第32話 仲良くなりたい
私が公園に着く頃には朱里はすでに公園に着いていて、彼女はブランコに座って私のことを待っていた。
電車に乗ってこの街に戻って来て、私は駅からそれなりの距離を歩いた。
おかげで気づけば、私の息は少し上がっていた。
これでもかなり急いで学校を後にしたはずなのだけれど、どうやら朱里はそれよりも早く学校を出たらしかった。
一緒に公園まで行っても構わなかったのだけれど、それをどちらも言い出すことはなかった。
だけどその分、お互い気持ちの整理や心の準備みたいなものができたからよかったのかもしれない。
少なくとも私はそう思っている。
私は黙ったまま、朱里の座っているブランコの隣のブランコに腰かけた。
この公園には、長い間来ていなかった。
隣にいる彼女との思い出が錆となって染み付いているから、どうしても彼女と離れた後に来る気にはなれなかった。
あの頃は今生の別れのような気分でいたから、今みたいにこうしてまた当たり前のように彼女の隣にいる自分を、私は想像することさえなかった。
この公園も、数年で少し寂れたかもしれないな。
ブランコもここまで錆びていた覚えはないし、滑り台やジャングルジムも、なんとなく草臥れているように思える。
「私がさ」
そんなふうに感傷に浸っていたら、朱里が唐突に話し始めた。
「アキと離れたいなと思ったのはさ。いや……離れるべきだと思ったのは、四年生くらいの時の事だったと思う。中学受験をしようと思ったのも、だからたぶんその頃くらいだったかな」
朱里はいったんそこで言葉を切って私を横目で見た。
私は小さく頷いて続きを促す。
「私は幼い頃からは人見知りで、人と話すのが苦手だったから、そういう部分でアキに依存していたんだと思う。ほら、あの頃って私、アキのひっつきむしみたいなものだったでしょ。でも、ある時それじゃだめだって思ったんだよ。このままじゃ、私にとっても、それにアキにとってもよくないって思ったの」
「私にとっても?」
「うん」彼女は小さく頷く。「なんていうかさ……。アキは明るくて、誰とでも仲良くできるのに、私とばっかりいるから。だってアキ、他の友達との遊びを断ってまで私といてくれたでしょ。もちろん、私は嬉しかったんだけど……。私ばっかりがアキを独占してるようでさ。アキはいろんな人と仲良くできて、いろんな人もアキと遊びたがってた。その中で私ばっかりがアキと一緒にいるのは、なんていうか、不健全なことだと思ったんだよ」
今の時点ですでに言いたいことはたくさんあるけれど、私はそれを飲み込んで彼女に続きを促した。
「高校のことは?」
「アキと一緒の高校に行こうかなっていうのはさ、実は決めてたんだよ。もちろん、その頃は偏差値のこととかよくわかってなかったからさ、今の高校入るのには苦労したよ。アキ、偏差値高いとこ行き過ぎだよ」
そう言うと彼女は少し笑った。
「まあ、それはいいや。言い訳、させてもらうとさ。私は中学校で、みんなくらいの社交性を身に着けようって思ってたんだよ。アキも誰も頼る人のいない環境で、自分の力だけで歩けるようになりたかったんだ。……この髪を染めたのも、その一環なんだよね」
彼女は左手で髪を軽く押さえて、私に見せた。
「性格を明るくするには、まずは見た目からかなって思って。まあ、それで実際、友達もそれなりに作れたんだよ。だから高校でもう一回アキと仲良くなって、依存みたいな形じゃなくてもう一回、ちゃんとさ、友達に、なりたかったんだ」
朱里は言い終えると、はあ、と大きく息を吐いて私の目を見つめた。
「どう、かな」
そう言って私の顔色を窺う彼女の顔は、叱られる前の子供みたいだった。
別に叱りなんてしないのに。
私にだって、これからどうすればいいのかわからないのに。
私は空を見上げる。
爪先で地面を軽く蹴ってブランコを漕ぐ。
彼女の言わんとすることは大体理解できたけれど、それを聞いて私は、何を感じたのだろう。
彼女の事情と考えを聞いて、ある程度それに納得もできたけれど、でもそれで私の傷が癒えるわけじゃない。
横目で朱里の顔を盗み見る。
私は小さく息を吐く。
別に、許せないわけじゃないのだ。
だけど手放しですべてを受け入れてしまえるほど、彼女を肯定することができないのも事実だ。
「……そっか」
それでも、いつまでも意地を張っているわけにもいかないとも思う。
私は、彼女になんて言えばいいんだろう。
ちら、とまた彼女の横顔を盗み見る。
私は、どうしたいんだろう。
信用できる。信用できない。
彼女と仲良くなりたい。それが怖い。
二律背反した感情が私の中にある。
「朱里」私はもう一度小さく息を吐いて、彼女に尋ねる。「朱里はどうしたいんだっけ」
「どうしたい……? 私は、」彼女は、そこで一度言葉に詰まった。
「私は……だから、もう一度、仲良くなりたい。友達でもなんでも、また昔みたいにさ。私にはきっと、アキが必要なんだよ」
彼女の語尾は震えていた。
たぶん私の言葉を待っている。
表情は明らかに強張っていた。
「わかった」
私がその言葉を放つと、朱里の表情からは少し緊張が消えたように見えた。
私は笑顔を作って言う。
「じゃあ、とりあえずこれで仲直りってことで。正直朱里の言うこと全部に納得できたわけじゃないけどさ、でも私も朱里と仲よくしたいっていう気持ちに嘘はないからさ」
私は言い終わって地面を蹴って、大きくブランコを揺らした。
前後に大きく漕いで、全身に風を感じる。
公園の名前の通り、夕暮れが良く見える。
ゆっくりと空に溶けていくような薄い色。
彼女は顔をあげて私と、同じようにしてブランコを漕ぎだした。
「よかったー」
しばらくして、彼女は言う。
彼女にしては大きな声量。
その声量のまま、彼女は続ける。
「ねえ」
「なに?」
「アキのことも、教えてよ」
「私の事?」
「うん。私ばっかり話したじゃん。アキの中学校の時のことも知りたい」
「私のは……。いいでしょ、別に」
「教えてよ」
どうしようか。
私は少し考えてから結論を出す。
たぶん私自身の話をするタイミングなんて今くらいだろうから、この際話してしまおう。
「私の中学校生活は……。まあ、散々だったよ。誰のせいとは言わないけどね」
そう言って私は彼女をむっと睨む。
「正直さ、あんまり話すこともないんだよ。朱里と離れ離れになって落ち込んでて、立ち直ったのも最近だしさ。友達も、いたっちゃいたけど、いたってだけって感じだし。朱里はさ、私が朱里のために他の友達との遊びを断ってたと思ってるかもしれないけど、私としては、私のために朱里と一緒にいたんだよ。……だからまあさ、これからは、勝手にどっかいったりしないでくれると助かる」
また私は笑おうと思ったけれど、今度はうまくできなかった。
だぶん、私は少し泣きそうなんだと思う。
それで自分の表情が上手く管理できなくなっているのだ。
「あのさ。私、結局今までのこと、アキに謝ってなかったよね。ごめん、その、いろいろ」
「いいよ、もう」
それからはしばらく、ブランコを揺らしながらゆっくりと話をした。
お互いの知らない三年間のことを繙いていくように。
暮れなずんでいた夕日はとうに沈んでいて、残光が宵の藍色の中に緩やかに溶け始めていた。
思えば、こんなに空を見上げたのは数年ぶりのような気がする。
彼女と離れてからは、たぶん私はいつも俯きがちで、季節の移ろいや空の色などをいちいち気に掛ける余裕なんてなかった。
日中は気温が上がってきたけれど、日が落ちてからはまだまだ肌寒い。
「アキ」ぼうっと空を見上げていた私に、朱里が言う。「そろそろ、帰ろうか」
私は頷き、立ち上がる。
朱里もそれに続く。
やっぱり彼女は少し変わったと思う。
それは、変わるために私と離れたのだから仕方ないけれど、時々それを感じてしまってなんともいえない気持ちになる。
例えば、昔は今日みたいに彼女が饒舌に話すことはなかった。
どちらかと言えば訥々とした調子で話すのが彼女だったから、今日みたいに話す彼女の姿は私の記憶の中にある彼女の像と上手く結びつかない。
そう言えば、帰るって、私はどこに帰ればいいんだろう。
急に実家に帰ると言っても、お父さんはびっくりするだろう。用意もないだろうから、順当考えれば私は電車で一人暮らしの部屋まで帰らなければならないだろう。
とすれば、駅と彼女の家へとは逆方向だ。
じゃあ、こっちだから。そう言って彼女と別れようとして彼女に声をかけると、
「朱里」
「アキ」
彼女が私を呼ぶ声がそれと重なった。
自然に笑いが出て、私は手の甲で口元を隠しながら言う。
「いいよ。なに?」
「あのさ、」彼女は目を逸らして言う。
そういう仕草は、あまり目を合わそうとしない昔の彼女を連想させるから少しだけ安心する。
朱里は、頬を人差し指でぽりぽりと掻きながら、言った。
「今日、家泊まっていかない?」
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