入学式

 ルシルが目を開けると、見慣れぬ天井が広がっていた。一瞬、ここがどこなのか混乱したが、すぐにここが自分の寮室であることに気付く。昨夜の出来事が次第に頭の中で繋がり、アンナとハナコと共に夜遅くまで話し込んでいた記憶が蘇ってきた。話に夢中になり、食堂の閉まる時間をすっかり忘れてしまったのだ。

 最初こそ空腹で眠れないかと心配していたが、やはり新しい環境に緊張していたせいか、いつの間にか眠りに落ちていた。

 次第に意識が鮮明になり、ルシルはベッドから起き上がる。すると、朝の静かな光が窓から差し込み、部屋の中を柔らかく照らしていた。


「ルーシー、おはよう」


 ルシルが振り返ると、すでに制服に着替えたアンナが椅子に座っていた。読書中だったのか、机には分厚い本が広げられている。


「おはよう、アン。朝早いんだね」

「なんだか目が冴えちゃってね。食堂がもう開いていたから、先に朝ごはん済ませちゃったよ」

「そうなの? 起こしてくれてよかったのに」

「だって、二人とも気持ちよさそうに寝てるんだもん」


 アンナは笑いながら二段ベッドの方を指差した。その先では、ハナコが姿勢よく仰向けで寝ている。彼女の頬はわずかに赤らみ、眉もリラックスして緩んでいる。夢の中で幸せなひとときを過ごしているようだ。


「ふふ、本当だ」

「そうでしょ」


 二人は顔を見合わせて笑う。


「でもそろそろ起こさないと。さすがにお腹も減ってるだろうし」

「それもそうね」


 アンナは立ち上がると、「ハナ、朝ですよ」と優しく声をかけた。ハナコはゆっくりと目を開け、まだ夢の中にいるような表情で起き上がる。

 ルシルも支度のためにベッドから立ち上がり、おもむろに窓へと目を向ける。窓の外はすっかりと明るくなっており、新しい一日の始まりを感じさせてくれた。緑の木々が風に揺れ、小鳥たちがさえずる声がかすかに聞こえてくる。

 今日から新生活が本格的に始まる。ルシルはもう一度、気を引き締めた。




 入学式とはいえ、かしこまった式典というよりは、歓迎会とガイダンスを兼ねたカジュアルなものらしい。

 朝食を済ませた三人は、制服の上からローブを身に纏い、少し早めだが会場となるホールへと向かことにした。

 ルシルは外に出た瞬間、学校全体が前日とは打って変わって活気づいているのを感じた。学生たちの笑い声や話し声があちこちから聞こえ、校舎の窓から漏れる光が朝の澄んだ空気に溶け込んでいた。なんだか気分も浮ついてしまう。


「ホールはこの道を直進して、右に曲がると見えるはずだよ」


 アンナはしっかりと予習済みのようだ。


「もう会場に向かう? まだ早いし、ちょっと学校を散策してもいいんじゃない?」

「いいですね。私、昨日はあまり時間がなくて、学校をゆっくり見ることができなかったんです」

「じゃあ、そうしよっか。案内はあたしがするね」


 ルシルの何の気なしの提案が採用され、三人は学校の敷地内を散策することになった。

 

 三人が自由に道なりに進むと、見えてきたのはあの庭園だ。昨日見たはずの庭園も、今日改めて見るとまた違って見えてくる。天に向かって花弁を広げる色とりどりの花が、陽の光を浴びて輝いている。その光景はまるで絵画の一部のようで、高ぶる気持ちを抑えてくれるようだった。あの無口な管理人が愛情を込めて育てていることが伝わり、ルシルは思わず頬を上げた。


「――素敵な場所ですね」

「ええ、ほんとね」


 ハナコとアンナは庭園の美しさに感嘆し、微笑みを浮かべる。

 三人は草花を楽しみながら、庭園の奥へと歩みを進めていくと、草木に隠れる温室のような建物が見えてきた。その温室は細い鉄骨のフレームと半透明のガラスに包まれており、朝日に照らされてぼんやりと光っている。その中がどうなっているのか、ますます興味をそそられる。しかし、その入り口には『無許可の立ち入りを固く禁ずる』という張り紙が貼られており、三人は肩をすくめた。


「あらら、残念だね」

「仕方ないですね」


 アンナとハナコはあきらめて来た道を引き返そうとする。ルシルもその後を追おうとするが、ふと小さく端に置かれた一つの鉢植えに目が留まった。そこには青い花が小さく植えられていた。その花は他の植物とは異なり、どこか神秘的な光を放っているように見え、ルシルは胸の奥に何かが湧きおこるような感覚を覚えた。


「ルーシー、どうかした?」


 振り返るとアンナが心配そうにこちらを見ていた。


「いや……なんでもない」


 ルシルはもう一度その花をちらりと見たが、すぐに二人のもとへ駆け寄った。

 ――なんだか夢に出てきた花に似ている。

 ルシルがそんなことを思っていると、遠くの方からゴーン、ゴーンと鐘の音が響いてきた。静かな庭園の空気に、その重々しい音が響き渡る。


「予鈴の鐘だね。そろそろ会場に向かわないと」

「続きはまた今度ですね」


 ハナコはと残念そうに眉を下げて笑った。ルシルも後ろ髪を引かれる想いだったが、二人に続き、素直に庭園を後にした。




 会場であるグランドホールと呼ばれる建物は、学校校舎や学生寮とは建設された時期が異なるのか、比較的新しく見えた。重厚な石造りで、丸みを帯びたドーム状の屋根には、小塔や飾り窓、装飾がちりばめられている。傍らに時計台などがあれば、どこかの駅舎を思わせる建物だった。ルシルたち新入生にとっての新たな生活を始める出発点としては、ある意味で相応しい建物とも思えた。

 会場となるホールに進むと、ホールというより、むしろ何かの競技施設のような造りとなっており、ルシルたち以外の新入生たちがすでに集まっていて、式の開始を待っていた。正面には壇上があり、左右と後方には二階席が設けられている。そこには上級生らしき生徒らがこちらの様子をうかがっていた。その視線は、ルシルたちを品定めしているようで、あまり気分の良いものではなかった。


「なんだか緊張しちゃいますね」

「……そう、ね」


 ルシルが横を向くと、ハナコがアンナに声をかけていた。しかし、アンナの声は先ほどまでの快活さは消え、見せる表情は若干の強張りを感じさせる。心なしか体自体も小さくなったような気がする。その理由は、やはりこの異様な空気だろう。

 この違和感は、会場へ向かう道中からずっと感じていた。それは会場に来てから、肌で感じるほど強くなった。

 こちらを覗く視線——それは好意や好奇心のようなプラスの感情から来るものではなく、恐怖や忌避といった異物を恐れるかのようなマイナスの感情から湧き上がる眼差しだ。最初は、魔法から離れていた自分の生い立ちが透けてみられているかと思ったが、その視線の先が自分を通り抜け、その横のアンナに向けられていることに、ルシルはすぐに気が付いた。

 その原因は、やはりその髪色なのだろうか。この魔法使いの島では、アンナの髪色など、それなりに一般的なものなのだと、ルシルは思っていたが、そういうわけではないのか。


「アンナ、大丈――」


 ルシルがアンナに声をかけたその時、目の前の壇上に人影が現れた。その瞬間、先ほどまでのざわつきは一瞬にして消え去り、壇上に立つその人影に全員の視線が集まった。ルシルの視線も自然とそちらに向く。

 その人影の正体は、老婦人だった。銀色の髪を高い位置でまとめ、その顔にはかすかにしわが刻まれている。しかし、決して老いを感じることはなく、むしろ長年をかけて培われた知性すら感じさせる。シンプルながら繊細な刺繍が施された灰色のローブを揺らしながら、壇上の中央まで上がると、彼女ははルシルたちに微笑んだ。


「まずは皆さん、入学おめでとうございます。私はソフィア・ブラントン、この学園で校長を務めています。本日は、皆さんが新たな学びの旅を始める記念すべき日です」


 これも魔法の一種なのだろうか、彼女の声は会場全体に響き渡り、ルシルの耳にも心地よく響いてくる。


「本校では、一人一人の学生が自分自身を見つめ、自らの可能性を最大限に引き出すことができる環境を提供しています。それは魔法という学問的な探求だけではありません。スポーツ、芸術、文化活動など、多岐にわたる分野での経験を通して、皆さん一人一人が魔法使いとして独自の道を切り開いていくことを期待しています」


 その眼差しは温かく、同時に鋭い。彼女の視線が新入生一人一人に注がれるたびに、ルシルは胸の中で少しずつ緊張が解けていくのを感じた。


「ご存じのように、当学園は内部進学制度を有しています。中等部から進学してきた生徒たちにとって、これまでの学園生活が全てであり、世界の中心でした。そして今日、ここにいる新入生の皆さんは、その世界に新たな風を吹き込む存在となります。互いに刺激を与えあい、共に成長していく関係を築いてほしいと願っています。

 ここで学ぶ時間は、ただ知識を蓄えるだけのものではありません。皆さんは、新しい友人を作り、異なる背景を持つ人々との交流を通じて、より広い視野を得ることでしょう。困難や挫折に直面した時、それを乗り越える力がここで培われるのです。我々教員は、それを全力でサポートし、指導していくつもりです。皆さんは、その機会と時間を最大限に利用し、自分自身の長所を見つけ、それを伸ばしていってください」


 その言葉に、新入生たちの間でさざ波のように静かな興奮が広がった。ルシルもその一人として、これからの学園生活に胸を躍らせた。彼女の言葉には、自分が選んだこの道が間違いではないと思わせてくれる何かを感じさせた。


 ソフィアはここで言葉をいったん切ると、会場全体を眺めるように見渡した。ルシルはふと視線が合った気がした。目を細め、こちらに微笑んでいるような、そんな気がしたのだ。しかし、次の瞬間には、会場中を俯瞰するような視線へと変わっていた。気のせいだったのか。


「――最後に、皆さんにお伝えしておきたいことは、この学校生活が皆さん一人一人の夢への大きな一歩であるということです。夢や目標を追い求める過程で、困難に直面することもあるでしょうが、諦めずに前進し続けてください。そして、何よりも、この学びの旅を楽しんでください。皆さんの学校生活が充実したものになるよう、私たちは全力を尽くします。

 繰り返しになりますが、本日は、皆さんが新たな学びの旅を始める記念すべき日です。皆さんがこの場にいることを誇りに思い、皆さんの未来が輝かしいものであることを心から願っています。改めて、皆さんの入学を心より祝福します」


 そう言い終えると、彼女は懐から持ち手が水晶で装飾された杖を取り出し、それを天井に掲げる。


「皆さんの未来に、不死鳥の加護があらんことを」


 かけ声とともに、杖の先から炎が空中に放たれた。その炎は雲のように渦を巻き、中から炎を身に纏う巨鳥が姿を現す。その瞬間、会場中からおおっと歓声が上がった。炎の鳥は翼を大きく広げると会場全体を鷹揚と旋回し、その姿はまさに神秘的で圧倒的な光景だった。


 ルシルはその光景に圧倒され、これが魔法の力なのかと感嘆した。彼女の心は興奮と驚きで満たされ、胸が高鳴るのを感じた。アンナとハナコも天井を見上げ、驚きと興奮を隠せない様子だった。自分もきっと同じ顔をしているのだろうと思いながら、ルシルは改めて自分が魔法学校に入学したのだと実感した。


 炎の鳥は会場をぐるりと飛び回った後、高く天井に向かって昇っていく。そして、最後にもう一度翼を広げると、黄色い閃光を放ち爆発するように消え去った。

 ルシルはその光に思わず目を細めたが、目を開けると、自分の目の前に一冊の手帳が宙に浮かんでいるのを見た。


「学生手帳です。皆さん、失くさないように気を付けてください」


 ソフィアはそう言い残し、壇上を降りて行った。ルシルは空中の手帳を手に取る。それは質感の良い革製のもので、表面には先ほどの炎の鳥、おそらく不死鳥の姿が校章として描かれていた。中には今後の予定とクラス分け、クラス教室が書かれた紙が折りたたまれていた。

 手帳を手にしながら、ルシルはこれから始まる新たな生活に胸を躍らせた。隣を見ると、アンナもハナコも手帳を手にしており、それぞれの表情に未来への期待と少しの緊張が混ざり合っていた。手帳の重みが、彼女にとって新たな責任と期待を感じさせるものだった。

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