魔法生物講義②

 不穏な雰囲気が漂う中、アンナは戸惑いながらも思い切って尋ねた。


「……悪魔も魔法生物なのですか?」


 するとオスカーは少し眉を上げ、苦笑いを浮かべた。


「いい質問……いや、難しい質問だね」


 その声がやや低くなり、彼はしばし言葉を探すように視線を落とす。


「悪魔という存在の定義は、非常に複雑で曖昧なんだ。だからこそ、異質的存在 (Outlier Beings)に分類されているんだが……」


 オスカーは言葉を詰まらせながらも、再び顔を上げると、アンナの目をまっすぐに見つめながら慎重に言葉を紡いだ。


「悪魔と妖精は、しばしば同一視されてきた歴史がある。古今東西の物語で登場する彼らは、不意に現れ、または呼ばれて、魔法使いと特定の条件や契約の下で力を貸す存在だ。だが、その代償は大きく、予期せぬ結果をもたらすことも多いね。――そういった意味では、彼らを異界的存在 (Ethereal Beings)に分類することもできる」


 オスカーの瞳が、一瞬にして真剣な光を宿した。それは疑いようもなく専門家の自負を持つ者の瞳だった。


「ただ、ここで難しいのは、先ほどから話している『異世界』という概念だ。悪魔と妖精では、主となる『世界』が異なる。――君たちは『魔法理論』の授業を受けていたかな?」

「……『基礎魔法理論』なら」


 ルシルが小さく答えると、オスカーは「よろしい」と満足げにうなずく。


「その授業で、物質世界と非物質世界について学んだと思うけれど、その二つの世界は、いわば上下の関係にある。――物質と精神の世界だね」


 オスカーは手を使って上下の動きを示しながら説明を続ける。


「しかし、『異世界』――妖精たちで言うところの『妖精界』と、私たちが住む『人間界』は、その物質世界に含まれる。これらの世界は、言わば左右の関係にあると考えられるんだ。常に隣り合い、重なり合って存在している」


 彼はそこで言葉を止め、目を細めた。それはルシルたちの反応を確認するためのようでもあり、同時に、まるで彼自身がここではない別の世界を見つめているかのような表情だった。

 そして、静かに、呪文でも唱えるように低い声で呟く。


「ゆえに私たちは、彼ら――妖精たちのことを『良き隣人グッド・フェロー』とも呼ぶんだ」


 その言葉は、魔法のように不思議な響きを持ち、部屋の中に静かに溶け込んだ。ルシルたちは、その言葉の重みを自然と感じ取り、すっかり押し黙ってしまった。その間、オスカーもまた、目を閉じて言葉の余韻を味わっているようだった。

 しばし静寂が流れたが、やがてオスカーはゆっくりと目を開け、その静けさを破るように、ふっと愉快そうな笑い声を漏らした。


「はは、少し格好つけてしまったね」


 彼の口調は急に軽くなり、表情もどこか楽しげなものに変わっていた。


「まあ、彼らが名前を呼ばれるのを嫌っているというのも一因ではあるんだけどね。名前――真名とも言うんだが、これは魔法生物に限らず、すべての存在を規定し、世界と我らを結びつけるものだからね。名前を与えるという行為は……」


 その瞬間、キャロリーナが再び咳払いをしてオスカーの話を遮った。彼女は控えめな微笑みを浮かべながらも、じろりと鋭い目つきで彼に視線を送る。


「……まあ、これも別の機会にしようか」


 オスカーは照れくさそうに笑いながら、手にしていたカップをテーブルに戻した。その拍子に、なぜだか彼の膝の上に置かれていた毛布が不意にもぞもぞと動き出し、全員の視線が、その奇妙な動きに引き寄せられる。彼だけが、その動きにまったく動じることなく、説明を続ける。


「要するに、悪魔も妖精と同じく、魔法生物として扱われているんだが、彼らは異なる世界から来ている存在と考えられているんだ。妖精たちは『妖精界』という独自の世界に属しているけれど、悪魔については、その起源や主となる世界がどこなのか、未だに明確にはわかっていないんだ。だからこそ、分類上で彼らを区別する必要があるんだと思ってくれればいいよ」


 オスカーは説明を付け加えると、動く毛布を自然な手つきで優しく撫でる。しかし、ルシルたちの視線に気づくと、彼はその手を止め、何か思いついたようにいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「――では、今日の授業の確認テストといこうか」


 彼はそう言うと、毛布の中に手を差し入れ、ゆっくりと小さな銀色の毛玉を抱き上げた。


「この子はどの分類に所属しているかな?」


 それはリスのようでありながら、どこかネズミのような不思議な生物だった。毛並みは柔らかく、月明かりを浴びたかのようにかすかに輝き、小さな鼻をひくひくさせながら、黒く大きな瞳でルシルたちをじっと見つめていた。だが、特に際立っていたのは、その小さな身体に不釣り合いなほど大きな耳だった。それが、この生き物がただのリスやネズミではないことを象徴しているかのようだった。


「か、かわいいー」


 三人は揃って声を上げ、その生物を食い入るように見つめた。ハナコに至っては、今にも手を伸ばしそうな勢いで身を乗り出す。

 しかし、次の瞬間、その生き物は「キュウッ!」と鋭い鳴き声を上げると、突然オスカーの手から飛び跳ね、姿を消してしまった。それは文字通り、透明になって目の前から完全に消え失せたのだ。


「えっ……?」


 ルシルたちは目を見開き、周囲を見回す。銀色の毛並みを持つその生き物は確かに目には見えなくなったが、軽やかな足音だけが床を駆け抜け、部屋の中を動き回っている。床に散らばっていた紙が軽く舞い上がり、足音はやがて部屋の奥へと消えていった。

 三人が呆然と顔を見合わせていると、キャロラインが軽く笑った。


「あの子、人見知りなんだよね。私、探してくるよ」


 そう言い残し、キャロラインは軽い足取りで部屋の奥へと消えていった。ルシルたちはまだ驚きが冷めやらないまま、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。

 部屋に一瞬の静寂が戻ると、オスカーが気を取り直すように、努めて落ち着いた声で話を再開する。


「……さて、先ほどの質問の続きだが、あの子は『マクシム分類法』において、どこに分類されると思う?」


 彼の質問に、三人は再び顔を見合わせ、しばしの間考え込んだが、やがてアンナがゆっくりと口を開いた。


「……顕界的存在 (Manifested Beings)でしょうか?」


 オスカーは満足げに微笑んだ。その表情は答えを雄弁に物語っていたが、彼は他の二人にも問いかけるように視線を送る。

 ルシルとハナコは一瞬目を交わし、うなずき合うと、ルシルが代表して答えた。


「私たちも同じ意見です」


 オスカーはさらに笑みを深め、ゆっくりとうなずいた。


「――正解。あの子は『エヴァネル』という種類の魔法生物で、顕界的存在 (Manifested Beings)に分類される動物種だよ。別名ウィスパーテイルとも呼ばれている。ご覧の通り、周囲の環境と完璧に同化し、姿を消すことができる特異な能力を持っているんだ」


 そう言いながら、オスカーは不意に懐から杖を取り出し、軽く一振りした。すると、背後の本棚から一冊の大判の本がふわりと飛び出し、彼の膝の上に静かに落ち着く。彼はその古びた本を開き、ページをめくりながら、穏やかに語り続けた。


「エヴァネルの毛皮は、その透明化の能力で古くから『影の外套』として語り継がれている。毛皮を羽織った者も同様に透明になることができるため、かつては乱獲の標的になったくらいだ。だが、一部の文化では、この生物を捕らえること自体が禁忌とされているくらい、本来は貴重で神聖な存在なんだ」


 オスカーは絵が描かれたページを指で軽く押さえ、三人にその絵を示した。そこには、夜空の月を仰ぎ見るエヴァネルの姿が描かれており、その柔らかい毛並みや小さな体の輪郭が生き生きと表現されていた。


「面白いことに、毛皮を無分別に使用すると、次第にその持ち主も存在感を失い、最終的には存在そのものが消えてしまうという言い伝えもあるんだ。これが事実かどうかは定かではないが……」


 オスカーの語り口は徐々に熱を帯び、言葉に力がこもり始めた。だがその時、キャロラインがエヴァネルを抱えて戻ってきた。彼女は穏やかな微笑を浮かべながら、控えめにオスカーに目配せをする。


「先生、そういう話はまた今度にした方がいいと思いますよ」


 キャロラインが軽く呆れたように言うと、オスカーは「おや、もうそんな時間か」と驚いた様子で壁掛け時計に視線を向けた。


「そうだね、君たちの時間も限られているだろうし、手短にクラブの活動内容を説明して終わろうか」 


 その言葉に、ルシルはふと、自分がいつの間にか息を詰めていたことに気づき、無意識に安堵の息を吐いた。隣のアンナとハナコも、同じように肩の力が抜けたのか、ほっとしたように軽く息をついていた。

 オスカーは彼女たちの反応を見届けると、穏やかな声で「さて」と切り出す。


「では、このクラブの具体的な活動内容について説明しようか――」


 オスカーは言葉を選びながら説明を始めた。それは簡潔でありながら、要点を的確に押さえた説明だった。


 クラブの活動内容は大きく三つに分かれているようで、今日のような講義や、彼の研究の手伝い、そして実際にフィールドワークに出かけ、魔法生物を観察することが主な活動だった。また、クラブハウスでは小型の魔法生物を飼育しており、その世話も重要な活動の一環として挙げられた。これまで部員がいなかったため、キャロラインが時折手伝いに来る程度だったという。


 説明が終わると、オスカーは一呼吸置いてから、再び穏やかな笑みを浮かべた。


「君たちにはぜひこのクラブに入ってほしいと思っているんだ。特に君――ミード君だったかな。君には研究の手伝いをしてもらえると嬉しいね」


 オスカーはアンナに微笑みを向け、静かにそう付け加えた。アンナは、その言葉に内心の喜びを隠すように、控えめに下を向いて微笑んだ。


「君の髪は、とてもいい触媒になりそうなんだ」


 一瞬、部屋の空気が凍りついたような錯覚をルシルは感じた。

 アンナも驚いたように顔を上げ、目を瞬かせていた。その表情には驚きと困惑、信じられないという感情が入り混じっているようだった。しかし、オスカーの微笑みには邪気など微塵も感じられず、純粋な好奇心と興味が滲み出ていた。ルシルはその瞬間、彼がなぜ変わり者と見られているのか、少し理解できた気がした。


「……はい、ありがとうございます」


 アンナの声はやや気落ちしたように聞こえた。

 ルシルは心の中で、そっとアンナを応援する。願わくば、このクラブが彼女にとって素晴らしい経験となるように――そして、彼女がこのクラブに入ることをためらうような事態が起こらないように。

 そう静かに祈りながら、ルシルたちは魔法生物研究室を後にした。

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