第21話 卒業式
卒業式を迎えた。
どこからか来た知らないおじさんが壇上で何かを話している。
私はその話を聞くことよりも、変に動かないことや、起立と着席のタイミングを意識することに必死だった。
卒業証書の授与は終わっていて、しばらく私には何もすることがない。
授与の際には、壇上から遠目にお父さんが見えた。その隣にはゆずさんがいた。
私の前には朱里が証書を受け取っていて、彼女が緊張しているのはその表情や動きから明らかだった。
名前を担任の先生に呼ばれた時の声こそ裏返っていなかったものの、足の運びは角ついていて、階段の降り方はぎこちなかった。
私の前にいる人がそんな調子だから、私はあまり緊張しなかった。
階段を降りるときには、お父さんたちに向かって小さく笑顔を作るくらいの余裕があった。
色んな大人の人の話がやっと終わって、合唱の時間が始まる。
私たちは壇上に上がり、合唱曲の準備をする。
指揮とピアノの生徒が来賓の方々に向けて深く頭を下げて、私たちは合唱を始める。
合唱曲は、一応この日のために練習してきてはいるけれど、そこまで自信を持って歌えると言えるほどの仕上がりではない。
それでも歌い終わった後にお父さんたちの方を見ると、お父さんは涙目でゆずさんは泣き腫らしていたから、それなりに意味のあったものなのかな、と思った。
式が終わって教室に戻り、卒業アルバムを担任の先生から貰う。
先生の話を横目に、卒業アルバムを薄く開いて中の写真を見る。
先日の私と朱里の写真が載っていた。
そのこと確認して、卒業アルバムを閉じる。
そして数秒してからまた開き、その写真を眺めた。
ふと担任の先生の方に顔を戻したら、ちょうど目が合ってしまった。
私がぎくりとした顔をすると、先生は顔をむっとさせた。
最後くらいちゃんと話を聞きなさい。と、先生の表情が語っていた。
私は軽く頭を下げて、居住まいを正す。
「それじゃ、私の話はこれくらいにして」先生が言う。「これから一人一人、皆に向けて挨拶をしてもらいます」
その言葉に私たちは、えーと不満を漏らしたり、顔を見合わせて苦い顔をしたりした。
反応はそれぞれだ。だけどそれを本気で嫌がっている生徒はいないように見えた。
とはいえ、今更改まって話すというのは気恥ずかしい。
「それじゃ、名簿順にいこうか」
ざわざわとした教室の音をかき消すように、先生は言った。
一人ずつ教室の前に立つ。
私の名簿は後ろの方だから、まだ順番はまわってこない。
だからあまり緊張せず、彼らの話を聞いていた。
そもそも、大半の生徒は地元の公立中学にそのまま進学するから、特段離れ離れになるというわけではないのだ。
みんなそれをわかっている。
だから今までに対する感謝と、これからもよろしくという旨の挨拶が大半を占めていた。
それでも中には感極まって涙を流す友達や、それに触発されてもらい泣きする友達もいて、そういうのを通して、あ、卒業式なんだ、と実感してきた。
ぼうっと彼らの話を聞いていると朱里の番が回ってきて、朱里が立ち上がって前に向かうのが見えた。
彼女は今、何を思っているのだろうか。
「今まで、ありがとうございました」教室の前に立ち、朱里が軽く頭を下げる。
そして小さく息を吐いて、呼吸を整える。
それを数回繰り返してから、訥々と話し始めた。
「今まで、ありがとうござしました。私は人見知りだから、みんなに迷惑をかけていた部分もあったと思います。それでも、みんな私と仲良くしてくれて、ありがとうございました。話かけてくれても、あんまりうまくしゃべれなかったと思うけど、話しかけてくれて嬉しかったです」
朱里はそう胸の内を語る。
彼女がそんな風に思っていたなんて知らなかった。
「そして……私は、ほとんどアキとしか一緒にいなくて、だからたぶん、彼女がいろんな部分で助けてくれていたんだと思います。だからアキに、ありがとうって言いたいです」
朱里はそう言って私の方を見た。
同時に教室中の視線も私に集まった。
「今まで、ありがとね」
朱里は少し微笑んで言った。
私は数秒固まった。
今まで、なんて。これで終わりみたいな言い方をするから、不意に泣きそうになった。
ありがとうなんて言われても、私は何もしていない。
むしろ私を助けてくれるのはいつも朱里のほうだ。
数秒経って、背中から熱くなっていくのがわかった。
たぶん、私の顔はいま赤らんでいる。
教室の静寂を感じて、みんなが私の返答を待っているのだと気づいた。
「いや、ありがとうなんて、言わなくていいよ。私何もしてないし」
私は急いで立ち上がって言う。言い出した時、涙で少し声が詰まった。
「こっちこそありがとうだよ」
私は朱里に笑い返して席に座る。
朱里はじゃあ、お互い様ってことで、と小さく言った。
「言いたいことはこれくらいです。皆さん、今までありがとうございました」
朱里はそう言って席に戻っていく。
次は私の番か。
さっき少し話した手前、改めてみんなの前で話すのが気恥ずかしい。
私は少し重い足取りでみんなの前に立つ。
「えーっと、皆さん、いままでありがとうございました。みんなと同じクラスで最後の一年間を過ごせて、とても楽しかったです」
私は頭を下げる。
「とは言っても、ほとんどの人は中学校も同じなので、これからもよろしくお願いします」
私は出席番号が一番最後なので、とりあえず先生にも挨拶をする。
「そして、先生。最後の年の担任が先生でよかったです。先生のおかげで楽しい一年を送れました。ありがとうございました」
私は先生に向けて頭を下げた。
空気を呼んだ他のクラスメイトからも、ありがとうございました、という声が続けて上がった。
……なんとかいい感じに締めれたんじゃないだろうか。
私が席に戻ると、また先生からみんなへの言葉があった。
中学でもがんばれとか、忘れないでいてほしいこととか、そういうこと。
私はそれを聞き流しながら、さっきのことを反芻する。
一つひっかかる点をがあった。
私を含むクラスメイトは、今までありがとうということ、そしてこれからもよろしくということ。話していたのはだいたいこの二つだ。
だけど、朱里は前者を語るまでで、後者について話すことはなかった。
だから、ということはない。
別に、それを話さなかったからといって、何かが確定するわけでも、何かが変わるわけでもない。
そうはわかっていても、この胸に蟠っている不安は消えることがなかった。
一連の行程が終わって解散となると、私は朱里の方へ向かった。
朱里は私に対して、何か言わなければいけないことを、言っていないのではないか。
そのことを聞こうと思っていたのだけれど、いざ朱里を前にすると、結局私は何も言えなかった。
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