第13話 帰宅
「じゃあ、今年会うのはこれで最後かな」
私は玄関で朱里に言う。年末はそれぞれに過ごす。
年始はもしかしたら会うかもしれないけれど、とりあえず今年彼女に会うのはこれで最後だ。
「そうだね」
「またいつでも来ていいからね」
ゆずさんは優しく言って、手を振った。
実里ちゃんはすでに寝てしまった。外で遊び疲れたのだろう。
彼女は私たちが炬燵で寝ている間に帰って来て、私たちが起きた時には自室で眠っていた。
「また来ます」私はそう言ってゆずさんに手を振り返す。
「今日はここでいいよ。寒いし」
朱里に告げて彼女の返答を待たずに背を向ける。
ほんとにいいの? そう言いたげな顔で彼女は私を見ている。
私は玄関の扉をを開けながら振り返った。
「それじゃ、いいお年を」
私が言うと彼女は一段降りて、スリッパを履いた。
「じゃあ、そこまで送る」
私に有無を言わさぬ調子で、彼女は言った。
玄関を出て門扉のあたりまで歩いて、立ち止まる。
「じゃあ、ここまで」
「うん」
私は頷く。
「また来年」
「うん、またね」
彼女は胸のあたりで小さく手を振る。
私はそれに同じようにして返して、彼女に背を向けた。
ここでいいよと朱里に言ったのは、一人になりたかったからだ。
火照った頭をこうやって夜風で冷ましたかった。
短い二日間だった。
彼女と一緒にいれば、時間が過ぎるのはいつも早い。
今日の事、昨日の事。
思い返していたら自然と口角が上がっていて、それらを考えているうちに気づけばエントランスの前についていた。
家の中にはお父さんがいて、顔を合わせれば話さなければいけない。
それを意識すると、心が少し重くなる。
私とお父さんの仲は、悪いわけではない。
私の中では、クリスマスを祝わないということについて、もうすでに折り合いがついている。
お父さんが仕事で忙しいのは知っているし、誰のために働いているかといえば、それは間違いなく私のためだということもわかっている。
だけど考えれば、お父さんがそれに対して罪悪感のようなものを抱いていたかもしれない、と思う。
エントランスに入り、部屋の番号を押してお父さんを呼び出す。数回大きく息を吐いて呼吸を整える。
心臓に手を当てると、いつもより鼓動が速かった。
家の中では、お父さんがソファに座ってテレビを見ていた。
お父さんは振り返って私の姿を認めると「ああ、お帰り」と言って微笑んだ。
「ただいま」
「楽しかったかい?」
「うん」私は小さく頷いた。「すっごく楽しかった」
「そりゃあ、よかった」お父さんの目元には、薄っすらと隈が残っている。「そのマフラー、どうしたんだい?」
「サンタさんが来たんだよ」私は首許のそれに目をやりながら答えた。「もう来ないと思ってたんだけど」
「……そうか」
お父さんはそう言って少し黙った。
その沈黙はおそらく数秒のものだったけれど、続けてお父さんが何を言うかわからなかったからか、やけに長く感じた。
私はマフラーを外して、ソファの背もたれに掛けた。
「その、ごめんな。クリスマス、ずっと何もしてなかったろう」
「ううん」私は首を横に振る。「お父さん仕事忙しいじゃん。私も、別にそういうの気にするようなタイプじゃないし」
「それでも、だよ。プレゼントの一つくらいあげるべきだったよな。朱里ちゃんから電話が来てな。……驚いたよ。ただの友達でさえここまでアキのことを考えてるのに、俺ときたら……」
お父さんは言いながら深くため息を落とした。
別に、そこまで思いつめることなんてないのに、と私は思うけれど、親心としては複雑なのだろうか。
「朱里は親友だから特別だよ」
歩いて、お父さんの横に座る。
「別に、気にしないでよ」
私は言って、お父さんとは逆の方に倒れて、ソファに沈む。
「疲れたー」
わざと少しおどけた声を出して、お父さんの反応を窺う。
返事はない。
何か言いそうな様子もない。
これは相当気にしてるな。
この人、結構繊細と言うか、考え過ぎちゃうところあるから。
はあ、と大きなため息を吐いて、お父さんに告げる。
「じゃあお父さん、今度休みの日、ドライブ連れて行って。それで全部ちゃらにしてあげるから」
横になったままお父さんの方を見ると、お父さんは私の方を見て固まっていた。
踵で太ももを軽く蹴ると、お父さんは口を開いた。
「……わかったよ。でも」
「でもじゃない」まだ何か言いそうだったので、私はそれを遮る。「もうこの話は終わり。ご飯にしよ。お腹すいたー」
今日は確か、お父さんが作ってくれるはずだ。
私が足をばたばたさせると、お父さんはふっと笑って、そうだな、と言った。
「マフラー、似合っていたよ」
お父さんは立ち上がって、隣にかかってあるマフラーに目をやる。
「そうでしょ。朱里と色違いなんだ」
「よかったな、朱里ちゃんも喜んでいたかい?」
「うん、喜んでた」
「あの子は、すごい子だね。友達の親に電話するなんてさ、相当な勇気がないとできないよ。大切にしなさい」
「うん、そうだよね。私もそう思う」私は笑った。
「それじゃ、お父さんはご飯作るから、アキはお風呂入ってきなさい。沸いてるよ」
「はーい」
私はお父さんの言葉に従ってお風呂に入り、それから自室に戻った。
この前買った漫画を読んで、少し冬休みの宿題をした。
社会科の宿題を二ページ終わらせたくらいで、お父さんからの声が聞こえて、私は部屋を出た。
久しぶりに食べるお父さんの料理の味は、うん、やっぱりお父さんの味って感じだった。
具の切り方は大味でごつごつしているけれど、そこにはお父さんの作る料理特有のあたたかさみたいなものがある。
不器用さの中に、だけど確かに上手に切ろうという意思を感じられて、そこに愛情の片鱗のようなものが覗いている感じがする。
昔は母の料理と違いすぎてあまりおいしくは感じられなかったけれど、今なら何となくその良さがわかる。
食べ終わるとお父さんは改まって一つ咳払いをして、「実は、お父さんもアキにプレゼントがある」と言った。
「え、ほんと?」
「うん。と言ってもプレゼントと呼んでいいのかはわからんが」
お父さんはそう言って立ち上がって、自室の方に向かった。
そしてそのプレゼントを持って歩いてきた。
プレゼントの大きさから、それがなにかはすぐにわかった。
アコースティックギターだ。
「これなんだが」
「え、これどうしたの?」
私が問うと、お父さんはそれを見つめながら言った。
「昔、お母さんが使ってたんだよ。アキが産まれる前にな。押し入れに入ってたのを、思い出したんだ。押し入れで眠ってるよりも、誰かが使ってやった方がいいだろうし、それならお父さんじゃなくてアキが使った方がいいだろう」
お父さんはそう言って私にギターを差し出した。
「ありがとう」私は驚いて咄嗟に声が出なかったけど、何とかそう絞り出した。「大切にする」
「うん。そうしてくれたら嬉しいよ。母さんもそうだと思うよ」
「うん」私は言った。「お父さんもギター弾けるの?」
「まあ、一通りはな。そうだ、今度教えるよ。弦の張り替え方とかコードとか。指先、痛くなるだろうから、覚悟しとけよ」
「うん、頑張る」
それじゃ、お父さんもお風呂に入ってくるからと言って、お父さんは洗面所へ向かった。
お母さんの使っていたギター。
そんなものがあったなんて知らなかった。
お父さんからそんな話聞いたこともなかった。もちろんお母さんからも。
上手く弾けるだろうか。私は楽器の経験なんてないから不安だ。
適当に上の方の弦から鳴らしていく。
だけど、想像よりも綺麗な響きじゃない。
私の鳴らし方が悪いのかな、と考えて、さっきのお父さんの言葉を思い出す。
長い間押し入れで眠っていたと言っていた。おそらくチューニングがずれているのだ。
確かギターは、定期的にチューニングしないと音がずれてくるのだと、音楽の授業か何かで教わった覚えがある。
弦を押さえると、指先が小さく痛んだ。
正しい弾き方は、お父さんが教えてくれるという。
だけどチューニングの仕方だけでも、今夜中に教えてほしいと思う。
とりあえず今は、綺麗な音を鳴らしてみたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます