第27話 体力テスト

 そうして今に至る。


 あの日私たちが交わした言葉。

 私の彼女への問い。


 結局朱里はそれに答えなかったものの、朱里とはそれから何度か話した。


 話したというか、話しかけられた。

 だけど私は朱里がどうしたいのか、自分がどうしたいのか、どちらもわからなくてただ足踏みしているだけみたいな返事しかできなかった。


 いつか、ちゃんと話さなければいけないのだと思う。今はまだ、その心の準備ができていないけれど。


 私はきっと、朱里と再会したあの時に、声を荒げて怒るべきだったのだ。


 今更私とどうしたいの。

 どういうつもりで、私に話しかけたの。

 どうして、あの時いなくなったの。


 そう彼女に問い詰めて、頬の一つでもはたいてやるべきだったのだ。


 だけどそんなことはできなかった私は、こうして数週間たった今も、宙ぶらりんのまんま漂っているだけだ。


 いつかあったはずの激情は鳴りを潜めて、今はただ困惑だけが残っている。


 だって今更、何を話せばいいんだろう。どうすればいいんだろう。


 私は、ようやく彼女のいない人生に向き合い始めたというのに。


 こんなタイミングで再び現れられても、私としては困るのだ。


 だけど、私のそんな気も知らないで朱里は、飄々とした態度で私に話しかけてくる。


 ほんとに、彼女のことがわからない。






「アキ」


 彼女の声で意識が現実に戻る。

 彼女は振り返って私を見た。


「アキとペア?」

「朱里、出席番号後ろから三番目でしょ?」

「うん」

「じゃあ、そうだよ」

「そうなんだ。よかった」


 朱里はそう言って笑った。


 ……こいつって、こんなに情感豊かに笑うやつだっただろうか。

 私の記憶の中の彼女は、もっと静かに笑うイメージがあったんだけど。


 周りを見ると、続々とペアの人が見つかってきているようだった。


「あ、三上さんもペアの人見つかったんだね」


 私が辺りを見回していると、私の知らない人が朱里に話しかけていた。


「うん。早崎さんも見つかった?」

「見つかったよー。穂乃香ちゃんっていうんだって」


 早崎さんと思われる人物が、穂乃香のことを朱里に紹介した。


「三上さん、でいいんだよね。古川穂乃香です。よろしくね」

「よろしくね、穂乃香さん」


 朱里は今までも何度か学校で私に話しかけているけれど、私が穂乃香と一緒にいる時に話しかけてくることはなかった。

 おそらく認知はしていると思うのだけれど、一応初対面ということで、挨拶を交わしている。


 穂乃香と朱里の自己紹介が終わったタイミングで、私はその輪の中に混じる。


「ちょっと穂乃香。私の事置いてかないでよ」

「えー、アキちゃんが勝手にぼーっとしてたんでしょ」穂乃香が言う。

「別に、ぼーっとしてないし」私は言い訳をして、この場では唯一知らない早崎さんに挨拶をした。

「あ、私、吉井アキっていいます。よろしくね、早崎さん」

「うん、よろしくね」


 それからしばらく四人で話をしていると、先生が体力テストの用紙を配って、各々で簡単な項目からの測定が始まった。


 私たちはそのまま、成り行きで四人で行動した。

 別にそれが、取り立ててどうというわけではない。


 むしろ、朱里といる時の気まずさは四人でいる時の方が薄れるし、変なことを考えないですむからたぶん、私にとってはいい。


 話をしている朱里を見る。


 考えてみれば、朱里が私抜きでちゃんと他人と話しているところを見るのは初めてかもしれない。

 もちろん、小学生の時も全くなかったわけではないけれど、今みたいに饒舌じゃなかった。


 朱里は昔は基本、家族か私としかまともに話さなかったから。


 ちゃんと、友達とか作れるようになったんだな、とぼんやりと思う。


 朱里は、早崎さんと穂乃香と、時折冗談を交えながら話している。


 がやがやとした喧騒の中でも、彼女の声はよく通る。


 それは実際に彼女の声が澄んでいるからなのか、それとも私の意識が彼女を特別に意識しているからなのか。

 ……前者だといいな。


 早崎さんはまだしも、穂乃香とは初対面なのに、朱里の話すその口調は軽快だ。


 こんな朱里は知らない。


 私にとっては違和感のある光景だけれど、私以外の三人は楽し気に話し続けている。


 体力テストの項目は埋まっていく。


 握力の計測が終わってそして次は上体起こしだ。

 体育館の隅で床に座る。


 まずは私の計測から。


 私が床に背中をつけて、朱里が私の両膝を抱きかかえる様にして座る。


 開始の合図を待つ。

 下から朱里の顔が見える。


 明るく染められた金髪。首のあたりで切り揃えられた髪。

 あの頃、私は朱里とどういう風に話していたんだっけ。


「ねえ、髪。いつから染めてるの」


 私が問うと、朱里は片手で自分の髪を少し押さえながらしながら答えた。


「中学からだよ。校則緩かったんだ」

「へえ。……綺麗だね」

「ありがと」


 綺麗に染まっているから何回かブリーチしているだろうに、彼女の髪はほとんど痛んでいる様子はない。


 なんで染めたんだろうと思うけれど、なんとなく聞きづらい。


 朱里と離れてからは、怒りとか不信感とか喪失感とか、そういう色んなものでごちゃごちゃして、自分の気持ちばっかりで余裕がなかった。


 だけどあれから時間が経った今では、たぶん朱里にもそうしなければならなかった何かしらの理由があったのだろうと、うっすらとわかる。

 

「朱里、なんか変わったよね」


 私は、本質には直接触れない、だけどまったく関係のないわけではない話をする。

 だけど二つ目の問いに、朱里は答えない。

 昔は私の質問に朱里が答えないのは珍しいことではなかったけれど。


「三年もあればね」不意に朱里が呟く。「アキも、少し変わったね」

「私?」


 問うと同時に、上体起こしの開始の笛の合図が鳴って、私は慌てる。


 数瞬出遅れて上体起こしを始める。


 上体を起こすたび目の前に朱里の顔が迫る。


 朱里はそれを意に介していないようで、顔を引いたりもしてくれないから、私は若干顎を引いて、朱里の顔を視界に収めないようにする。


 終わりの笛が鳴る。


 結果は十八回。まあまあの数字だ。

 でも結果なんてはどうでもいい。

 さっきの朱里の言葉が気になる。


「次、私の番だから」


 朱里がそう言って、床に寝そべる。


「ああ、うん」


 私は朱里の両膝を抱える。

 すぐに開始の合図が鳴って、朱里の顔が私に迫る。

 私は慌てて目を逸らす。

 しばらくして、また終わりの笛が鳴る。


「何回だった?」


 朱里に訊かれるまで、私は私が回数を数えなければいけないことを忘れていた。


「ああ、えっと」


 別に適当な数字を言ってごまかしてもよかったのだけれど、なんだかそういう気持ちにもなれなくて、私は正直に彼女に伝える。


「ごめん、数えてなかった。考え事してて」


 私は耳の後ろを掻きながら言い訳をした。


「朱里、自分の回数数えてない?」

「一応、数えてたけど」

「じゃあもう、それでいこう」

「……なんか適当じゃない?」

「許してよ」


 私は朱里の記録用紙を手に取って、朱里から聞いた数字を記入していく。


 隣の穂乃香と早崎さんを見ると、彼女たちも丁度終わったところらしく、私たちは少し話した後に、次の種目へと移っていった。



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