第26話 再会

 朱里のいない中学校生活は、夢のない眠りみたいに一瞬で過ぎていって、だから中学時代の私のことで、特筆して語ることは何もない。


 私は中学校に入って、それなりの数の友達ができて、それなりの学校生活を送ったが、でもそれだけだった。


 朱里の喪失は、私にとってどうやらそれなりに大きな傷跡になっているらしかった。


 それまでの私の生活の中心になっていたのは朱里だったから、それが失われてしまった後の私は、不出来な紙飛行機みたいにふらふらと蛇行していった。


 折に触れて、隣に彼女のいないことの寂しさや冷たさを感じてしまい、その空白の大きさをまざまざと見せつけられた。


 だけど、それでも私はできるだけ普通を装っていたから、修正不可能なところにまでおかしくなることはなかった。小学時代のことを知るクラスメイトのほとんどは、私のことを少し変わったかなくらいにしか思っていなかっただろう。


 彼女らと仲良くする選択肢も取りえただろうが、朱里と二人きりでいることの心地よさを知ってしまった私は、複数の友達とつるむことに馴染めなかった。


 朱里の代わりのような存在なんている訳もなく、結果として私は中学校で誰かと深い人間関係を構築することができなかった。


 小学校からの友達と、新しくできた数人の友達と最低限の関わりを持つくらいで、それ以外は私は一人の時間を過ごした。


 だからその友達と同じ高校に進むことに特段こだわりはなかったし、実際今の高校に私と同じ中学校出身の友達はいない。


 私が進学した高校はいわゆる進学校で、県内では一、二を争うくらいには偏差値が高かった。


 だけど私立校ということもあってか偏差値の割には自由な校風で、その理由から私はここに進学を決めた。


 中学校で私は、学年で一桁をキープするくらいには成績が良かった。


 もともとここらの地域は、教育に熱心な人間の住むような地域ではない。


 どちらかと言えば放任主義的な家庭が多く、高校卒業後はそのまま地元で就職するか専門学校に行く人が大半だ。


 私といえば、朱里がいなくなってやることがなくなったから、結果的に勉強に費やす時間が多くなった。


 孤独を紛らわせるには、勉強するという行為は都合が良かった。

 もともと私は要領の悪い方ではなかったし、勉強自体も嫌いじゃなかったから、ある程度の時間勉強するだけで、進学する高校は実質的には選び放題になった。


 地域にはまだ公立偏重っぽい雰囲気が漂っていた。


 だから私立校よりは公立校に行く生徒が多く、私は誰も行かない私立の高校をあえて選択した。


 私は中学生の三年間と言う時間の中で、ゆっくりと胸に空いた穴を埋め、彼女のいなくなったことでできた空白にも順応していった。


 その胸の虚を完全に埋めることはできなかったけれど、その穴から目を逸らして、生きていく術を、私は身に着けることができた。


 だから私は、私ことも、朱里のことも、誰も知らない学校で、ゼロからやり直したかった。

  

 ……そう思っていたのに。


 桜が咲いていた。高校の入学式の日のことだ。


 桜は、あまり好きではない。私にとってそれは別れの象徴だ。


 私は一人校門をくぐり、クラスの張り出しを見る。


 事前に合格者説明会があったから、教室までの道に不安はなかった。


 クラスの名簿を後ろから目でなぞっていって、すぐに自分の名前を見つける。

 そもそも学科にクラスが二つしかないから、見つけるのは容易かった。


 教室へ向かおうと、私は歩き出す。

 だけど私は意識の隅にほんの少しの違和感を見つけて立ち止まった。


 隣のクラスの名簿に、よく見知った名前がある気がした。


 よく見慣れた、だけどもう私とは関係のない名前が。


 それを確認しようと、張り出しに目を向ける。


 柔らかな風が、私の髪を優しく撫でた。


 不意に、名前を呼ばれた気がした。


 振り返って、声がした方を見る。


 私と同じ新入生だろう少女が、私を見つめながら立っていた。


 綺麗な子だな、と思った。


 愁いを帯びた伏し目がちな目、小ぶりながらも芯の通った鼻梁、真一文字に結ばれた唇。肩のあたりで切りそろえられた、金色に染まった髪。


 そのすべてに、目が奪われる。


 私は気づけば数秒ぼうっと突っ立っていた。

 自分の胸がざわついているのを、どこか他人事の様に感じていた。


「アキ、だよね」


 目の前の彼女が、澄んだ声で私に尋ねる。


 私の名前を、下の名前で呼ぶ人はほとんどいない。


 中学校の人は苗字かあだ名で呼ぶし、それに伴って小学校からの友達も、私のことを下の名前では呼ばなくなってしまったから、自分の名前を呼ばれた時はすごく懐かしい感じがした。


 だけど多分、懐かしいなと感じたわけは、それだけじゃなかった。


「え。……朱里?」


 私は呟く。


 よく見ると目の前の女の子は、その顔貌にかつての面影を残している。


 だけど、嘘だ。いるはずない。


 彼女が、私の前に現れるわけがない。

 第一、そんな現実、簡単に受け入れられるわけない。

 私は思わず目を伏せる。


 視界がぐらぐらと揺れているような気がした。


「うん。久しぶり」


 だれどその思いに反して、朱里は微笑んで私に言う。


「久しぶりって、なに」


 まだ現実に追いついていない思考で、なんとか言うべき言葉を絞りだす。

 私を滅茶苦茶にした張本人が、すました顔で何を言っているんだろう。


 今更私に、何の用が。


「なに、してんの」

「今日、入学式だから」


 私は張り出しの名簿の、隣のクラスの欄を見る。


 三上朱里。後ろから三番目に、そう書かれている。


 意味が解らない。

 ……何が起こっている?


 頭の中に疑問が湧いては止まらない。


 だけど私が彼女に何を言いたいのか、具体的な質問はなにも思い浮かばなかった。

 そんな私をよそに、彼女は言う。


「会いたかった」


 彼女は私の目を見つめている。


 その瞳は、確かに私がよく見慣れたものであるけれど、心なしか以前より明るさを帯びたように見えた。


 だけど、私はその瞳を見つめていることができない。

 思わず目を逸らした。


「意味わかんない」呟いて、背を向ける。「今更、話すことなんてないよ」


 私は朱里のことを振り返りもせずに早歩きで教室へ向かう。


 心臓がずっと早鐘を打っている。

 落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせる。


 左手で自分の胸を押さえつけて、私は考える。


 なんで、朱里が私を追いかけてこないことに傷ついているんだろう。

 なんで、私は泣きそうになっているんだろう。


 教室に入ってからは、前の席の女の子が話しかけてくれたから、彼女と適当に話をした。


 だけど頭では朱里のことをずっと考えていたから、何を話したかはよく覚えていない。


 しばらくして教室の窓から、朱里が隣の教室に向かって歩いて行くのが見えた気がした。

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