ルシルとアラン

 夕食までまだ時間の余裕があったものの、明日から授業が始まるため、この日の集まりはここで終了となった。


「じゃあ、私たちは先に戻るね」


 アンナが微笑みながら言うと、ハナコも続いてうなずく。


「ルーシーさん。また後で」


 ギルバートも一瞬アランに視線を寄せたが、特に言葉をかけることなく、寮に向かっていった。その背中には何か言いたげな気配が感じられたが、結局何も言わずに消えていった。


 三人が去るのを見送った後、ルシルは再びアランに目を向けた。ルシルは、アランに個別で聞きたいことがあり、もう少し残ってもらうように頼んだのだ。


 そして今、庭園に残ったのはルシルとアランの二人だけ。傾き始めた陽が木々の間から差し込み、二人の影を引き伸ばしていた。


「――それで俺に聞きたいことって?」


 アランが静かに尋ねる。その顔には、やはりカーラと共通する面影があった。


「カーラ先生はアランのお姉さんなんだよね?」

「そうだけど、それがどうかしたか?」


 教室でそれを知った時から、ルシルには気になることがあった。


「私、カーラ先生とはこの学校に来る前から色々と世話になっていたんだよね」

「……それで?」


 その問いに、ルシルは一呼吸置いた。深く息を吸い込み、心を落ち着かせる。


「――カーラ先生から、私についてなにか聞いたりした?」


 アランはどこまで知っているのか。ルシルが島の外からやってきたことは知っているのだろうか。ルシルはそれを知っておきたかった。


 アランは、しばらくルシルをじっと見つめていた。しかし、不意に目をそらすと、今日一番の大きなため息をついた。それが何を意味するのか分からないが、そのため息の意味が分からず、ルシルは少し肩をすくめる。


「ルシルが姉弟にどんなイメージを持っているか知らないが、姉弟と言ってもなんでもかんでも話すわけじゃない。ルシルが何を気にしているか知らないが、俺は姉さんから何か聞いたりしたことはない」

「……そっか」


 その語気にはわずかな苛立ちが混じっていた。ルシルはその言葉に少し委縮し、視線を落とした。


「聞きたいことはそれだけか?」

「……うん。引き止めてごめん」

「いいよ、別に。ただ……」


 アランは何かを言いかけたが、その言葉を飲み込むようにして黙り込んだ。


「……ただ?」

「……いや、いい」


 ルシルが促すように尋ねるが、アランは一瞬ためらった後、首を振った。そして短く「じゃあ」と告げると、庭園の出口に向かって歩き始めた。しかし、その歩みにはどこかためらいが感じられ、その背中は少し寂しげに見えた。


 ルシルはその背中を見送ろうとしたが、ふと何か言わなくては、と感じた。その感情が彼女を突き動かし、つい声をかけてしまった。


「それと!」


 アランは足を止め、振り返る。


「ルーシーでいいから」

「……は?」


 アランの目に困惑が浮かび、ルシルを見つめ返す。ルシルも、なぜそのようなことを言ったのか分からなかったが、それがなぜだかとても自然なことに思え、考えるよりも先に言葉が出てきた。


「その……友達として、そう呼んでほしくて。ほら、アンとハナも、そう呼んでるし、私も気に入っているから」


 ルシルは言い訳のように早口でまくし立てた。

 アランは驚いたように目を見開いていたが、次の瞬間にはふっと笑った。その笑みは、今日ルシルが見た彼の顔の中で一番年相応に見えた。


「わかった。考えておく。――また明日な。


 そう悪戯っぽく笑うと、アランはまた歩き出す。その笑顔はやはりカーラによく似ていた。

 ルシルはその後ろ姿に向かって叫ぶ。


「うん、考えておいて! また明日!」


 アランは振り返らなかったが、左手を上に挙げて応えた。その姿が庭園の出口に消えていくのを見届け、ルシルはもう一度ベンチに腰を下ろし、深く息を吐いた。


 ――なんだか初日から大変だったな。


 ルシルはおもむろに視界の端に映るガラスの温室へと意識を向けた。ルシルはおもむろに視線をガラスの温室へと向けた。中の様子は相変わらずうかがえないが、その隅にある鉢植え、あの青い花の姿がふと思い浮かぶ。ここからは見えないが、あの花は風に揺られながらも、しっかりと天に向かって花弁を広げているのだろう。


 しばらく物思いにふけっていたルシルだったが、やがて立ち上がった。ずっとこうしているわけにはいかない。明日からが本番なのだ。


 ルシルは、自分に喝を入れるように両頬を軽く叩くと、寮へと歩き出した。

 夕暮れの光が庭園を包み込み、ルシルの背中を温かく照らしていた。その光の中で、彼女は新たな一歩を踏み出す決意を新たにする。

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