魔法実技試合①

 ルシル以外の四人は二階席へと向かった。アンナとハナコが振り返りながら名残惜しそうな様子を見せていたが、ギルバートが無理やり引っ張っていく。

 それを笑顔で見送ったルシルは、試合が行われるホールの扉に向かおうとしたが、ふと気づくとアランがまだこちらを見ている。何か言いたげな様子に、ルシルが声をかけようとしたその瞬間、アランの方から声がかかった。


、頑張れよ!」


 その言葉を残し、アランはギルバートの後を追って去っていく。ルシルはその後ろ姿を見送りながら、一瞬唖然とするが、すぐに小さくうなずいた。そして、今度こそ扉に向かう。

 入学式の際には開放されていた分厚い扉は、今、固く閉ざされている。今度はそれを自らの手で開かなければならない。扉に手をかける前に、ルシルは一瞬立ち止まり、制服の内からペンダントを取り出した。その石を静かに見つめ、心の中で呼びかける。


 ――お母さん、力を貸して。


 願いを込めた後、ペンダントをそっと胸元に垂らし、重い扉に向かって力を入れる。扉は重く、ぎしりと音を立てながらゆっくりと開いていく。


 ホールの内部に足を踏み入れると、入学式の時の厳かな雰囲気とは打って変わり、二階席からの観客のざわめきが空気を震わせていた。ルシルが現れたことに気づくと、その声は一層大きくなり、ホール全体に響き渡る。観客の期待と興奮が一気に押し寄せ、ルシルの心臓は早鐘のように鳴り始めた。その中をルシルは一歩一歩、歩みを進める。観客の視線が自分に集まるのを感じるが、そのすべてを振り払うように、ただ前を見据え続けた。

 中央には、すでにエドガーが待ち構えていた。余裕の態度で腕を組み、目を閉じているが、ルシルの姿に観客がどよめくと、ゆっくりと目を開けた。近づくルシルを捉えると、一瞬の不機嫌さを見せるが、それはすぐに皮肉を含んだ笑みに変わる。


「よお、ベイカー。なかなか来ないから、逃げ出したのかと思って心配してたぜ」

「――そうかな。時間通りだと思うけど」


 エドガーは鼻で笑う。


「時には逃げるのも選択肢の一つなんだがな。お前はそれを選べるほど賢くはないみたいだ」


 エドガーの余裕ある態度に、ルシルは胸の奥に不安が再び沸き上がるのを感じた。それを振り払うように、視線をエドガーから逸らす。そのとき、ルシルたちのもとに一人の男性が進み出てきた。分厚い眼鏡が光るその顔に、ルシルは見覚えがあった。


「両者が揃ったということなので、これより、今学期第一回目の魔術実技試合の開催を宣言したいと思います。私は今回、監督官を務めさせていただく、オリバー・ストーンブリッジです。よろしくお願いします」


 それは『魔法倫理』のストーンブリッジ教諭だった。授業での温和な雰囲気とゆったりとした話し方は影を潜め、眼鏡の向こうの目は鋭く光っている。会場中に響くその声は、感情を厳粛な雰囲気へと変えるものがあった。


「早速、試合を始めたいと思いますが……その前に一つ言っておきたいことがあります。この魔術実技試合は我が校の長い伝統の一部であり、魔法使いとしての道を歩む若き学生たちが、自らの技術と精神を試す貴重な機会とするべきものです。決して私怨を晴らすためのものではないことを、まずは頭に入れてください」


 ストーンブリッジの言葉には、単なる指示ではなく、ルシルとエドガーに対する戒めが込められているようだった。


「この場での勝利は、確かに栄誉あるものです。しかし、それよりも大切なことは、皆さんがこの場で学び、成長し、互いを高め合うことなのです。――この学園は、単に魔法を使う技術だけを教える場所ではなく、それ以上に、責任感、友情、そして共感といった、一人のとして、大切な価値観を育む場でもあるのです」


 ストーンブリッジの言葉が響き渡ると、ルシルは我に返った。

 ――そうだった。ここに来たのはエドガーに勝つためだけではない。自分は自分のできることをするだけでいいのだ。

 そう思うと、先ほどまでの緊張感、不安感が引いていくのがわかった。


「今日ここで繰り広げられる試合を通じて、ここにいる二人、そして会場の皆さんがそれぞれにとって価値ある経験を得られることを願っています」


 その言葉が会場に響き渡ると、まもなく拍手の嵐が起こった。それはしばらく続いたが、ストーンブリッジが杖を取り出し、高く掲げた瞬間に静寂が戻る。それを確認すると、彼はゆっくりと杖を振り、魔法名を唱える。


「《光輪の聖域結界サンクト・ウェルフリース》」

 

 その瞬間、半透明の半球がルシルたちのいる競技ホール全体を覆い、やがて完全に透明になって消え去った。観客を魔法の影響から保護するための防御魔法だろう。そしてストーンブリッジは再び二人に向き直り、厳粛な口調で告げた。


「それでは、試合を開始します。両者、位置について杖の準備をしてください」


 その言葉に従い、先ほどまで気だるそうに腕を組んでいたエドガーも懐へと手を入れ、真っすぐな黒い杖を取り出した。ルシルも自分の杖を取り出し、母のイニシャルの入った持ち手をしっかりと握る。


「ルールは魔法のみを使用すること。勝敗は私の采配で下します。棄権する場合は杖を手放すこと。いいですね」


 ストーンブリッジは二人に視線を送る。ルシルもエドガーも静かにうなずいた。

「では両者ともに杖を構えてください」


 ルシルはエドガーへと杖を構え、エドガーもゆっくりと杖をルシルに向ける。両者の緊張が高まる中、ストーンブリッジは試合開始の宣言をする。


「それでは――始め!」


 その合図と同時に、エドガーが鋭く杖を振り、声を張り上げた。


「《焔撃フィールスラグ》!」


 瞬間、閃光がルシルの頭脇を駆け抜けた。

 ルシルは一瞬、何が起きたのかわからなかった。だが、すぐに漂ってきた髪先の焼け焦げる匂いに現実を突きつけられた。今、自分は魔法を放たれたのだ。


 息を呑むルシルに、エドガーは声をかける。


「この場に逃げずに来たことは褒めてやる。だがそれだけだ。俺とお前じゃ、実力に差がありすぎる。今のでそれがわかったろ。俺はこの試合を今すぐにでも終わらせることができる」


 エドガーの顔からは先ほどまでの皮肉な笑みは消え、その瞳は怒りすら感じるほどに鋭く光っている。


「……何が言いたいの?」

「今すぐ棄権しろ。最初からお前に勝ち目なんてないんだよ。怪我したくなかったら、さっさとその杖を放り投げろ」


 エドガーの声は、これまで聞いた彼のどの声よりも低く、ルシルを脅す。ルシルは一瞬、心の中に恐怖がよぎる。しかし、仲間たちの顔が脳裏に浮かび、彼女は自分をなんとか奮い立たせる。


「私は棄権するつもりはないよ」

「……そうかよ」


 エドガーは一瞬顔をしかめるが、すぐに杖を振り上げた。


「《焔撃フィールスラグ》!」

「――《要塞ファーステン》!」


 両者の魔法がぶつかり合い、光の粒子になって霧散する。会場は一瞬の静寂に包まれ、その後、観客たちの歓声が響き渡る。ルシルは胸の中で鼓動が激しくなるのを感じながらも、必死に平静を保とうとする。

 ――今度は反応することができた。

 安堵するルシルに対して、エドガーはやや困惑したような表情を浮かべる。


「……ふん、魔法をまともに使ったことがないとんだがな。ある程度は使えるみたいだ」


 エドガーはやれやれと一つ大きなため息をつき、「なら仕方がない」と小さくつぶやく。そして、ルシルに改めて向き直ると、今度は大声で怒鳴る。


「死にたくなかったらしっかり防げよ!」


 その言葉と共に、エドガーの雰囲気が一段と鋭さを増した。周囲の空気が張り詰め、観客たちも息をのむ。

 ルシルは素早く杖を構え、エドガーの攻撃魔法に備えた。それに対してエドガーは薄く笑い、杖先をルシルに向け、ゆっくりと口を開いた。


「天を仰げ 虚空に輝く女神の秤を見よ――」


 それはひどく冷たい声音だった。

 ルシルは戸惑う。エドガーの次なる攻撃を逃すまいと神経を張りつめていたが、それが来なかったのだ。


「――その揺らぎこそ 施す者に終わりを告げた」


 その間も周囲の空気が徐々に熱を帯び、肌をじりじり焦がす感覚が走る。


「地に伏せよ 深淵に潜む織火の燻りを聞け――」


 ルシルがどうすべきか戸惑っていると、遠くから「ルーシー!」という声が届いてきた。声の方向を振り向くと、そこにはアンナの赤髪がはっきりと見えた。最前列で立ち上がり、手すりから飛び出る勢いで必死に叫んでいる。ルシルはその声に耳を澄ませる。


「ルーシー、呪文の詠唱よ! 気を付けて!」


 ルシルはハッと我に返った。

 ――そうだ。これは呪文だ。まずい、強力な魔法が来る。

 心の中で警鐘が鳴り響く。


「――その揺らぎこそ 我らに新たな始まりを告げる」

 

 ルシルはやっと杖を振る。


「ファ、《要塞ファーステン》!」

「全てを灰に ――《祝福された災禍エアディグ・フィールベアロ》」


 二人の魔法は、ほぼ同時に展開された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る