第22話 大きくなったね、私たち
「朱里」私は彼女の座る席の傍まで行って、話しかける。
「さっきのって、なに?」
「さっきのって?」
「いや、前でさ」
私は目線で彼女に示す。
「言葉の通りだけど?」
「や、まあ、それはいいんだけど。……恥ずかしかったんだけど」
「私も恥ずかしかった」
「……まあ、いいや」
私は小さくため息を吐いて、朱里に卒業アルバムを手渡す。「これ、書いてよ」
最後の空白のページに、メッセージを書いてもらうためだ。
「任せて」朱里は私の卒業アルバムを受け取って、机の上に開く。「あ、でも、見られたくないから、ちょっとどっか行ってて。家に帰ってから見てよ」
「え、なんで」
「いいから、早く」そう言って朱里は、私に背を向けてしまった。
仕方がないから、私は朱里の言葉に従う。
仲のよかった友達のところに向かい、その友達の卒業アルバムにメッセージを書いていく。
「あれ、アキちゃんのは?」
「あー、今朱里が書いてくれてる。後で持ってくるから、その時書いてよ」
「おっけー」
一通り友達の卒業アルバムにメッセージを書き終わって、そろそろと思って朱里のところに戻ろうとすると、担任の先生の声をかけられた。
「吉井さん」
「あ、はい」
私は振り返る。
「卒業おめでとうございます」先生は穏やかな笑みを浮かべていた。
「さっきは、ありがとうございました」
何の事だろうと考えて、先ほどの挨拶のことを思い出す。
「ああ、いや。全然」
「ありがとうございます。嬉しかったです」
「そう言われると照れますね」
私はぽりぽりと後頭部を掻く。
「それにしても、あれには驚きましたね」
言いながら先生は、机に向かっている朱里の方へ目を向ける。
私も先生の目線を追う。
「そうですね。……私も、びっくりしました」
「先生もびっくりしました。朱里さんは、いい友達を持ちましたね」
先生は私の方に視線を戻し、優しい顔で言った。
「それって私の事ですか? やめてください、私ほんとに何もしてないんですから」
私は顔の前でぶんぶんと手を振る。
「朱里さんのことは、大切にしてあげてくださいね。難しい性格をしていますから、彼女にとってアキさんのような存在は貴重です」
先生は、難しい顔をしていた。
固くならないように笑いながらも、何かを憂いてるような。
「当たり前じゃないですか。私たち、親友ですから」
「……そうですね」先生は目を細めて言った。「私の杞憂だったみたいですね」
先生はそこで息を一つ吐いた。
「言いたかったことは以上です。改めてアキさん、卒業おめでとうございます」
「こちらこそ、今までありがとうございました。また、顔出しに来ますね」
「ええ、楽しみにしています」
私は先生と固く握手をしてお辞儀をし、朱里の方に戻っていく。
「ただいま」
「アキ、遅かったね。先生と何話してたの?」
「別に、大したことじゃないよ」
「なに、怪しいよ」
「何でもないって。それよりも、メッセージ、書き終わった?」
「ああ、うん」朱里は閉じられた卒業アルバムを私に手渡した。「さっきも言ったけど、家に帰ってからみてね」
「わかってるよ、ありがとう」私は朱里に言う。「ちなみに、何書いたの?」
「言わないよ」
「だよね」
「じゃ、ちょっと待ってて。麻衣ちゃんたちに書いてもらってくるから」
言って、私は麻衣ちゃんたちの方へ行く。
彼女たちはちょうど集まっていたから、まとめて書いてもらうには都合がいい。
「麻衣ちゃん、書いてくれない?」
私がそう言って卒業アルバムを手渡すと、「もちろん」と麻衣ちゃんは大きく頷いてメッセージを書いてくれた。
他の友達もそれに加わって、白紙のページにメッセージを記入していく。
一通り書いてもらった後、卒業アルバムを私に返す際に、葵ちゃんが何かを心配するように言った。
「朱里ちゃんのメッセージさ、見た?」
「いや、見てないけど。なんかあった? 気になるじゃん」
「そうなんだ。……まあ、気にしないで。別になんでもないと思うから」
いまいち葵ちゃんの態度は釈然としないけれど、そんなこといちいち問い詰めるわけにもいかない。
「……そっか。じゃあ、また中学校でもよろしくね」
「うん。春休み、皆で遊ぼうよ。また連絡するから」
「おっけ。わかった」
私は朱里の方に再び戻る。
朱里のメッセージが見れない以上、葵ちゃんたちのメッセージも家に帰るまで見ることができない。
「じゃ、お父さんたちのとこに行こっか」
「そだね」
私たちは教室を後にする。
いつも通り出ようとして、この教室に来るのは今日で最後だということがふと頭をよぎる。
まだ数人が残っている教室。先生とおしゃべりしたり、黒板に何かを描いていたりしている。
「なに、どうしたの?」
前を歩く朱里に尋ねられて、なんでもない、と言ってすぐに追いつく。
「証書授与の時、私のお父さんとゆずさんいたの気づいた?」
廊下をゆっくりとした足取りで進みながら、私は朱里に尋ねる。
「うそ、気づかなかった。緊張でそれどころじゃなかったから」朱里は首を横に振る。
「だと思った。後ろから見ててもわかったよ」
「忘れてよ」
私は笑って続ける。
「たぶん、校門のあたりで待ってるはずだから」
「そう言えば私、式終わった後の集まる場所とか、何も聞いてなかった」
「まあ、でもたぶん校門のとこにいるでしょ」
階段を下り、踊り場の鏡に私たちの姿が映る。
入学した当初は、この鏡が怖かった。
夕暮れ時になると斜陽が反射してなんだか不気味だったし、鏡面についたなにかしらの傷は、それに映る私たちの姿を少し歪めていた。
でも今じゃ、それも見慣れてしまった。
見慣れてしまえばそれはただの鏡とそれに着いた傷で、どこまで行ってもそれ以上の何かではなかった。
「大きくなったね。私たち」
いつの間にか立ち止まっていた私に、隣の朱里が言う。
「そだね」
靴箱で上履きを履き替えて、校門へ向かう。
校門の前にはたくさんの人だかりがあって、お父さんたちを探すのは想像よりも難しそうだった。
こうなるんなら、もっとちゃんと決めておけばよかった。
「どうしようか」
「歩いとけば見つかるでしょ」
朱里の言葉にしたがって校門の周りを歩き回る。
お父さんたちは結局、校門から少し離れた駐車場にいた。
車のそばでお父さんとゆずさんが話しているのが、遠くから見えた。
私は頭上でぶんぶんと手を振る。
「全然校門の近くじゃないじゃん」
「いやあ、最初はそのつもりだったんだけど、思ったより人が多すぎてな」
「私たちが見つけられなかったらどうするつもりだったの」
「どちらにしよ、もう一回校門のほうに戻るつもりだったんだよ」
お父さんは、言い訳するように首許に手を回しながら言った。
「ほら、写真撮らなきゃいけないから」
私はもー、と言って不満を示す。
「アキちゃん、卒業おめでとう」
ゆずさんが微笑みながら私に言う。
「ありがとうございます」
「授与の時、手振ったでしょ」ゆずさんはにやっと笑って言った。
「あ、気づきました?」
「気づいたよ」
「ゆずさんは泣いてましたね」
「あ、ばれた?」
「見てました」
私はにやっと笑った。
「朱里は……」ゆずさんは朱里の方を見た。
朱里はそれにそっと目を逸らした。
「緊張してた?」
「そりゃするでしょ。あんな大勢の前で。緊張しないアキがおかしいんだよ」
「私も緊張してたよ。目の前の人が緊張しすぎてて逆に冷静に慣れただけ」
しばらくそんなふうに話した後、私たちは校門の前まで行って、卒業式と書かれた看板の前で写真を撮った。
入学式の時のことはほとんど覚えていない。
その時もたぶん、ここで写真を撮ったはずなのだけれど。
そもそも、入学式の時は卒業式の事なんて想像さえしていなかった。
ここで六年過ごしたのだ。
写真を撮り終わって、お父さんとゆずさんが帰ろうと駐車場に向かって歩き出す。
私は朱里の袖をつかんだ。
「朱里、ちょっと歩かない?」
私は朱里の返答を待たず、お父さんとゆずさんに「私たち歩いて帰るから、先返ってていいよ」と言った。
「わかった。遅くならないようにするんだよ」
「ゆずさん、すみません。朱里借りますね」
「今日中に返してくれたらいいからね」
「わかりました」
私は明るい声で返して、朱里の手を引いて校門をくぐって行った。
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