参加同意書

 知らせが来たのは、その放課後のことだ。


 ルシルたちは午後の授業を終え、食堂での約束通り、作戦会議のために庭園のベンチテーブルに集まっていた。試合が実際に行われるのか、連絡はいつ来るのか、まだ明確な情報がなく、具体的な進行もないまま、集まりは雑談に終始していた。


「みんな、クラブはもう決めた?」


 アンナが尋ねると、ルシルは頭を横に振った。


「まだ決めてないよ」

「別にクラブって強制じゃないんだろ。俺ははなから入る気ないけどな」


 ギルバートが肩をすくめる。


「それじゃあもったいないじゃない」

「そうか?」

「あたしは、魔法生物クラブに興味があるんだよねー」

「聞いたことあるぞ。あそこの顧問、変人だって話じゃなかったか?」


 ギルバートがからかうように言う。


「なによそれー」


 そんな話をしていると、ふと一羽の白い小鳥が空から舞い降りてきた。その小鳥は優雅に彼らの頭上を旋回し、一度大きく翼を広げてからテーブルに降り立つ。


「……なんだこいつ」

「なんでしょうか」


 ハナコとギルバートが興味深げに顔を近づけると、小鳥は首を傾げるような仕草を見せ、その白い瞳でルシルたちを見つめ返す。


「ちょっと触ってみるか」


 ギルバートがそっと指を伸ばして小鳥をつつこうとする。


「ちょっと、やめときなさいよ」


 アンナの静止を聞かずにギルバートが触れると、その瞬間、小鳥の体は無数の短冊状に分かれ、まるで魔法のように一枚の用紙へと姿を変えた。

 ギルバートは驚きのあまり目を見開き、ルシルたちを見回した。


「……俺がやったんじゃないぞ」

「わかってるわよ」


 アンナはあきれるように言うと、用紙を手に取り、全員に見えるようにテーブルの中央へと引き寄せる。

 それには「魔法実技試合 参加同意書」と記載されており、下には署名欄が設けられていた。緊張が走り、誰かが息を飲む音が静かな庭園に響いた。


「とうとう来たな」


 アランが静かに言う。


「……うん」


 ルシルは少しの間、その用紙をじっと見つめていた。やがて、彼女は決意を固めたように羽ペンを取り出し、静かに空欄に名前を記入した。その間、誰も何も言わなかった。


 ――ルシル・ベイカー


 名前を書き終えた瞬間、用紙は再び短冊状に分かれ、元の白い小鳥へと姿を変えた。その小鳥は一瞬羽を広げ、再び空高く舞い上がると、校舎の方へと飛び去っていった。静寂が庭園に戻り、彼らの周りにただ風の音だけが響いた。


 ルシルたちはしばらくその方向を見つめていた。小鳥が見えなくなった後も、皆の視線は空をさまよい続けた。だが、その静寂を破るように、ギルバートが突然笑い出した。


「あーあ、これでもう後戻りできないな」


 ギルバートは大げさに肩をすくめ、いたずらっぽい笑みを浮かべた。それにアランも同調するように、笑みを浮かべた。


「もう腹をくくるしかないな」


 男子二人がやけにテンションを上げている様子を見て、アンナが彼らを軽く叱責する。


「二人ともなに笑ってるの。笑い事じゃないでしょ。そもそもこの集まりは試合に勝つための作戦会議なんだから」


 アンナの言葉に、ハナコもつい笑いだしてしまう。


「ハナ?」

「すみません。なんだか可笑しくて」

「ふふ、確かに」


 ルシルもつられて笑みをこぼす。


「二人までなに笑っているの!」


 アンナは眉をひそめながらも、その様子に呆れたような微笑みを浮かべた。

 不思議な感覚だった。あの用紙に名前を書いた瞬間から、体の中に熱が宿ったような気がする。状況は厳しいはずなのに、心の奥底では興奮と期待が渦巻いている。この感覚は、仲間と共に戦い、挑戦するからこそ感じられるものなのだろう。


「じゃあ早速始めようぜ。その作戦会議とやらを」


 ギルバートの一言を合図に、アンナが一つ咳払いした。どうやら作戦会議の司会進行はアンナのようだ。




 全員が改めて椅子に座り直すと、アンナが口を開いた。


「まず勝つ方法を考える前に、ルールの確認からしておきたいと思います。アラン、説明をお願いできる?」


「ああ」と短く返事をすると、アランが淡々とした口調で説明を始める。


「魔法実技試合、通称『決闘』は、魔法を使った一対一の魔法戦のことだ。ルールはシンプルに魔法のみを使うこと。肉体的な接触は禁止。勝敗は、たいていは監督官の判定で決まることが多い」


 アランの説明に、ルシルたちは耳を傾ける。ハナコが不安げに眉をひそめ、ルシルも緊張した表情を浮かべる。


「えっと、監督官の判定って具体的にはどういうことなの?」

「勝敗が明らかであったり、試合の続行が不可能だと判断された場合は試合が中止され、勝敗が宣告されるんだ」


 ハナコの顔が強張った。ルシルも自分の顔が引きつったのを感じた。


「続行不可能っていうのは、要するに戦闘不能ってことだよね?」


 ルシルが恐る恐る聞くと、アランはうなずく。


「そうだ。だが、ほとんどの場合はその前に監督官が止めに入る。それに、エドガーは嫌味な奴だが、そこまで悪辣な奴じゃない。おそらく判定勝ちを狙ってくるだろう」

「そうかあ?」


 ギルバートから疑惑の声が上がるが、アランは意に介さず説明を続ける。


「もし、それでも身に危険に感じたなら杖を放ればいい」

「杖を放る?」


 ルシルが首をかしげると、アランは再びうなずいた。


「ああ。それが試合中の正式な棄権方法だ。杖を手放した時点で危険とみなされる。――しないにしても、とりあえず頭に入れといてくれ」

「……わかった」


 ルシルは重い気持ちでうなずいた。その姿を見て、何かを察したのか、アランは努めて優しい声で続ける。


「決闘は、この学校の高等部から許される文化だ。だから俺も中等部の頃に何度か見たことがあるだけで、実際に参加したことはない。だが、それはエドガーも同じだ。あいつも授業で対人魔法を扱ったことがあるだけで、実戦経験なんてほとんどないに等しいはずだ。そこを上手く突けば、ルシルにも勝機はある」


 アランの言葉は、ルシルの心の不安を和らげるかのようだった。それは言葉自体もそうだが、何よりアランのその心遣いがルシルには嬉しかった。


「――うん。ありがとう、アラン」


 ルシルは感謝の意を込めて、力強く相槌を打った。


 その瞬間、ギルバートが勢いよく立ち上がり、「よし!」と手を叩いた。彼の声が庭園に響き渡り、全員の視線が集まる。


「ルールも分かったことだし、作戦練っていこうぜ。――というわけで、ルシル。どういう系統の魔法が得意だとかあるのか?」

「……え?」


 ルシルは一瞬戸惑い、言葉を詰まらせる。


「得意魔法だよ。それを参考にして作戦立てようぜ」


 ギルバートの再度の問いに、ルシルは「えーと」と言葉を濁す。だが、さすがに言っておかなければならない。


「その、実は……」


 ルシルは昨日アンナたちにした説明を繰り返した。二人は黙ってルシルの話を聞き終え、ギルバートは呆れたように笑った。その表情はかすかに引き攣っているように見える。


「……これは、先が大変そうだな」

「……まあ、やり方次第だろう」


  冷静な表情で言うアランに、ギルバートは半ば疑うような視線を向ける。


「ほんとに思ってるのか、それ」

「……」


 アランは一瞬視線を逸らし、無言のまま答えなかった。その無言の重みが、ルシルの胸に再び不安を募らせる。本当に勝機なんてあるのだろうか、そんな疑念が頭をもたげる中、校舎の方から鐘の音が響いてきた。

 そこでやっとアランは口を開く。


「……今日はここまでだな」


 その言葉に、アンナとギルバートは顔を見合わせる。


「逃げたな」

「逃げたね」

「……逃げてない」


 アランは誤魔化すように言い、そこで今日の集会はお開きとなった。


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