第46話 二人での登校

 昨日は目覚ましよりも早く起きたけれど、今回は目覚ましの音とともに目覚めた。


 いつもよりもぼんやりする頭で起き上がって、学校に行くための準備をする。


 しばらくして、ベッドの端で充電コードに繋がれたままになっているスマホが光って、朱里からのメッセージを表示した。


「着いたよ」


 スマホに表示された時間は約束の時間よりも少し早い。だけど私ももう少しで家を出られそうだったから、「ちょっと待ってて」と返信してから、急いで身だしなみを整えた。


 エントランスを出ると、傍らに人影が見えた。


「おはよう」


 私は鞄を肩にかけなおして、朱里に挨拶をする。


「おはよ」


 朱里は歩き出して、私はその隣についていく。

 外の空気は暑く、むしむしと湿気を多く孕んでいる。自転車だとまだましなのだけれど、歩いている時に纏わりつく空気は心地が悪い。


 梅雨なんてさっさと去ってしまえばいいのに。


 眠気がまだ脳を包んでいて、私は一つ大きなあくびをする。

 朱里にもそれが伝染したようで、つられて彼女も大きなあくびをした。


「眠いねー」


 彼女はそれを噛み殺しながら言う。

 私の家に寄るために、少し早起きをしたのだろう。


「じめじめしてるし。最悪の季節だね」


 生憎の曇り空だけど、雨が降ってないだけよしとしなければならない。


「何時に起きた?」


 首を傾げるその動きに従って、その綺麗な髪が小さく揺れる。


「もうさっきだよ。朝ごはん食べてないし」

「じゃあ、途中で買っていく?」

「うん。昼ごはんと一緒に買おうかな」


 少し歩いて、コンビニの前の信号で立ち止まる。

 隣にいる朱里が妙にそわそわしていることに気づく。


「どうかした?」私が目を見ると、朱里はそっと目を逸らした。「なに?」

「いや」彼女は少し口をもごつかせてから言った。「……手、繋がないのかなって思って」


 朱里は一瞬だけ私の方を向いて、また目を逸らす。

 手を繋ぐ。そのことを意識していなかったわけじゃないけれど、登校の時に繋ぐという発想はなかった。


「それって帰りの話じゃないの?」

「いや、だけど。そういう流れかと思ってた」

「ないから、流れとか」

「そうみたいだね」


 信号が青になって、私たちは再び歩き始める。

 別に繋いでも構わなかったのだけれど、なんとなく、繋ぐべきじゃないかなと思った。


 どうせ帰りには繋ぐのだし、朝は繋がなくてもいい。


 コンビニの中には、何人か同じ学校の生徒がいた。

 もう顔見知りになっているような人もいるけれど、今日は時間帯が違うからか見知った顔は一つもない。


 店員さんは大学生くらいの女の人だ。

 店に入ると、店員さんは口元で「いらっしゃいませ」と言って小さく会釈をした。私もそれに軽く頭を下げて返す。


 店員さんは、雰囲気が少しだけ朱里に似ている。

 手持無沙汰に背後のたばこケースに手を伸ばして、空になったケースに新しいたばこを詰めている。


 その動作には無駄がなくって、習慣のように何度も繰り返されたことを窺わせた。


 意識を店員さんから戻して、朝食と昼食を選ぼうと店内を見て回る。


「何見てるの?」


 私がどのパンを食べようか眺めていると、店内を一周していた朱里が戻ってきた。


「んー。どれにしようかなって思って」

「これじゃないの?」


 朱里は私がいつも食べるパンを手に取って、私に見せる。


「それでもいいけど、なんかたまにはと思って」

「じゃあ、これは? 私最近これ好きなんだよね」


 そう言って今度朱里が手に取ったのは、私が迷っていた選択肢のうちの一つだった。


「確かに、おいしそう」

 と言って、私は朱里からそのパンを受け取る。


 彼女が推すのなら、たぶん間違いはないのだろう。そもそもパンなんて、どれもおいしくないわけがないし。


 私はついでにチョコパンも手に取って、昼ごはんのことを考える。

 学食は……。


「朱里、今日は昼来るの?」

「今日は、行くよ。どうかしたの?」

「いや、学食で済ましてもよかったんだけど。朱里が来るなら昼ごはんも買ってかないとね」


 朝も昼もパンだと腹持ちが悪そうだったので、おにぎりを買うことにする。


 違う味のおにぎりを一つずつ手に取り、それに加えてカフェオレも持って会計の列に並ぶ。私が商品をレジに置くと店員さんは、いらっしゃいませと言って少し笑いかけてくれた。


 会計を済ませ、ありがとうございますと言って店を出る。


「あの店員さん、朱里にちょっと似てなかった?」


 商品の入ったレジ袋を訳もなく膝でくるくると回しながら、私は尋ねる。


「え、どこが?」

「なんとなくだよ。雰囲気が昔の朱里に似てると思う」

「全然違うよ。私、もっとクールだったでしょ」

「あれクールって言うの? ただの人見知りでしょ」


 朱里は私の言葉に、肩をこつんとぶつけて返した。


「うるさいな」


 ごめんごめん。そう言いながら私は笑う。


 少しずつ昔の話ができるようになってきたのは、私がちゃんと前に進んでいる証拠のようで安心する。


 ちょっと前まではなんとなく触れづらくて、意図的にあの頃の話題を避けていた。


 彼女との別離は形の上では一応解決したことになっているけれど、心の奥にはどうしても小骨みたいなものが引っかかっている心地がある。

 だけどそれを彼女に悟られたくはなかったし、だから私はそういう些細な違和感の種を蒔かないように、無意識に言葉を選んでいた。


 最近になってようやく、茶化したり話題に出したりすることができるようになった。このまま過ぎ行く時間に、いろんな事実や感情が埋め隠されていってしまえばいいと思う。


「おっはよっ」


 正門へ向かう道を二人で歩いていると、突然肩に誰かがぶつかった。

 声からその正体はわかっていた。私はそれに適当に「おはよ」と返した。


「穂乃香さん」と言って朱里も挨拶をする。「おはよう」

「朝から二人なの、珍しくない? アキちゃん、歩きだし」


 並んで歩く私たちを見て、彼女は言った。


 まずい、と思う。


 私たちが一緒に歩いて登校するのは初めてだ。それ自体に特筆すべきことはなにもないけれど、そうなるに至った経緯を説明するのは難しい。


 というか……、恥ずかしい。


 明らかに、誰かに話すようなことじゃない。


 私が拗ねた――ことにされて、そんな私を朱里が無理やり連れだした、なんて。


 なんて返そうか答えあぐねてると朱里は、「私が誘ったんだよ」と言った。

 驚いて朱里の顔を見るが、彼女はなんてことない顔をして続けた。「朝一人で歩くのつまんなくてさ。一緒に学校行こって」

「そっかー。じゃあ、アキちゃん今日早起きしたの?」

「ああ、うん、そう。さすがに待たせるわけにもいかないから」

「良く起きれたね」

「ちゃんと早めに寝たからね」


 朱里が機転を利かせてくれた。

 その横顔を再び盗み見るけれど、彼女のは穂乃香とのおしゃべりに夢中な様子で、さっきのことなんて意に介していないように見えた。


 なんだかその様子がニクくて、少し後ろから朱里の脇腹を突く。


「も、なに?」

 と彼女が不満げに言うから、私は「べつにー」と言って小走りで彼女の横についた。

「なにいちゃいちゃしてんの」

「してない。朱里がうざかったから」

「……なんかうざい要素あった? 今」

 と穂乃香が言って、朱里はさあ、と言うように肩を竦めた。

「変なの」





 正門から入って、教室の前で別れる。

 今日もいつもと変わらない。

 嫌いな教科と同じくらい好きな教科があって、窓の外を眺めたり隠れて文庫本を開いたりしながら、なんとなく時間を潰すのだ。


 お昼ご飯の時間では朝言っていた通り朱里と早崎さんが来た。

 適当に駄弁って、適当におにぎりを食む。


 毎日毎日話していて、よくここまで話すことがあるなと思う。

 だけど実際、どこまでも話題は尽きない。

 早崎さんのお弁当に入っている卵焼きを摘まんで、口の中に入れる。


「あーっ」

「もーらい」


 私がそれをおにぎりと一緒にもぐもぐと頬張っていると、早崎さんが「そういえば、期末の範囲発表されたね」と言った。


「え? ほんと?」

 と言って朱里の方を見ると、朱里はうん、と頷いた。

「私たちまだだよね」

 穂乃香に目を向けると彼女は、「出てたよ」と言って黒板の横に張り付けられた紙を指さした。「ほら」

「ほんとだ。気づかなかった」

「そんなことある?」早崎さんが笑いながら言う。「寝てた?」

「いや……本読んでたからかも」

「授業中に?」

「うん」

「不良じゃん」

「そんなことないよ。寝てる方が不良だよ」


 早崎さんの部活の練習はなかなか厳しいらしい。だから彼女は授業中、結構な頻度で寝ているらしい。だけど彼女の所属している部活の練習が厳しいことは先生の間でも周知の事実らしく、先生たちも彼女の居眠りについては黙認している。


 そんな適当でいいのかとは思うけれど、結局授業には何の影響もないし、いいのかもしれない。成績も、悪いわけではないし。


「いやあ、私が寝ちゃうのは仕方ないけど、本読んでるのはねー。ちょっと看過できないですね。どうですか? 先生」


 早崎さんはそう言って、朱里のほうを見る。


 朱里は「うーん、有罪。私でもそんなことしない。先生がかわいそう」と言った。

「ひどい言われようだ。ただ本読んでるだけなのに」

「しかもちゃんと先生が回ってきたときは、ちゃんと聞いてますけど、みたいな顔してるからね、この人」


 穂乃香が授業中の私の行動を取り立てて言う。


「そりゃそうでしょ。堂々と読めってこと?」

「授業中に読むなってこと」と穂乃香がため息交じりに言う。

「てか、何読んでたの?」


 早崎さんの言葉に、私は「えーっとねー」と言いながら、机の引き出しから読みさしの本を取り出した。「これ」


「あ、それ知ってる。気になってたんだよね」

「読み終わったら貸そうか?」

「いいの?」

「うん。もうすぐ読み終わりそうだし、明日には貸せると思う」

「え、そんな進んでたっけ」


 穂乃香が私に問う。


「やー、まあ、午後もあるからさ」

「また授業中読むつもりなんだ……」


 早崎さんと穂乃香が歯磨きをしに洗面所へ向かった束の間、私と朱里は二人きりになった。

 彼女もお弁当を食べ終わったようで、包みを閉じて鞄の中に仕舞った。


「ねえ朱里」と声をかける。彼女は「ん?」と言って顔をあげた。

「今日帰り、本屋寄ろうよ」

「いいけど……、読み終わるの? 今読んでるやつ」

「わかんない。でも、どうせ明日には読み終わるし」


 朱里は鞄から歯ブラシセットを取り出して、立ち上がった。


「やめなよ、授業中本読むの」

「だって、暇なんだもん。てか、朱里より成績いいし?」


 私がそう言うと朱里は眉根を寄せて私を睨んだが、すぐにそれを緩めて「まあいいや」と言った。「歯磨き行こ」


「うん」私も立ち上がって、彼女の後を追った。

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