「よく一人で渡れたね」
「うん。ぼーっとしてたのかもね」
「なにそれ」
遊具から出ると、ちょうどかくれんぼが終わる頃で、他の鬼の友達から「あ、アキ。アキたちが最後だよー。遅かったね」と言われた。
「ごめんごめん。朱里が遠くまで行ってたから、遅くなっちゃった」
「なるほどね」
その後は自由時間で、希望者は集まってドッジボールや鬼ごっこを続けていたいたけれど、私たちはそんな気はなく、付近のベンチに座ってそれを眺めていた。
私たちは友達のプレーに茶々を入れたり、転がってきたボールを投げ返したり、適当に話したりした。
朱里に、転がってきたボールを投げ返すようにとボールを渡すと、躊躇いながらも思いっきり投げていてかわいかった。
クラスメイト達も笑っていた。
帰る時間になって、また実里ちゃんと沙耶ちゃんが私たちの隣に来た。
帰り道では実里ちゃんは遊び疲れたのか眠そうで、ほとんどしゃべらなかった。
というか、歩きながら寝ていた。
ふらふらと歩いていて、私が手を引かないとどこかにぶつかってしまいそうだった。
だから私は、彼女が転んだりつまずいたりしないように気を付けてゆっくりと歩きながら、考え事をしていた。
考えていたのは、なぜ朱里は泣いていたのかということ。
いろいろ考えても納得できるような答えは出なくて、本人に訊こうにも、朱里さえわかっていないようだったからお手上げだ。
前を歩く朱里は、行きと比べて多少沙耶ちゃんと打ち解けたようで、時折笑顔を浮かべながら何かを話している。
本当に彼女の涙に理由なんてなくて、この心配がただの杞憂だったならいいのだけれど。
「何話してるの」
私は二人に声をかけて会話に混ざる。
そうしているうちにあっという間に学校に着いた。
帰り道の方が短く感じるのはなぜだろう。
実里ちゃんに声をかけて起こす。
学校に着いていることに驚いていた。
「家に着くまでが遠足です」
お決まりの文句を聞いて、遠足は解散となった。
実里ちゃんはクラスの友達と一緒に帰るそうで、私たちは二人で帰途に就いた。
「今日、家来る?」
「ううん、今日はいいや。眠くなっちゃった」
朱里の問いに私は少し首を横に振って応えて、少し笑った。
明日は振り替え休日で休みだから、次会うのは明後日になる。
「そっか」
「じゃあ、また明後日、学校でね」
私はいつの間にか繋いでいた手を離していた。そしてその手を振る。
「うん、またね」
朱里はそう言って私に手を振り返して背を向けた。「またね」
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