魔法講義と実戦練習

 翌日。この日は、アンナとハナコが心待ちにしていた『飛行術』の授業が一限目にあった。前夜から二人の期待感は高まり、まるで子供のようにそわそわしていた。その様子を見て、ルシルも自然と胸が躍った。

 魔法使いは皆、自由に空を飛べるものだと勝手に思い込んでいたが、実際にはそう簡単なことではないらしい。アンナによれば、飛行には特定の訓練と公式の許可証が必要で、この学校では『飛行術』の授業を通じて許可証を取得できるというのだ。許可なく飛行すると厳しい罰則があると聞き、ルシルはこの島に来た経緯を思い返しながら、ひとり冷や汗をかいた。


 そして今、ルシルたちを含めたEクラスの生徒たちはクラス教室に集められていた。本来であればグラウンドに集まるようだが、なぜだか教室に集められている。それにもかかわらず一向に先生が現れず、教室内には徐々にざわめきが広がっていった。後ろからはギルバートのいびきが聞こえ始め、授業開始の鐘が鳴ってからすでに十分以上が経過していた。


 その時、前方のドアがようやく開いた。だが、ルシルたちが注目する中、教室に現れたのは担当のホーキンスという男性教諭ではなかった。


「はい、皆さん。遅くなってすみません」


 それはカーラだった。彼女の登場に生徒たちの間に一瞬の静寂が訪れる。


「本来であれば、この時間は『飛行術』の授業の予定なのですが、担当のホーキンス先生がここ最近、体調を崩しているそうで、今週はまだ授業のできる状態ではないそうです」


 教室全体に小さなざわめきが起こった。生徒たちは口々に何か言い合い、中には不平らしき声も聞こえる。ルシルの隣でもアンナがため息をこぼすのが聞こえた。ハナコは笑顔こそ崩さなかったが、明らかに落胆しているのが分かった。


「――そのため、今日のこの時間は、私が『対抗魔法』の授業を行いたいと思います」


 その言葉に再び、教室は静まり返るが、カーラはその変化など、気にする様子もなく説明を続けた。


「この科目は本来、三年次の選択科目ですが、一年生のこの時期に様々な魔法、授業に触れておくことは、今後の進路や履修計画を決める上でも良いことだと考えました。ただ、この授業は補習扱いとなるので、参加自体は自由です。参加を望まない場合、退出してもらっても構いません」


 不意に、カーラと目が合った。それは、この機会を大切にするよう、ルシルに促すような視線だった。

 カーラはしばらく無言で待ち続けたが、教室を出ていく生徒は誰もいないことを確認すると、静かに授業を始めた。


「対抗魔法とは、一般的に他の魔法や魔法的効果を無効化、阻止、または逆転させるために用いられる魔法のことを言います。代表的な魔法では、相手の魔法軌道を変える妨害魔法 《迷いの導ウェーレアド》や、魔法を解除させる解呪魔法 《魔法解除セアルドル》などがあります」


 カーラの口調は明瞭で、理解しやすい。彼女の説明に耳を傾けるルシルたちの表情も真剣なものに変わっていった。


「しかし、実践を想定するとき、魔法に対抗する手段は、妨害魔法や解呪魔法だけではありません。相手の魔法発現前にいち早く無力化する攻撃魔法や、相手の魔法から身を守る防御魔法なども、その方法の一つです。代表的なものを挙げるとするなら、攻撃魔法は《衝波ブレスト》、《絶雷撃スタンレック》、防御魔法は《要塞ファーステン》、《城塞ボルグ》でしょうか。

 この『対抗魔法』の授業では実践を想定し、妨害魔法、解呪魔法だけでなく、攻撃魔法や防御魔法などを総合的に学ぶものとなっています。ただ、今日は補習授業ということなので、攻撃魔法 《衝波ブレスト》と防御魔法 《要塞ファーステン》の二つの魔法について、その理論と概要の基本的な部分を学ぶこととします」


 カーラは黒板に向かい、二つの魔法名を丁寧に綴る。続けて、それぞれの下に、杖を持った人型を白いチョークの線でくっきりと描き、その周りに簡単な説明を加えていく。


「皆さん、すでに知っているかもしれませんが、魔法の難易度は起こす事象の性質とその規模によって変化します。そういう意味では、この二つの魔法の難易度はそれほど高くないと言えるでしょう。この二つの魔法が起こす事象は、体内に流れる魔力を体外に放出させるという、とてもシンプルなものです。《衝波ブレスト》はそれを放つことで相手を攻撃し、《要塞ファーステン》は自分と相手との間に防御層を築きます」


 一方の人型が杖から何かを放ち、それをもう一方が防ぐような絵が追加される。


「この二つの魔法は、他者や周囲へ働きかけるものではなく、自分の内ですべて完結し、起こす事象自体もとても単純なもののため、魔法の中では、基礎レベルものとして認識されています」


 カーラは、ここで一度言葉を止め、教卓に手を置くと、ルシルたちを見渡す。


「しかし、だからこそ、その精度や威力は使用者の力量によって大きく変化してしまうのです」


 その言葉に、教室中が静まり返る。


「高度な魔法を使えるということは確かに素晴らしいことです。しかし、基本的な魔法であろうと、たとえ小規模な魔法であろうと、それを上手く使うことができ、実戦で活かせるのであれば、それもまた素晴らしいことなのです」


 ルシルはまるで自分に直接語りかけられているかのように感じた。胸には、内心暖かい感覚が広がる。


「この『対抗魔法』の講義は、魔法だけでなく、それらを使いこなす戦術などを学ぶものでもあります。みなさん、ぜひ三年次にはこの講義を履修することをお勧めします。――話が逸れましたね。授業を続けます。」


 その後も授業は続いたが、ルシルは興奮が収まる気がしなかった。




 放課後、五人は再び庭園のベンチテーブルに集まっていた。今回の集まりは、カーラの授業で学んだことを実践するためであり、試合の練習も兼ねていた。しかし、校則を考慮し、人目につかないようにする必要があったのだ。


 杖を握り対峙するルシルとギルバート。それをアンナとハナコはベンチで見守り、アランがルシルの隣で指導役を務めていた。

 木々の間から差し込む斜陽が、彼らの姿を柔らかく照らしている。

 ルシルは深呼吸をして、杖を高く振り上げた。


「《衝波ブレスト》!」

「………」

「………」


 だが、何も起こらなかった。風が木々を揺らす音だけが空しく耳に届く。


「上手くいきませんね」

「なんでなんだろう」


 ハナコが残念そうに呟き、アンナも肩を落とす。二人の反応に、ルシルは申し訳なさそうに顔を伏せた。そんな彼女にアランは声をかける。


「ルシル。もう一度、手本を見せるから、しっかり見ていてくれ」

「げっ、それってまた俺が受けるのかよ」


 ギルバートが不満げに言うと、アランは軽く笑った。


「公平にくじで決めたんだから文句を言うなよ。お前も『要塞(ファーステン)』を使ってくれ」

「……はいはい。わかってますよー」


 ギルバートは渋々ながらも了承し、アランがルシルと場所を交代する。そしてアランが杖を構え、ギルバートも同様に準備を整える。庭園の木々が風に揺れる音が、二人の間に漂う緊張感を一層引き立てた。そして――。


「《衝波ブレスト》」


 アランが力強く唱えると、その杖から白い閃光がほとばしった。


「――《要塞ファーステン》」


 ギルバートもすかさず防御魔法を発動し、光の壁を築く。二つの魔法が衝突する瞬間、閃光の粒子が四方に散り、光の雨が降るようだった。まるで花火のように輝く光景に、ルシルは思わず見惚れていた。


「――だ・か・ら、アラン! 威力が強すぎるんだよ!」

「それでも止められただろ」


 アランはギルバートの不満を気にせず、微笑を浮かべ返答すると、再びルシルへと視線を向ける。


「体内の魔力を外に押し出すイメージなんだが……掴めそうか?」

「うーん、まだよくわからない、かな」


 ルシルは首を傾げ、困惑の表情を浮かべる。


「けどよ、ルシルはこの学園に来るまで魔法を使ったことがなかったんだろ。日常的に魔法を使ってなかったんなら、まず魔力の感覚っていうのも難しいんじゃないか?」


 ギルバートがこちらに歩きながら言う。ルシルはその指摘に、さらに考え込むように顔を曇らせた。


「魔力の感覚……。うーん、ハナはどんなイメージでやっているの?」


 突然話を振られて、ハナコは驚いたように丸い目を見開いた。


 最初にそれぞれが《衝波ブレスト》を使ってみようとなったが、ルシル以外の全員が魔法の発現には成功していた。特にハナコは、魔法を使う経験がルシル同様に少なかったにもかかわらず、その威力がアンナやギルバート以上であったことに皆が驚かされた。


「そうですね……私も魔力の感覚というものは正直よく分かりません」


 ハナコは少し考えこむ。


「――ですが、あえて言うなら意識を流すイメージでしょうか」

「意識?」


 ルシルはさらに困惑した表情を浮かべる。それにハナコは優しく微笑みながら、さらに説明を加えた。


「聞いてもわからないですよね。実際にやってみましょうか」


 何をやるのかと思っていると、ハナコが手でテーブルの対面にルシルを促した。ルシルはそれに従い、座り直す。アランとギルバートも自然とテーブルを囲むように集まった。

 ハナコは全員がテーブルに揃うのを確認すると、制服の内から短冊状の紙を一枚取り出し、机の上に置いた。


「ではルーシーさん。紙の上に手を置いてください」

「……こう?」


 言われるがままに、ルシルは紙に手を置くと、その上からハナコが手を重ねてきた。驚いて顔を上げると、笑顔のハナコと目が合った。


「手に意識を向けてくださいね」

「はい」


 ルシルは自然と目を閉じ、重なる手に意識を集中させる。するとハナコの声が聞こえてきた。それは、いつもの穏やかな声とは異なり、凛とした響きを持っていた。


「神々の息吹よ、天地の和を以て、五行の調和を願わん

 木の根は深く、火は明るく、土は厚く、金は堅固に、水は清らに、循環せよ――」


 ルシルは不思議な感覚に包まれていた。周囲の音は完全に消え去り、ハナコの声だけが鼓膜に響き渡る。


「――今ここに、天地自然の力を宿し、持ち主に安寧と保護をもたらしたまえ」


 ハナコの手が触れている部分から温かな熱が広がり、それが次第に手のひら全体に広がっていった。

 しばらくそうしていると、不意にハナコの柔らかな声が戻ってきた。


「お疲れ様でした」


 ルシルが目を開けると、ハナコの微笑みがそこにあった。


「えーと、うん、ありがとう?」


 ハナコの手が離れると、ルシルも紙から手を放した。するとその紙には、不思議な紋様が浮かび上がっていた。


「……すごい」


 ルシルが驚きの声を上げると、周りの三人も同様に口を開けて固まっていた。


「ハナ、こんなことができたんだ!」


 アンナが感嘆の声を上げ、ハナコは少し恥ずかしそうに笑う。


「これは符術と呼ばれるものなのですが、特定の力を込めたり、守護や運気の向上を目的とした護符、要するにお守りを作り出す術です」

「これはアサカの法術とはまた違うのか?」


 アランが尋ねる。


「いえ、法術の一種ではあるのですが……これはアサカというより、私の家で代々受け継がれている術と言った方がいいかもしれませんね」


 ハナコはニコニコと質問に答え、改めてルシルへと向き直る。


「先ほど私が魔法を使ってみたときには、なんとなくですが、このときの意識をイメージしています」

「意識……」


 ルシルは護符と自分の手を交互に見つめる。先ほどの熱を帯びる感覚。あれが魔力の感覚というものなのか。


「……お役に立てたでしょうか?」

「うーん。わかったような気もするけど……」

「なんだかはっきりしないな」


 ルシルはまだ迷いがあるようで曖昧に答える。するとギルバートがテーブルに肘をついて笑った。


「すみません。私が上手く説明できなくて」

「そんなことないよ。なんだか手掛かりは掴めた気がする」


 ルシルが微笑みながら答えると、ハナコは安心したように頬を緩め、机の上の護符に手をやる。


「これは守護の護符です。きっとルーシーさんを守ってくれます。どうか試合の際には、これを持っていてください」

「いいの?」

「はい。どこかで渡そうと思っていたので、ちょうど良い機会でした」


 ルシルは護符を慎重に手に取り、改めてその模様を見つめた。細かく描かれた文字や図形は理解できないが、そこから確かに何か力を感じる気がした。温もりが指先に伝わり、不思議と心が落ち着く感覚があった。


「なあ、アラン。この護符っていうのは試合ではどういう扱いになるんだ? ルール違反になったりはしないのか?」


 気を使ったのか、ギルバートは小声で尋ねる。


「……おそらくは大丈夫だろう。決闘は基本的に実践を想定したものだから、魔法具の使用もおおよそ認められているんだ。本来は、杖も魔法具の扱いだからな。ただ、最近では公平性を巡って、文句が出ることもある。要は線引きが難しいんだ。過去には箒持参なんて奴もいたくらいだからな」

「ほんとかよ⁈ 判定の話といい、意外と曖昧なルールなんだな」


 吹き出して笑うギルバートの横で、アンナは黙って下を向いていた。その様子を見たルシルが気になって声をかける。


「アン、どうかしたの?」


 しかしアンナは顔を上げず、机を見つめたままだった。


「アン?」

「……あたし、まだ何にも役に立ててないよね。もとはと言えば、私が原因なのに……」


 アンナが不意に顔を上げ、何かをこらえるように話す。


「そんなことないよ。こうやって一緒に練習に付き合ってくれてるんだから。それに第一、アンが悪いわけじゃないでしょ」


 ルシルは少し驚いた。アンナがまさか自分に責任があると考えていたとは思わなかった。


「そうだぜ。悪いのはエドガーなんだからな。――まあ、アランには、責任の一端がないでもなさそうだがな」


 ギルバートが嫌味な笑みを向けると、アランは気まずそうに視線を逸らした。


「そうだとしても、あたしも何か力になりたいの。――試合までにできること考えておくから」

「――ありがとう。待ってるね」

「うん、期待しておいてね!」


 アンナはいつもの明るい表情に戻ったが、その眼にはいつも以上の強い光が宿っていた。視界の端ではギルバートがニタニタと笑っているような気がしたが、ルシルは特に気にしない。今はただアンナの純粋な好意が嬉しかった。


「よし、なにか掴めたなら早速実践しよう」


 アランはそう言うと立ち上がると、「ギル、相手役を頼む」と一言残していく。


「ちょっと待てよ。一息ついたことだし、もう一回くじ引き直そうぜ」

「いいから早く位置に付いてくれ。ルシルもだ」


 先に歩き出すアランに、ギルバートは「さっきの仕返しかよ」と悪態をつきながらも素直に立ち上がる。


「あたし、替わろうか?」


 アンナが提案したが、「――いいよ、別に」と言いながら、ギルバートは大人しく元の位置に向かっていった。ルシルも先ほどの位置に立つ。それを見届けると、アランが準備確認をする。


「準備はいいか」

「いいよ」

「こっちも大丈夫だ」


 ルシルが杖を構えると、ギルバートも同様に構える。

 ルシルは深呼吸をし、目を閉じた。心を落ち着かせ、内なる魔力を感じ取るために集中する。すると徐々に体が熱を帯び、その感覚が全身に広がっていく。これが魔力の感覚なのだろうか。ルシルはその感覚に身を委ね、意識をさらに内側へと集中させる。


 ――不意に風が吹き抜けた気がした。


 ルシルはゆっくりと目を開ける。そして杖を頭上に掲げた。


「《衝波ブレスト》!」


 ルシルの力がこもった声が、涼しげな庭園に空しく響き渡った。

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