魔法実技試合②

 エドガーの使った《祝福された災禍エアディグ・フィールベアロ》は、周囲を巻き込みながら炎を放つものだった。先ほどの《焔撃(フィールスラグ)》が火球を放つ魔法ならば、これはまさに業火の濁流を生み出す魔法だ。

 ルシルもすぐさま《要塞ファーステン》を展開したが、その勢いに負けて後方へと吹き飛ばされた。


「いっ!」


 短い悲鳴を上げながら、ルシルは数度転がり、床に体を打ち付けた。衝撃が全身を駆け巡り、息が一瞬止まる。痛みが波のように押し寄せ、しばらくその場で身動きが取れない。耳鳴りがし、視界がぼやける中、かすかに聞こえる観客のざわめきが遠く感じられた。

 しかし、ここで倒れているわけにはいかない。ルシルは震える手を床につけ、なんとか身体を起こそうとした。打ちつけた部分に鈍い痛みが走り、顔をしかめる。意識を集中させて、ゆっくりと体を動かすと、視界が徐々にクリアになり、周囲の状況が見えてくる。

 先ほどの魔法の残り火が床を焦がし、熱気が肌を刺す。焦げた匂いが鼻をつき、先程の魔法の激しさを物語っていた。


 エドガーはそんな状況を眺めながらルシルに数歩近づき、言葉を投げかける。


「ここから先は怪我だけじゃすまなくなるぞ――これが最後だ。棄権しろ。」


 ルシルは痛みを堪えながらもエドガーを睨み、力を振り絞って立ち上がった。その様子に、エドガーはため息をつき、冷ややかに問いかける。


「どうしてそこまでする?」


  ――またこの質問か。


 ルシルは、今朝のことを思い出していた。エレノアにされた同じような質問が頭をよぎる。エレノアの優しい表情と、目の前のエドガーの冷酷な表情との違いに、ルシルは心中で苦笑した。周囲の熱気が少しずつ収まり、汗が混じりながらも、ルシルは何とか息を整える。


「お前のその努力に、一体何の意味がある? それは怪我をしてまで続ける価値があるものなのか?」


 ルシルはため息をぐっと飲みこむ。


「――どうしてだ?」


 エドガーの声が改めて耳に響く。


 ――どうして? そんなの初めから決まっている。


「……むかつくからよ」

「……は?」


 エドガーはあんぐりと口を開ける。


 ――どこからか風が吹いた気がした。


 ルシルは小さく息を吐き、改めてエドガーを見据える。


「あなたも、あなたの周りも、この世界も、全部が全部むかつくからよ!」 


 この島の外、大陸でも人は誰かを排斥せずにはいられない。容姿、出身、思想、そして――家族構成なんかもそうだ。普通と違うから、自分と違うから、相手を貶める。自分と違うことを恐れ、他人を認められない自分の弱さの責任を相手に押し付ける。

 それはこの島でも変わらない。かつてそれを押し付けられた側である魔法使いの中ですら、責任の押し付け合いが止まらない。


 ――風が草花を揺らす音が耳の奥に響いてくる。


「髪色が違うからなに。出身がなによ。内部生と外部生の対立なんて、本当にどうでもいい。自分は自分だし、他人は他人。そんな簡単な話を受け入れられないなんて、その方がよっぽどおかしな話」


 ――風が体中で吹き荒び、全身を震わせる。


「私は、――私たちは、自分たちの意思で、そして自分たちの目的のためにここにいる。それを誰にも否定させないし、否定させるつもりもない。もしそれが否定される世界なら、私たちはその世界に抗わなければならないの。――私は私として、ここにいるってことを証明するために」


 そうやって世界に働きかけなくてはいけない。それは普通の人だって当然そうで、世界に干渉する魔法使いならなおさらだ。


 ルシルは言葉を絞り出し、息を切らしながらも、エドガーを真っ直ぐに見つめた。

 エドガーは眉を顰め、しばらくルシルを見つめ返していたが、不意に視線を逸らし、遠くを見つめた。


「――そういえばあのときも似たようなことを言っていたな」


 彼の視線の先には、学校生活初日、ルシルたちと初めて衝突した日の記憶が浮かんでいるのだろう。


「むかつく、か。……確かにそうだな」


 エドガーは一瞬鼻で笑い、すぐさま小さくため息をつく。


「お前の考えはわかった。だが、それは俺が負けてやる理由にはならない。俺にも、魔法使いとして、グランツ家の一員としてのプライドがある」


 エドガーの瞳には再び鋭い光が宿り、彼の手が杖を握る力が強まる。


「さっきのが最後の警告だ。もう手加減しない」


 そう言うとエドガーは杖をルシルに向けた。両者の距離は歩いて十数歩。

 ルシルは一度深呼吸し、心を落ち着けようと努めた。あの魔法が来る。


「天を仰げ――」


 来た。この瞬間を待っていた。アンナの作戦を使うとしたら、まさに今しかない。

 ルシルは全力でエドガーに向かって駆け出した。

 

「――その揺らぎこそ 施すものに終わりを告げた」


 エドガーは詠唱を続けながら、突進してくるルシルに一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐにその表情を消し去り、詠唱を再開した。しかし、ルシルの勢いは止まらない。


「地に伏せよ――」


 エドガーは呪文の詠唱を突然中断し、鋭い目つきでルシルを見据えた。それでも、ルシルの足は勢いを失わなかった。両者の距離はあとわずか。


 ――間に合う。


 そう確信した瞬間、エドガーが再び口を開いた。


「――《焔撃フィールスラグ》」


 エドガーは呪文の詠唱を打ち切り、即座に出せる《焔撃(フィールスラグ)》に切り替えた。ルシルがそれに気が付いた時には、目の前に火球が迫っていた。

 ルシルは思わず足を止め、迫り来る衝撃に備えた。


 ――だめだ、間に合わない。


 その時、彼女の制服の外ポケットから一枚の紙片が舞い出し、空中でひらひらと踊るように飛び出した。それはまるで意志を持つかのように火球とルシルの間に滑り込み、触れた瞬間、紙面に書かれた文字と紋様が鮮やかに輝き始めた。


「――ッ!」


 次の瞬間、火球は霧散し、紙片は灰のように舞い落ちた。文字も紋様も消え失せ、ただの白紙となって床に落ちる。ルシルもエドガーも、一瞬の間、何が起きたのか理解できずにいた。静寂が両者の間に漂う。


 ――ハナコの……護符?


 それに気づいたルシルは、瞬時に動き出した。残り数歩を一気に詰める。エドガーは驚きに目を見開き、杖を構えた。


「――《城塞ボルグ》!」


 エドガーは素早く防御魔法を展開した。強度は《要塞ファーステン》に劣るが、素早く展開できる防御魔法城塞《ボルグ》――空気を圧縮してシールドを形成する魔法だ。それでもルシルは歩みを止めず、エドガーと対峙した。


 ――これが、この作戦の要。魔力の威力がすべてを決める。


「――お母さん、今だけ私に力を貸して。」


 ルシルは左手で胸に垂れるペンダントを握り、目を閉じて集中した。エドガーに杖を向け、全身全霊で魔法名を叫ぶ。


「《光あれレオマ》!」


 その瞬間、左手の内側でピキッと音が響く。瞼の裏が白い光で満たされ、次の瞬間、不思議な情景を浮かび上がらせる。

 空と地が交わるような、一面の青い花畑。風が吹き抜け、その表面をかさかさと撫でながら花びらを舞い上げる。

 まるで夢の中のような風景の中に、人影が見えた。それも一人ではない。彼らは――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る