第53話 話すこと、触れること
私は、朱里になにをしてもらおうか考える。
朱里が「真実」を選ばないとこはわかっていた。
頑固な性格は昔から変わっていないみたいだったし、彼女が隠し通すと決めたならそれはきっと、私が何を言っても変わらないだろうから。
挑戦。
朱里が私に何かしてくれるという、ただそれだけ。
私が彼女にしてほしいこと――、してほしかったこと。
どうしようもなく脳裏を掠める言葉がある。
敢えて言葉にはしないけれど、その存在を意識せずにはいられない。
それを、私は朱里としたいのだろうか。
明確な答えは出ない。いやじゃない、とは思うけれど。
確実に言えるのはそこまでだ。
私たちはもう子供じゃない。だから、気楽にそういうことができないこともちゃんとわかってる。その行為の示唆するところだって、知らない、で突き通すことなんて決してできない。
朱里はどう思っているのだろう。
こんな私を、卑怯だと思うだろうか。
だけど今も私はまたこうやって、都合よく彼女に触れようとしている。
「朱里、目、瞑って」
私が朱里にそう告げると、朱里は「え、なんで」と言った。
目を瞑る。そういう行為が一般的になにを意味しているのか、彼女もきっと理解している。
でも、そういうことはしない。
「今は、朱里が質問する番じゃない。挑戦、でしょ」
次は何も言わず、朱里は黙って目を瞑った。
私は彼女に向けて左手を伸ばす。
彼女の瞼は微かに震えている。
もしかしたら、怖がっているのかもしれないと思う。
視覚的な情報が遮断されて、彼女は私がなにもしないことを信じるしかない。
動かないままの彼女の右側の髪に触れて、その髪を梳く。
いつかもこういうことをしたと思うけれど、よく思い出せない。
したはずだ、くらいのことは覚えているけれど、明確な日付とかとった行動とかは曖昧だ。
ただ一つ言えることは、私がいくら彼女に触れても、結局彼女のことを理解することはできなかったということだ。
――厳然とその事実だけが、私の前に横たわっている。
言葉を交わしても分かり合えず、触れ合っても分かり合えないなら、私たちはどうすれば前に進めるのだろう。
髪を伝って、その先にある耳朶を摘まんで引っ張る。
反応はない。
痛い、とも、くすぐったい、とも彼女は言わない。
そうしてやがて私の手から力が抜けて、ベッドの上に腕が落ちる。
私がなにもせずにいると朱里はゆっくりと目を開けて、「もう、終わり?」と呟いた。
「……うん。次、いこうか」
私はそう言って、引いたカードを山に戻して、再びカードを引いた。
それにつられて朱里も一枚カードを引く。
「今の、なんだったの?」
カードを裏返す前に朱里が問う。
「別に、なんでもないよ」
「なんでもないことないでしょ。なんか、意味ありげだった」
「ないよ」
少なくとも、彼女に直接言うようなことじゃない。それに、私だってどんな意味があったのかわかっていない。
「いやだった?」
「そういうことじゃないけど」
カードを裏返して数字を見る。私のカードはハートの8だ。朱里もつられてカードを裏返す。数字は、クラブの6。
また私の番だ。
「真実か、挑戦か」
答えの決まりきった問いを投げかけて、「挑戦」と予想どおりの答えが返ってくる。
「……挑戦、だよね」
私が呟くと朱里は、「アキは私の質問になんでも答えてくれるんでしょ。私は挑戦、なんでも受け入れるよ」と言った。
「なにその等価交換。別に意味ないから」
「そ、でもアキの番だから。なんでも言ってよ」
その「なんでも」の中に、私が想像するようなことが入っているのかはわからない。だけどそれを口に出すわけにはいかないし、結局また私は彼女へ何を要求するかを迷ってしまう。
「なんでもするってさ、朱里は具体的にどういうことを想定して言ってるの?」
私が問うと朱里は一瞬むっとした顔をした。
「今アキがするのは、私の挑戦を決めることだけ。質問していいわけじゃない」
「その理屈、なんかずるくない?」
「最初アキが言い出したんじゃなかったっけ?」
「……うるさいよ」
「それで」朱里は早くして、と言うように呟く。「なにすればいいの?」
「待って、今考えてるから」
話すことで交わる言葉、そこに乗せられた不確かな感情。
触れることで感じる体温、そこから伝わる不確かな感情。
いずれも私にとってはひどく頼りないもので、少しでも風が吹いたら掌から零れ落ちていってしまう気がする。
言えること、言えないこと。話すこと、触れること。聞きたいこと、聞けないこと。
結論なんて出るわけもない。それでも堂々巡りの思考は止むことを知らない。
「ここの挑戦って、どこまで有効なの?」
「それって、どういう意味?」
「だから、効果の範囲。例えば、私の事さん付けで呼んでって言ったら、それはいつまで続くのかなって」
「別に、その程度ならいつまででもいいけど。ていうか、そんな挑戦にするつもりなの?」
「例えばの話」
「ならいいけど。それで、決めた?」
「ちょっと待って、今考えてるから」
私が彼女に望むもの。これからの私たちに必要なもの。
多分それは、今ここだけのものじゃない。
「……朱里は、私に隠し事があるんでしょ。それはさ、別にいいんだよ。朱里にもさ、言えない事情があるんだろうなってのは、なんとなくわかるから。でもさ、さの……。できるだけそういうの、少ないと助かるな」
恐る恐る反応を窺うと、彼女は小さく目を見開いていた。
呼吸が少し浅くなっている気がした。私も、たぶん朱里も。
「それが私の挑戦?」
「挑戦と言うか、約束みたいなものだけど。……どうかな」
私が問うと、彼女は深く息を吸ってから一息に「できると思う」と言って頷いた。
その声は少しだけ震えているような気がした。
「じゃあ、約束ね」
私は手元のカードを山に返して、手持無沙汰にシャッフルした。
この約束が守られるのかはわからない。
そもそも破られたとしても、私には確かめようがない。それがわかるのはきっと、約束が破られた後だろう。
「約束破ったら罰ね」
「罰? 内容は?」
「その時に考える」
今度は朱里からカードを引く。続けて私も。
「わかった」と朱里は言った。
カードをめくって、数字を確かめる。私のはスペードのエース。朱里のはハートの5だ。
「真実か挑戦か」
決まりきった問いに、私はまた決まりきった答えを返す。
「じゃあ」と朱里は言う。「さっきの続き教えて」
「なんだったっけ」
「だから、麻衣ちゃんとかと、なんで連絡とってないのかって話。疎遠になるにしても、まだ早くない? 一応、中学校では仲良かったんでしょ」
私の中学生時代の話はできればしたくなかった。
「それ、そんなに気になる?」
「質問に質問で返さないでよ。それに、今は私の番」
朱里はじとっとした目で私を見ている。
「……わかったよ」
私は小さくため息を吐いて、朱里に尋ねる。
「中学校の私の話ってどこまでしたっけ」
この質問は私の話に必要だから許されるはずだ。
「あんまり聞いてないと思う。友達、ほとんど作らなかったみたいなのは、聞いた。だけど、絶縁してるわけじゃないんでしょ?」
私は小さく頷く。
「まあ、確かに絶縁ってわけじゃない。連絡はとってないけど、それで縁が切れてることにはならないでしょ。麻衣ちゃんも葵ちゃんも、いい人たちだからさ、連絡すればいつでも会えると思うし、いつでも遊べると思う。だけど私が連絡とってないのは――」
私は言葉を続けようとして、躓く。
そういえば、なんで私は連絡をとってないんだっけ。……中学の時でも、それなりには話していたはずだ。連絡先だって持っていないわけじゃない。
彼女たちのことが嫌いなわけでもない。
じゃあ、なんで――?
浮かんできた言葉は酷く冷たいもので、代わりの言葉を探すけれどそれも上手くいかない。
でもこんなこんな言葉、朱里には言えない。
そうして私が黙っていると、朱里は私の顔を覗き込んで「どうしたの?」と続きを促した。
「いや……」と言って、取り繕う言葉を探す。そこで、さっき私が彼女に告げた言葉を思い出す。
隠しごとが少ないと助かると、私は言った。
そのことを棚に上げて私が韜晦してしまうことは、彼女に対して不誠実に思えた。
「うーん、なんて言うかこういうの、言葉にするのってすごい難しいと思うからさ」
朱里の顔を見つめる。彼女はじっと私の言葉を待っている。多分彼女は、私のことを信じている。だからそれを裏切りたくない。
「またいつか、ちゃんと話すよ。……だめかな?」
朱里はぶんぶんと首を振る。
「だめじゃない」
「ごめん。てか、質問が難しすぎる」
「……でも、気になるし」
「そんな気になるなら、朱里から連絡してみれば? 今の朱里見たら、めっちゃ驚くと思うよ」
「うーん……」
朱里は一瞬困ったような表情をしてから、学校で友達に見せる時のような顔で笑って言った。
「そこまでじゃないから、いいや」
「……そっか」
その表情は意味深長で、掘り下げたいと思ってもなんだかそこには触れてはいけないような気がして、私はまたカードの山に手を伸ばした。
「よし、次ね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます