魔法実技試合③

 ルシルが目を開くと、エドガーは左手で目を押さえていた。杖を持つ右手をなんとか前に突き出し、ルシルの次の魔法に備えている。


「なんだっ、今の……」


 エドガーは困惑した声を漏らす。

 その声に目の前の状況が作戦通りであることに気づき、ルシルの心臓は大きく跳ね上がった。興奮と緊張が入り混じり、心臓の鼓動が耳に響く。それでも何とか冷静さを保ちながら、ルシルは次の魔法を準備する。今度は弱くていい、正確に、確実に当てることが重要だ。あれだけ練習した魔法――。


「《衝波(ブレスト)》!」


 微かな光をまとい、その魔法はエドガーの右手に向かって一直線に飛び、彼の黒い杖を後方へと弾き飛ばした。


「くッ!」


 エドガーは短く声を上げた。驚きと痛みから見えたその瞳には、先ほどの《光あれ(レオマ)》の影響か、かすかに涙が浮かんでいた。

 彼の杖はゆっくりと宙を舞い、ホールの床に転がり落ちる。カラカラと乾いた音がやけに耳に響いた。


 ――やった! やり切った!


 ここまでがアンナの考えた作戦だった。エドガーに接近し、《光あれ(レオマ)》で一瞬ひるませ、続けて《衝波(ブレスト)》で杖を手放させるというものだ。エドガーの杖は、ルシルたちの使う生徒用のものとは異なり、ガードが付いていない。それを狙ったものだった。

 本来であれば、《衝波(ブレスト)》をけん制に、《要塞(ファーステン)》で徐々に近づくはずだったが、そんな余裕もなかった。計画通りとはいかなかったが、何とかやりきることができ、ルシルは安堵の息を漏らした。興奮と緊張が混じり合い、その吐息にはまだ震えが残っていた。


 ルシルはその場に立ち尽くし、息を整えながら視線を足元に落とす。床に散らばる破片や焦げ跡に目をやり、一瞬の安堵に浸る。しかし、その安堵もすぐに違和感に変わった。


 ――あれ?


 ルシルはふと顔を上げ、ストーンブリッジに視線を送る。だが彼はただ離れた場所からこちらを見ているだけで、試合終了の合図は一向に聞こえない。杖を離したら棄権と見なされるはずではなかったのか。

 困惑の中、焼け焦げた空気が鼻をかすめ、ルシルは我に返った。視線を戻すと、エドガーがすでに杖を拾おうと身を翻していた。

 焦燥感が胸に広がる。もし彼に杖を拾われたら、次こそは間違いなく劣勢に立たされる。ルシルは急ぎ、努めて冷静に杖を構え直す。しかし、エドガーの体に遮られ、今度は杖に狙いがつけられない。どうすべきか、一瞬の迷いがルシルの頭をよぎる。このまま彼の背中に《衝波(ブレスト)》を放てばいいのか。今の自分に威力を調整するだけの技術はあるのか。


 ――どうする?


 ルシルの迷いなど関係なく、エドガーが体を屈め、杖に手を伸ばす。ルシルの目には、その動きがスローモーションのように映った。全身に緊張が走り、汗が頬を伝う。観客の歓声が遠のき、耳の中には自分の呼吸音だけが響く。


 ――どうする?


 不意に風が吹いた気がした。それは過去の記憶を洗い出すような、そんな感覚を伴っていた。あの日の寮室で、彼女が初めて見せてくれた魔法が脳裏に蘇る。

 その記憶が心を揺さぶり、ルシルはついに決意を固める。杖を強く握りしめ、口を開いた。


「――《風よ(ウィンド)》!」

 

 それはアンナが初めて見せた魔法。だが、アンナが見せたものとは規模も威力もあまりに違うものだった。突風がホール内を駆け巡り、焼けた床の灰が舞い上がり、エドガーの体全体に吹きすさぶ。杖はさらに後方に運ばれ、前かがみになっていたエドガーも姿勢を保てず床に倒れ込んでしまう。

 その瞬間、ルシルは素早くエドガーのもとに駆け寄り、倒れ込んだ彼に向けてけん制するように杖を構えた。エドガーは突風の勢いに押され、前かがみに倒れ込むも、身をひるがえして何とか地面に座り込む姿勢をとっていた。


 そのとき、ルシルの耳に届いたのはストーンブリッジの威厳ある声だった。


「両者、そこまで!」


 その声がホール全体に響き渡ると同時に、ルシルは我に返り、杖を収める。エドガーもまた、完全に降伏の意を示すかのように身を沈めた。


「勝者、ルシル・ベイカー!」


 その宣言とともに、観客席から歓声が沸き起こり、ルシルを包み込んだ。ホール全体が熱狂し、その熱気が波のように押し寄せる。

 ルシルは高鳴る心臓と乱れる呼吸を落ち着かせようと、深く息を吸い込んだ。胸の奥から湧き上がる達成感に、ついに自分が勝ったという実感を噛みしめた。


 ルシルはゆっくりと振り返り、二階の最前列へと視線を向けた。遠くからでも、仲間たちが喜び合っている姿がはっきりと見えた。アンナとハナコが手を取り合い、歓喜のあまり飛び上がっている。その横ではギルバートとアランが微笑みながら拍手を送ってくれていた。その瞳には、おそらく自分と同じく、喜びと同時に安堵の色が浮かんでいるのだろう。


 ルシルはそんな彼らに向かって手を振ろうとした瞬間、自分がずっとペンダントを握り締めていたことに気が付いた。そして、指をゆっくりと開く。


「……あれ?」


 ルシルの口から自然と声が漏れた。試合前にはなかったはずのひびが、いつの間にか石に刻まれている。いつの間にこんなものができたのだろう。

 ルシルはそのひびを見つめながら、胸の奥に不思議な感覚が広がるのを感じた。大切な母のペンダントにひびが入ったというのに、なぜか悲しみは感じなかった。むしろ、心の中で母の存在を今まで以上に強く感じることができた。まるで母が、自分に力を与えてくれたかのような温かな感覚が広がっていく。


「お母さん……」


 ルシルはペンダントを再び握りしめ、その温もりを胸に感じた。目を閉じると、母の優しい声が聞こえてくるような気がする。力強く、そして愛情に満ちた声が、自分を支えてくれているのだと実感する。


 ルシルは左手でペンダントを握ったまま、杖を持つ右手を高く振り上げ、視線を仲間たちに向けた。そして、力強く声を上げる。


「――わたし、勝ったよ!」


 その声に応えるように、会場全体の歓声がさらに力強く響きわたった。

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