高校生編
第24話 新生活
入学式の日から二週間が経った。
中学校を卒業してから、私の生活環境は大きく変わった。
その大きな理由の一つは、私が一人暮らしを始めたことだ。
進学した高校までの距離が遠く、自宅から通うこともできなくはなかったが、電車通学をするには自宅から最寄りの駅までの距離が遠かった。
父親の仕事の都合上送迎も困難だったことから、いっそのことこうして一人暮らしをするほうが都合が良かったのだ。
引っ越しは、春休みの初頭には終えていた。
さすがに慣れたとは言い難いが、勝手はある程度わかり始めたと思う。
朝の準備を終えて、制服に身を通した。
中学校の時はセーラー服だったから、高校のブレザーはまだ着慣れない。
姿見で不自然な点がないか確認してから、誰もいない部屋に向かって声を投げた。
「行ってきます」
寝ぼけ眼をこすりながら、自転車にまたがる。
住まい探しでは学校からの距離よりも駅からの距離を重視したから、学校へは自転車で十分くらいかかる。
学校への道すがら、私はコンビニに寄ってお昼ご飯のパンを購入した。
学食という手段もあるけれど、お昼は決まって混みあっているし、新しくできた友達は弁当を持ってきているから、こうやって通学途中でお昼ご飯を購入するのが私のルーティーンとなっている。
学校の裏門から入り、駐輪場へ自転車を停める。
エレベーターに乗り、六階にある教室に向かう。
「おはよう」
私の前の席に座っている穂乃香に声をかける。
彼女は私が入学してからまず最初に仲良くなった友達で、教室ではもっぱら彼女と行動を共にしている。
「ああ、アキちゃん。おはよ」
彼女も今来たところらしく、机の引き出しに教科書をしまっているところだった。
私も鞄から教科書類を取り出し、それらを引き出しにしまう。
「今日、一時間目から体育じゃん」
「あ、今日木曜日か」
黒板の脇に張り付けられている時間割表を見て、彼女が言う。
時間割は曜日ごとに固定されている。
木曜日は一時間目から体育があって、一週間で一番憂鬱な日だ。
「まあでも、確か今日から体力テストだよね?」
「そっか、じゃあ楽かもね」
「たぶん。だったと思う」
私が教室に着いたのはホームルームの開始の時間ぎりぎりだったから、程なくして先生が教室に入ってくる。
先生が連絡事項を話している間、私はなんとなく窓の外を眺める。
私の席は窓際の列の後ろから三番目。名簿順の席だから、必然的にこうなるのだ。
窓の外には綺麗な青空が広がっている。
校舎の周りには、この建物よりも高い建物はない。
だからこの六階の教室からは、大きな空がよく見える。
高校生という言葉から連想されるイメージは、中学生よりもっときらきらとしたものだったけれど、入学してみればあまり中学校の頃と変わらない。
なんというか、すごく穏やかな日々だ。……ただ一点を除いては。
いつの間にかうつらうつらしていたらホームルームは終わっていて、肩をとんとんと叩かれて起こされた。
顔をあげると穂乃香がいて、彼女は「こ、う、い、し、つ」と口をパクパクさせて言った。
私はそれに「うん」と言って頷いて立ち上がる。
「シャトルランあるかな」少し早歩きで穂乃香が言う。
「えー、一日目からしないでしょ。握力とか、長座体前屈とか、そこらへんじゃない」
「かもねー」
更衣室で体操服に着替え、体育館の中に入る。
中ではすでに番号順にクラスメイトが並んでいて、私たちは急いでその列の中に加わった。
体育は、他のクラスと合同で行われる。
隣のクラスと、学科の違う二つのクラス。
しばらくして体育の先生が大きな声を出して、授業の始まりを合図した。
体育の先生は、今日から体力テストが始まる旨を私たちに告げた。
シャトルランも今日やるのかと危惧していたけれど、今日は軽いものがほとんどだったから安心した。
重いものといえば反復横跳びくらいだ。
「よかったね」私は前で体育座りをしている穂乃香に話しかける。
「アキちゃんは握力どれくらい?」
「どれくらいだったっけな。平均くらいだったと思うけど」
握力は一応毎年測っていたとは思うけれど、その結果なんていちいち覚えていない。
「穂乃香は?」
「私は平均ないよ。二十あるかないかくらいだった気がする」
「へえ。意外と低いんだね」
「まあね。私、華奢だから」
その言葉に私は、じとっとした目で彼女を見つめる。
穂乃香は小さく笑って、冗談だよ、と言うように掌をひらひらと振った。
先生の話が終わると、私たちは大きく広がってラジオ体操をした。
体力テストの結果なんて、正直どうでもいい。
結果自体が成績に影響することはないだろうし、計測の紙に記入するのは生徒間に任せられるだろうから、変に低い値になったりはしない。
私は適当に流して、ラジオ体操を終える。
ラジオ体操の音楽が鳴りやんで、一瞬の静寂が体育館を包む。
その静寂の中を貫くように、体育教師の声が体育館に響く。
「それじゃあ、始めるぞー」先生が大きな声で言う。「じゃあ、そうだな。クラス間のレクリエーションも兼ねて、ペアは別のクラスの人と組んでもらおうかな。普通科は普通科同どうしで、国際科は国際科どうしで組むように。適当に組むとあぶれる人も出るだろうから、出席番号順で頼むぞー」
その先生の言葉に、私たちは少し不安になる。
まだ入学して間もない。
クラス間の交流があるほど、親睦が深まっているわけではない。
えー、とか、まじかー、とか言った声がどこかから聞こえる。
穂乃香も私の方を向いて、「だって」と言った。
「誰とだろうね」
「さあ、わかんない」
私は言って、考える。
隣のクラス。出席番号順。
まずい、と思う。
「それじゃあ、移動してくれー」
そして、その予感は的中している。
私の出席番号は三十三番。隣のクラスの同じ三十三番の生徒を探す。
クラスの人数はどちらも三十五人だから、後ろから三番目の生徒に声をかければいい。
やることはそれだけだ。
だけど、それだけに気は進まない。
それでも、やるしかない。
「はあ」
私は溜息を一つ吐く。
なんでよりにもよって。
私はその生徒の肩を後ろから叩く。
「朱里」
私は、かつての親友の名を呟いた。
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