さよならは言わないからね
@furusya
小学生編
第1話 公園、トンネルの中
じゃんけんの末に鬼が決まる。
鬼ではなかった私たちは、一斉に鬼から逃げようと走り出した。
「ねえ、どこに隠れる?」
隣を歩く朱里が尋ねてくる。
「また一緒に隠れるの?」
「いいじゃん。どうせ隠れてる間暇なんだし」
「まあいいけど」
私たちが隠れる場所は決まている。
その遊具の名前は知らない。
その遊具の中は小さな洞窟のようになっていて、私たちはそれをトンネルと呼んでいた。私たちはトンネルの中に入って、小さく体育座りのような格好で収まった。
鬼ごっこは私たち高学年の生徒と、それより下の、だいたい三、四年生くらいの生徒とが集まって行われている。
たまにこうやって学年を跨いだレクリエーションが行われるのだ。
今振り返れば、下級生と遊ばせることで、大人へ向かう途上の私たちに責任感を持たせようとしていたのだろう。
でも結局、そういう役回りは一部のクラスメイト達が積極的に請け負うばかりで、私や朱里のような生徒は、各々適当に過ごしていた。
「みんな元気だね」
朱里はトンネルの入り口の方から外を眺めている。
「顔、出しすぎるとみつかるよ」
私はそう言いながらも、外を見ようと朱里のほうに近づいた。
鬼に見つかろうが、別に私たちのやることは変わらない。
適当に話して、適当に時間をつぶすだけ。
顔を出しすぎたとして、何だって言うのだ。
真面目にやっているわけではないんだから、見つかってしまっても構わない。
だけどその意に反して朱里は、「それもそうだね」と言って顔をひっこめた。
その瞬間、私の目の前引っ込められた朱里の顔が現れる。
「あ、ごめっ」
朱里は大きく身を引いた。
私はびっくりして早鐘を打つ心臓を無視して、「うん、危なかったね」と平静を装った。
外からは、走り回る子たちの楽しげな声が聞こえてくる。
不意に、私は自分の中に芽生えていた違和感のようなものに気づいた。
ともすれば唇が触れ合うくらいの距離にいた朱里の表情が、脳裏に張り付いたまま離れないのだ。
その正体を確かめたくて、彼女の方を一瞥する。
目が合う。
「な、なに」
「いや、別に」
目が合うだなんて、話をするときには当たり前だし、何ら特別なことではない。
でも今はなんだか、不意に目が合ったという事実が、無性に恥ずかしかった。
すぐに目をそらして、膝のあたりで組まれている朱里の手をなんとなく眺める。
さっきから私の体を揺らしている心臓の音は、未だ鳴りやむことを知らない。
単純にびっくりしたからこんなに鼓動が速くなったのか、それとももっと、別の理由があるのかもしれない。
自分の顔が赤くなっていないか、気になった。
「なんか話してよ」
私は、気づけばそんなことを口走っている。
「なんかって言われてもなー」
朱里はそう言って宙を見上げた。
それにつられて私も宙を見上げた。
トンネルの中は、外に比べてひんやりとしている。
時折公園の木々を凩が揺らしていた。
「なんもないの?」
「うーん」
彼女はぽりぽりと首許を掻く。
無理なお願いだとはわかっている。
だけど、昨日の晩御飯だとかテストの点数だとか、なんだっていいから何か話して気を紛らわせてほしかった。
こんな時に限って、朱里は何も言わない。
遠い目をしている。なにかを考えているように、時折外の風景に目をやっている。
「昨日実里がさ」しばらくして朱里が話し始めた。「学校の友達に告白されたーって喜んで話してたんだけどさ。早くない? そういうの」
実里とは朱里の妹のことだ。朱里の家に行くとたいてい実里ちゃんもいる。彼女は結構、私に懐いてくれている。
「実里ちゃん、いま何年生だっけ?」
「三年生だよ」
「んー、まあ実里ちゃん明るいし、かわいいからね。もてそう」
朱里と違って、実里ちゃんは人当たりも愛想もいい。
「それはそうだけど。まだ三年生だよ?」
「そんなこと言ったら私も、三年生のときにに告白されたことあるよ」
私がさらっと言うと、朱里は「えっ」と間抜けな声を上げた。「聞いてないよ」
「うん。言ってないもん」
「えー、言ってよ」彼女は口を尖らす。「それで、どうしたの?」
「ずっと一緒にいるんだから、わかるでしょ」
彼女とはもっと小さいころから一緒にいるから、もしも私に恋人ができたらすぐにわかるはずだ。
朱里は私の言葉には答えず、一瞬口を開いたが結局何も言わなかった。
もしも私に恋人を作る機会があっても、私はたぶんその話には乗らないだろう。朱里と過ごす時間が減らされてしまうくらいなら、恋人なんていらないと思う。
横目で彼女の方を窺っていると、「次」と呟く声が聞こえてきた。「次の話する」
「いいよ」
「アキは、キスしたことあるの?」
私は思わずせき込んだ。反射的に朱里の方を向いて、その顔を覗き込んだ。
どうしたんだ、今日のこいつは。変なことばっかり言ってくる。
真面目な顔して言っているから、茶化してしまうわけにはいかないし。
「え、や、ないけど。てか、そのくらいわかるでしょ」
動揺して、口元が細かく震えて言葉が小さく揺れてしまった。
人に何を言わせてるんだこいつは。
「まあそうだよね」
「変なこと聞いといて、なんなの」
私はそう言いながら朱里の脇腹を小突いた。
「まあまあ、私もないから」
私もないから。から、どうなのかはわからないけれど、朱里は小さく笑った。
朱里が、心なしか安心したように見えるのは気のせいだろうか。
私も一緒だとわかって安心したのか。かわいいやつめ。
安心したのは私も同じだけれど。
だけどその安心とは裏腹に、私の鼓動はまだ早まったままだ。
キスしたことあるの?
朱里の質問と、さっき意識したことが重なって、目をそらす。
さっき、目の前にあったそれに触れようと思えば触れられた。
いや、今だって、その気になれば触れられる。
いやいや、何を考えてるんだ、と頭を振って不純な思考を吹き飛ばす。
「みんなしたことあるのかな」
「してる人はしてるでしょ」
クラスの何人かとは、誰とどこでキスをしたとか、告白されたとか、そういう話をする。
そういう時、私はなんとなく話を合わせているけれど、よくわからない。
今まで人を好きだと思ったことなんてないし。
どういう感覚なのかも、まだわからない。
恋に落ちる、なんて言うけれど。落ちるってどういうことなんだろう。
他人とキスをするって、どういうことなんだろう。
他人と唇を重ねる、なんて。
この人とキスをしたい、なんて思ったことはない、と思う。
ちら、と隣にいる朱里の横顔を盗み見る。
はあ、と一つため息を落とす。
私が求めていたのは、もっと内容のないような適当な話題だったのだけれど、どうにもそうはいかないらしい。
「してみない?」
「ん、何を?」
ぼーっとそんなことを考えていたら突然、何かに誘われた。
主語がなかったから、何についてなのかはわからない。今の文脈から考えれば…… そういうことを誘われた、ことになるんだろうけれど、まさか、とは思うし。
だって、私の心を読まれてたみたいなこと、あるはずないし。朱里がそんなこと、望む理由なんてないし。
「いや、わかるでしょ」
わかるでしょ、なんて言われても。まさか、ほんとにそうなのだろうか。いやいやまさか、と頭を振るけれど、それ以外の選択肢が思いつかなくて、少し冗談めかしながら尋ねる。
「え、キス?」
どんな反応を期待していたわけではないけれど、朱里は小さくこくり、とうなずいた。
「え、まじ?」
何が起きているのか、脳が理解を拒んでいる。
「冗談でこんなこと言わないよね、私」
何が癪に障ったのかわからないけれど、朱里の語気は強くて、私は少し気圧される。
「だよね、ごめん」
私はさっき、朱里のことを意識した。多分、そういう意味で。
どんな脈絡で、どんなきっかけで、そうなったのかはわからないけれど。
あまりに突然すぎて、よくわからない。
だって、今まで朱里をそういう目で見たことなんてなかった。いや…… なかったのかな。
今のこの気持ちが、昔の記憶を書き換えてしまっているかもしれない。
そう考えると、自分のことが信用できない。
わけわかんなくて、脳が破裂しそうだった。
脳がぐるぐる回っているようで、めまいがした。
結局考えるべきなのは、今の事だけなのかもしれない。
それにしても、朱里はなんでこんなこと言い出したんだろう。
単純にしてみたいから、というわけではないのかな。
普通に、というか、文脈通りに考えたら、まあ、そういうこと、なのか。
今まで、そんなこと、感じたことはまったくないけれど。
これに関しては、まったくないと言い切っていいと思う。
まあ、今までのことはおいておいて、とにかく今目の前の事に集中しなくては。
じゃあ、もし朱里が私のことが好きだと仮定して……
「ねえ」
小さな声で、朱里が呟く。
その声に、思考が現実に引き戻される。
「あ、はい」
「それで、どっちなの、答え」
「え、あ、いいよ」
ほぼ反射的に自分の口から答えが出ていた。そのことに、自分でも驚いた。
でも、だからこそ、それが本心なんだと、思うことにした。
さっきまで、いろいろ考えていたけれど、私は彼女のことを意識してしまっているし、彼女が望んでくれているのなら、拒む理由なんて全くない。
「え、いいの?」
朱里はきょとん、とした顔をしている。いいと言われるとは思わなかった、というように。
……朱里から言ってきたんだから、もっと嬉しそうな顔をしてほしかった。
「いいよ、別に。嫌じゃないし」
「ほんと?」
「私も冗談でこんなこと言わないよ」
「だ、だよね」
朱里はそう言ってからうつむいてしまって、どんな顔をしているのか、よく見えなかった。
私はもう覚悟を決めたというのに、言ってきた張本人がなぜか躊躇っている。
「いざするとなると、緊張するんだよ」
早くしないと、その緊張が私にも伝播してきそうだ。
「いいから、はやくして」
「わかったよ」
私たちは、少し狭いこのトンネルの中で向かい合った。
「目、閉じて」
「なんで」
「お願い」
その顔は今まで見たことないくらい必死だったから、私は何も言わずにその言葉に従った。
五感のうち、一つの感覚を遮断すると、他の感覚がそれを補おうとして鋭敏になると、聞いたことがある。
それが本当かはわからないけれど、まあ、わかる話だよなと思う。
実際、音がよく聞こえる。外での子供のはしゃぎ声とか、朱里の呼吸の音とか、私の心臓の音とか。
いや、単純に緊張しているのか、私も。
わからない。
結構長い間目を閉じているように思えるけど、ほんの数秒しか閉じていないのかもしれない。
……早くしてほしい。
「まだ?」
「うるさい」
聞こえてきたその声に、何か言い返してやろうとしたその瞬間に、唇に温かいものが触れる。
でもそれは一瞬の出来事で、すぐに離されてしまった。
「いまの何?」
「キスだけど」
「短くない?」
「そうかな。わかんない。初めてだし」
朱里は、私の言葉に少し拗ねたようで、言い訳のように呟いた。
「私も、初めてだけどさ」
初めては私も一緒だけれど、一瞬すぎて物足りなく感じた。なにもわからなかった。
もっと、いろんな感情がわくものだと思っていたけれど、そんな暇もなく離されてしまった。
思わずもう一回、と言いそうになったけど、もとはと言えば朱里から言い出したことだ。私から言うのは、恥ずかしいし、違う気がする。
わからない。正しいキスのやり方も、今なんて言えばいいのかも。
わかるのは、横目に見た朱里の顔が、ひどく赤らんでいたことだけだった。
「次は、もっとちゃんとするから」
朱里はそう言ってトンネルの中から抜け出していった。
次はちゃんとするから。彼女の中では、もう次があるのは確定事項なんだな。
それがなんだか少し嬉しかった。
私は唇に微かに残った彼女の残滓を確かめた後、彼女の背中を追ってトンネルを出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます