第9話 大人だと思うよ

 部屋に戻ると、私はベッドに朱里を押し倒した。


「ねえ、クリスマス。いつもはチョコレートケーキじゃないんでしょ? 何で今日は違ったの?」 語気を強めて彼女に問い詰める。


「知らないよ」彼女は目を背ける。

 

 掌にはベッドの柔らかさが伝わってくるけれど、それと対照的に彼女の目は冷たく、硬い。


「そういう気分だったんじゃない?」

「嘘。ゆずさんは特別って言ってた」

「知らないって。わざわざそんなこと」

 

 朱里はそう言って私を押しのけた。

 そして、眉根を寄せて呟く。


「なに、嫌だったの?」

「嫌なわけない。嬉しかったけど」

「じゃあいいじゃん」


 そういう問題じゃない。

 だって、朱里には説明してもらわないといけないことがたくさんあるのに、その責任を彼女は放棄しようとしている。


 私は睨むようにして彼女を見る。

 これ以上追及してくるな。言外に彼女の目が私にそう伝えている。


 朱里は小さく一つため息を落として、何かを取り繕ったような表情で言った。


「今日はクリスマスだよ。……もっと楽しい話しようよ」

 話すべきことを話そうとしない彼女が悪い。

 そう思うけれど、彼女の提案には賛成だ。

 今日は聖なる日なんだから、私たちはもっと明るい話をするべきだ。


「確かに。それはそうだね」と私は言った。「じゃあ一旦、この話はこれで終わりね」


 この場ではね。と、私は心の中で付け加えた。

 朱里に追及することはもうしないけれど、ゆずさんには後で聞いてみる。


「もうすぐさ、私たち。中学生になるわけだけど」


 明るい話題かはわからないけれど、私は壁に寄りかかって近い未来のことを話す。


「ちょっと待って」言い終わる前に朱里は私の方に寄ってきて、私の足の間に収まった。ちょど、さっきの実里ちゃんみたいな体勢になる。「はい、いいよ」

「いいよっていわれても」

「なに、だめなの」

「いいけど」

「いいんじゃん」彼女は強引に私の不満を押しのけた。「それで、なんだっけ。中学の話?」

「そう。私たち、もう卒業なんだよ」


 私たちはもうすぐ小学校を卒業する。


 私はそのまま地元の公立の中学校に進学するし、同級生のほとんどはそうだろう。

 他の地域はどうなのかはわからないけれど、ここらへんの地域では中学受験することはまれだ。


「そうだね、卒業か」朱里は少し寂しそうに呟く。「もう、大人じゃん」

「中学生って大人なの?」

「大人でしょ」


 私は腕の中に納まっている朱里を確かめて、こんなに小さい生き物が? と疑問に思う。


 大人の定義はわからない。成人と大人が同じものだとは思えないから、十八歳になったらそのまま大人と言うわけではないだろう。

 このまま背が伸びて、胸が膨らんで、なにかができるようになったら、いつか大人になれるのだろうか。


 私や朱里が、学校の先生やお父さんや、ゆずさんみたいな大人になっている未来は想像できないけれど。


「本当に、大人になれるかな」私が不安げに言うと、朱里は「アキは十分大人だよ」と答えた。

「え、なんで。そんなことないでしょ」


 私のことを大人だという彼女の言葉が意外で、私は彼女に問い返す。


 朱里は、んー、と小さく唸りながらゆらゆらと私の腕の中で揺れた。

 そして朱里は、自分のおなかの前で組まれている私の手を解いて、私の手の甲を覆うようにして手を握った。


「アキは、もう十分、大人だよ。社交的だし、頭もいいし、しっかりしてるし。ほら、料理とか、家事もできるし、私とは全然、違うよ。それに……」

「わかったわかった。ストップ。もういいよ。急に、何?」


 私は腕の中の彼女の顔を覗き込む。


「いや、だから。十分大人だと思うよ、アキの事」

「…そう、かな。まあ、ありがとう」私は動揺を隠して言った。


 彼女が誰かのことを褒めるのは珍しい。

 褒めるどころか、自分の思っていることや感情を素直に言葉にすることさえあまりない。だから、こういう彼女を見るとどこか心配になる。


「大丈夫、朱里。熱とかないよね」


 私は彼女の前髪をめくって、掌をあてる。


「うーん。なさそうだね」

「あるわけないでしょ」


 おでこをつけて体温を測ろうとも思ったけれど、そうして顔をよせすぎるとまたキスしてしまいそうでやめておいた。


「おかしいな。じゃなきゃ朱里がひとの事褒めるわけないんだけど」

「心外だなー。私も人の事褒めることくらいあるよ」

「うっそだー」


 茶化して笑って、私は彼女に寄りかかった。


 にしても、知らなかった。朱里が私のことをそんなふうに思っていたなんて。

 そんなこと微塵も彼女からは感じられなかったけれど。


 私は社交的ではない。みんなに合わせて笑っているだけだ。その方が生きやすいし、楽だから。

 私は頭なんてよくない。狡くて、打算的なだけだ。

 私はしっかりなんてしていない。しなきゃいけないことをしているだけだ。


 だけど、朱里からはそう見えていたということは嬉しかった。


「じゃあ。そろそろ実里もあがる頃だし、お風呂いってくるね」


 朱里は私を押しのけてゆっくりと立ち上がった。


 その背に何か声をかけたかったけれど、何を言うべきかわからなくなって、私にできたのは結局、部屋を出る朱里を見送ることだけだった。


 彼女が部屋から出て行ったからか、やけに部屋はしんとしていた。

 思えば、私がいるときに朱里がこの部屋を数十分あけるのは初めてだ。

 といっても彼女のいない部屋ですることなんてないし、私には他にやることがあるから、タイミングを見計らって部屋を出る。


 実里ちゃんはいつの間にお風呂からあがって、部屋に戻ったらしい。

 ゆずさんはダイニングの椅子の上で、船を漕いでいた。


「起きてください」


 起こしてしまって申し訳ないとは思うけれど、私はゆずさんの肩をゆすった。

 申し訳ないとは思うけれど、今の私にはそれをするだけの理由がある。

 ゆずさんはおもむろに目を開ける。


「ん。どうしたの、アキちゃん」

「さっきの話です」私はわざと語気を強めて言う。


 誰かに強くものを言うのは慣れていなくて、そういう時は大抵なぜか泣きそうになる。

 今も少し、鼻の奥がつんとするような心地がした。

 だけどそれくらい強い言い方をしなければ、話してくれないだろうなと思っていた。


「教えてください」

「うーん」ゆずさんは少し逡巡しているように見える。「教えてあげてもいいんだけどね」

「じゃあ」

「でも一つ、条件があります」ゆずさんは人差指を私の前に立てた。「絶対に朱里に、私が話したことは言わないこと」


 私はあえて余計な詮索はせずに、こくりと頷いた。

 その理由を聞きたかったけれど、変に何か言って、機会を逃がしてしまうのは避けたかった。

「わかりました。約束します。朱里には絶対に、言いません」


 私がそう言うと、ゆずさんは軽く居住まいを正して「そうだね」と言って柔らかく笑い、話し始めた。

「どう話せばいいかな」

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