第38話 独白2

 一年生が終わる頃、私はクラスメイトの男の子に告白された。


 別に、それは決して不快なことでなかった。


 私は彼のことはよく知らなかったが、それでも彼が善良な人間であるというのは話しぶりからわかったし、その告白の台詞には誠実さが滲んでいた。


 だが、私のなかにそれを受け入れるという選択肢はなかった。


 彼には申し訳なかったが、私の偽りの姿を好きだと言ってくれた彼と、本当の意味でわかりあうことはできそうになかったし、私の心には依然としてアキへの想いが熾火のように燻っていた。


 私はごめんね、と言って申しなさげな表情を顔に張り付けた。


 そして彼に、私のどこを好きになったのか尋ねた。


 彼は、人のことをちゃんと見ているところ。派手そうに見えて、穏やかで落ち着いているところ、と答えた。


 なるほどな。私はそう言うふうに見えているのか。


 ごめんね、ありがとう。でも、嬉しかったよ。


 私はそう言うと、彼は頷いて去っていった。その眦には、微かに涙が滲んでいるように見えた。


 彼との関わりはそれが最初で最後だった。


 それから何度か、私は他の男の子に告白された。


 私はそれらをすべて断った。心が痛まなかったわけではないが、そうするほかなかった。


 二年生になって、クラス替えがあった。


 仲の良かった何人かのクラスメイトと離れたが、何人かはまた同じクラスになった。


 次のクラスでも私は、当たり前のように友達を作ることができた。


 そこで私は実感した。


 ある程度の社交性やコミュニケーション能力といったものを、私は身に着けることができたのだ。


 夏休みには、クラスでいつも一緒にいるグループで花火を見に行った。

 テストの前では友達の家で勉強会をして、冬休みにはみんなで初詣に行った。


 アキ以外の友達を作って仲良くなるという目標は、十分に達成されていた。


 そしてその傍らで依然として燻るアキへの気持ちを、私は自覚していた。


 やはりな、と私は思った。彼女への私の思いは、他の誰かに向けるものとは明らかに異なっていた。


 だって、他の友達には触れたいとか、触れてほしいとか、そういうことを思わなかった。


 私以外の人と話してほしくないだとか、今日あんまり話せてなくて寂しいだとか、名前を呼んでくれて嬉しいとか、そういうことを思わなかった。


 私が中学校でできた友達に向ける感情を友情と呼ぶならば、私がアキに向けるこの感情は何なのだ。


 ――答えはわかりきっていた。


 三年生になって、進路選択の時期が近づいた。


 私は、アキと同じ高校に進むことを決意した。


 私の成績は中の上、といったところだった。


 日常的に勉強はしていなくて、テストの前だけ少し勉強する、そんなレベル。


 成績にあまり頓着はなかったから、先生に目をつけられないくらいの順位を取っておけば問題はなかったのだ。


 アキの志望校によっては、私も勉強への取り組み方を考えなければならなかった。


 お母さんに、アキの志望校が知りたいと言った。


 お母さんは深くは聞かず、わかったと言って頷いた。


 数日後、お母さんは私にアキの志望校を教えてくれた。


 おそらくアキのお父さんにでも聞いたのだろう。


 その志望校は、県内でも一、二を争う進学校だった。


 私の今の学力レベルでは、到底合格は叶いそうになかった。


 合格するためには、今のままではだめだということだけがわかっていた。


 塾に通うという選択肢はなかった。


 私の性格上、誰かに作られたペースで勉強するよりも、自分のペースで勉強するほうがいいというのはわかっていし、あまり両親に負担をかけたくなかった。


 友達と遊ぶ回数を減らさなければならない、と思った。


 彼女らと遊ぶ時間は、私の中ではそれなりに大切なものになってたけれど、それでもその「大切」には順番がある。


 両者を天秤にかけたら、それがどちらへ傾くかは明白だ。


 彼女たちの志望校はアキのそれよりも低いものがほとんどだったし、アキと同じ

高校を志望している友達は一人もいなかった。


 次第に放課後や休日、彼女たちの遊びの誘いを少しずつ断るようになった。


 代わりに、放課後には図書室に、休日には近所の公民館や図書館にこもって勉強をした。


 友達は皆とてもいい人たちだったから、そんな付き合いの悪い私にも何も言わなかった。


 私が目指している高校の名前を口にすると、彼女らは素直に応援してくれた。


 私は少しずつ、彼女たちとの関わりを減らそうとしていた。


 彼女らのことは好きだったけれど、私は彼女たちに対してどこか引け目を感じていた。


 自分を演じていたことの罪悪感もあったし、彼女たちをずっと騙しているようなばつの悪さもあった。


 寒空に吐いた息が空気に溶けて消えるように、自然に関係が薄れていけばいいなと思っていた。


 今の生き方は私にはやっぱり合わないし、なによりアキの隣が無性に恋しかった。


 年が過ぎた。


 模試の結果では、合格率は六十パーセント弱だった。


 どれだけ合格率が低かろうが受験することに変わりはなかったが、とはいえ模試の結果はその微妙な合格率の現実を否応なく私に突き付けていた。


 体感では合格するかどうかは本当に半々くらいだった。


 受験日は大雨が降っていた。


 雪になってもいいくらいの寒さだったが、重い空から降り続けるそれはずっと私たちの足元を濡らしていた。


 会場の入り口に設置された傘立てが放置されすぎて噴きこぼれた鍋みたいになっていて、濡れた緑色のリノリウムの床には何度か足を取られた。


 私の中学からその高校を受験する生徒はいなかったため、受験会場で私は一人だった。


 だけど、その方が気楽でよかった。


 お昼休みに「難しかったね」「うん、全然解けなかった」みたいな、定型のからっぽの会話をしないで、自分の事だけに集中できる。


 実際、手ごたえも悪いものではなかった。


 私は会場で、一瞬だけアキの姿を認めた。


 雰囲気や容姿は少し変わっていたけれど、それでもはっきりとわかった。


 視界におさめた瞬間にドキッとして、思わず声をかけてしまいたい衝動にかられたけれど、私はそれをぐっとこらえた。


 学校は既に自由登校になっていて、推薦でいち早く進路を確定させた人や、受験日が早かった人は、どこかに遊びに行ったり、家でゆっくりしたりしていた。


 私の友達も例外でなかった。


 私の高校の受験日は遅い方で、みんなはもう受験を終えて羽を伸ばしていた。


 私の受験が終わると、彼女らは私を遊びに誘ってくれた。


 付き合いの悪かった私を除いて遊んでいても不思議ではないのに、彼女らは私へのお疲れ様会と称して、お菓子パーティーみたいなこともしてくれた。


 ――いい人たちなのだ、みんな。


 私も、最後くらいはと思って、心からありがとうと言ってはしゃいだ。


 高校に入っても仲良くしようね。


 彼女らは口をそろえて言った。連絡してね。絶対だよ。


 私もそれに笑顔で答えた。そうだね。


 いくら体裁を繕って嘘が上手くなっても、中身はまったく変わらないんだなと思った。


 アキと離れる時も、私は大事なことを言わずにいた。


 そして今も、高校に入ったら彼女らとは関わる気なんてないことを、私は言えずにいる。


 言いづらいことは最後まで言わないで、誰かが迷惑を被っていたとしても、私の視界にそれが入らない限りは目を逸らし続ける。


 そういう人間なのだ、私は。


 卒業式が終わって、翌日に合格発表があった。


 合格していた。


 お母さんにやったーと言って抱き着くと、お母さんは優しく私の頭を撫でてくれた。がんばったね。


 反抗期気味の妹も、おめでと、と小さな声で言ってくれた。


 お母さんが、アキのお父さんに受験の結果を聞いていくれた。


 お母さんにはつらい役回りをさせてしまって申し訳なかったけれど、おかげでアキも合格していることがわかった。


 私は、心のどこかで彼女が合格することをわかっていた。


 初めから私が受かって彼女が受からないなんていう未来なんて想像できなった。


 彼女は私と違って要領がいいから、本気で何かを目指せば、大抵のことはこなしてしまうのだ。


 入学までの間に、合格者説明会や教科書購入など諸々の手続きを終わらせた。


 アキと出くわさないかと内心惧れていたのだけれど、偶然時間帯が違ったのかそういう事態にはならなかった。


 彼女と会って実際に話をするには、私にはまだ心の準備ができていなさすぎた。


 私にとって覚悟というのはもっと、時間をかけてゆっくりと体に慣らしていくものなのだ。


 一方で、友達から何回か遊ぼうと連絡が来ていた。


 すべて断る気にはなれなかった。


 彼女らの厚意をすべて無下にできるほど、浅い付き合いではなくなっていた。


 志望校への合格を伝えれば彼女らは心からの賛辞を送ってくれたし、じゃあ合格祝いもしなくちゃね、と言って、友達の一人の家に集まって夜まではしゃいだ。


 高校に入学してしまえば、彼女らも新しくできた友達との生活に夢中になって、中学校の友達の事などすぐに忘れてしまうだろう。


 そう思うと、軽い気持ちで彼女らに会うことができた。


 実際、高校に入学してから彼女たちとは会っていない。


 入学式の一週間前くらいから、いろんなことが手につかなくなった。


 学校から課題のようなものが出されていたけれど、それらはほとんど手につかなかった。


 その一週間、私は彼女になんと言って近づけばいいのだろうと、そればかり考えていた。


 ここにきて三年前の自分が憎かった。


 なんでしっかり話さなかったのだろう。伝えなかったのだろう。

 そういう後悔ばかり浮かんできたけれど、たぶん今の私があの時に戻っても、おそらく同じように何もできないだろう。


 考えても正しいと思えるような答えは思い浮かばなかった。


 結局は会って、時間をかけて仲良くなっていくしかないのだ。


 どのような過程を経たとしても、目指すべき場所が明確に定まっているのなら、迷うことはないはずだから。


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