彼女たちの回想①
寮室に戻ってからも、夕食をとっている間も、アンナの話題は尽きることがなかった。彼女の関心はすっかり魔法生物部に向けられていた。
アンナは、エヴァネルの可愛さや、魔法生物部での学びについて熱心に語り続け、さらには部員がいないことを逆手に取り、部室を勉強部屋として活用できるという利点まで持ち出していた。その様子は、ルシルたちを暗に勧誘しているのが見え見えだった。ただ、その明るい口調の裏で、彼女の言葉の端々にオスカーへの不満が漏れ聞こえていた。最後の一言がやはり気がかりだったのだろう。
そこでルシルはふと、アンナがこれまでクラブの話題を避けていた理由に思い至った。彼女は、あの一件――オスカーの魔法実技試験――が心に引っかかっていたのだろう。キャロラインの話からも、その事件が学園中に広まっていることが明らかだった。それはルシルだけでなく、アンナやハナコにも少なからず影響を与え、クラブに入ることにためらいを感じさせていたのだろう。特に三人一緒に活動しようとすれば、その影響はなおさらだった。
アンナは、最終的にどのクラブが彼女たちにとって最適かを見極めようと、今まで耐えていたのかもしれない。そして、白羽の矢が立ったのが『魔法生物部』だったのだ。
ルシルは、そんなアンナに申し訳ない気持ちを抱きつつ、彼女の話に耳を傾け続けた。
アンナの勧誘と愚痴が七週目を回り、そろそろ眠りにつこうかという頃――ハナコが大きく舟をこぎ始めた時、寮室にノックの音が響いた。その音に、ハナコが肩をびくりとさせる。
「私が出るよ」
ルシルは率先してシングルベッドから立ち上がり、扉へと向かった。アンナの話から逃げるための言い訳にもなった。
「どちら様ですか――」
そう言って扉を開けると、視線の先に形の良い頭と薄いブロンドの髪が見えた。いつもと違い、髪はきちんと留められていて、見下ろすと大きな深く青い瞳がルシルを見上げていた。
「……ベイカーさん、少しお時間ありますか?」
セシリア・スタンホープがそこに立っていた。
ルシルは二人に軽く断りを入れると、セシリアと共にラウンジへと向かった。時間が遅いせいか、ラウンジは閑散としており、普段は誰かが座っている深い赤色のクッションが施された木製のソファも、今は静かに空いていた。二人は、テーブルを挟んで向かい合い、そのソファに腰を下ろした。
向かい合ったセシリアは、やはり小柄で華奢な体つきをしており、同じ年とは思えないほど幼く見えた。彼女が着ているフリルのついた寝間着が、その印象をさらに強めている。ラウンジの暖かな光の下で、セシリアはまるで自分の内に閉じこもるかのように目を伏せ、何かを言おうとしているようだった。その様子に、ルシルも少し緊張しながら、優しく声をかける。
「それで、今日はどうしたの?」
ルシルの問いかけに、セシリアは何度か口を開いては閉じ、やがて意を決したように小さな声で答えた。
「実は……マギーのこと、話したくて……」
「……マギーのこと?」
ルシルは思わず、オウム返しに尋ね返した。マギーについて話すことなど、すぐには思い浮かばなかった。しかし、セシリアの表情は真剣そのもので、心痛そうにうつむいており、ルシルの胸にも不安が募る。
――喧嘩でもしたのかな?
そんな考えが頭をよぎり、二人の間に流れる静寂が、ルシルの緊張をさらに高めた。彼女は息を詰め、どう切り出せばいいのか迷いながらも、恐る恐る尋ねた。
「……それで、マギーがどうかしたの?」
自分には二人の仲裁をする自信など到底ない、そう思いながらも、何とか聞き出そうとするルシルに対し、セシリアは突然、長い髪を振り乱し、勢いよく頭を下げた。
「その……ごめんなさい!」
「……え?」
予想外の謝罪に、ルシルは言葉を失った。深夜の静寂の中、自分よりもずっと小柄な少女が、全力で頭を下げている――そんな状況に、彼女はしばし脳の機能を停止させた。
――私はこの島に来て何度、人に謝られればいいのか。
そんな意味のない考えが頭をめぐり、ふっと我に返る。
「と、とりあえず顔を上げて」
ようやく絞り出した声で促すと、セシリアは顔を上げたが、その目はまだ伏し目がちだ。その様子に、ルシルは再度、努めて優しい声で尋ねた。
「それで、マギーがどうかしたの?」
するとセシリアは一瞬ためらった後、静かに口を開いた。
「……マギーが、たびたび突っかかって、嫌な思いをしていたらと思って――ごめんなさい」
その言葉を聞いた瞬間、ルシルはようやく事態を理解した。
――今日のテストのことか。
マギーの無遠慮な態度は、日常茶飯事になりつつあり、ルシルはもはや気にすることもなかった。しかし、セシリアの声には真剣さと不安が感じられる。
少なくとも、二人が喧嘩をしたわけではないことに安堵しつつ、ルシルは正直な気持ちを伝えることにした。
「安心して。別に気にしてないよ」
「……ほんとに?」
セシリアはようやく視線を上げ、大きな瞳でルシルをじっと見つめた。その瞳にはまだわずかな疑念が残っているようで、ルシルはなんとか彼女を安心させるために、さらに言葉を紡いだ。
「うん、全然ね。自分でも不思議なんだけど、なんだか嫌な感じがしないんだよね、マギーには」
――試合を挑んできた誰かとは違ってね。
ルシルは心の中でそう付け加えたが、セシリアに向けては優しい笑顔を浮かべる。するとセシリアの表情は、少しずつ和らいでいく。
「そうなんだ……良かった」
セシリアは安堵の息を吐き、その小さな声が静かなラウンジに柔らかく響いた。その様子に、ルシルもまた息を吐き、肩の力が抜けていくのを感じた。何事かと身構えてしまった自分が、少し恥ずかしくも思えたが、同時にセシリアの優しさに触れ、胸が温かくなるのを感じた。
「わざわざそのことを言いに来てくれたの?」
ルシルの問いに、セシリアは少し恥ずかしそうにうなずいた。彼女の動きに合わせて、薄いブロンドの髪が微かに揺れる。
「うん。もうすぐ休みに入っちゃうから、その前にと思って」
確かに、ハーフターム――一週間の休みが、すぐそこに迫っている。学校に残って勉学に励む者もいれば、実家に帰省する者もいるようだ。ただルシルには、帰る家がこの島にはなく、図書館にこもって八年前のことを引き続き調べるつもりだった。
「そっか。わざわざありがとね」
「ううん、いいの。私がしたかっただけだから」
セシリアは控えめに頭を振り、再び視線を下げると、ぽつりと話し始めた。
「マギーは昔から少し思い切りがいいだけで、本当はとっても優しいの。だから、ベイカーさんには嫌ってほしくないなって思って」
「少し」という言葉が引っ掛かったが、ルシルはそれを口にするのをやめた。セシリアの気持ちが伝わってきたからだ。
「二人は前から知り合いだったの?」
ルシルが尋ねると、セシリアは「うん」と小さくうなずいた。
「マギーは、私の家のお手伝いさんの娘さんで、お手伝い見習いだったの。……ううん、私専属のお手伝いさんみたいな感じかな。いつも一緒にいてくれたの」
セシリアはどこか懐かしそうに話していたが、その言葉はゆっくりと、ひとつひとつに重みが感じられた。彼女の小さな手が膝の上でぎゅっと握りしめられているのが見える。しかし、ルシルには「お手伝いさん」という言葉が正直、実感として湧いてこなかった。それに気づいたのか、セシリアは少し言葉を選びながら続けた。
「私の家――スタンホープ家は、地元ではそれなりに有名な家系みたいなの。代々、子供たちは未来を覗く能力、不思議な目を持って生まれてくるみたい」
ルシルは思わず「へえ、すごいね」と感嘆の声を漏らす。だが、彼女は一瞬控えめに笑うと、その声はすっと暗くなる。
「……でも、私はそれを持たずに生まれてきちゃったの」
その一言に、ルシルは息を飲んだ。彼女が抱える心の奥底が一瞬にして垣間見え、先ほどの軽率な感嘆の言葉が無神経に思えた。
ルシルは胸の奥で何かが疼くのを感じたが、黙ってセシリアの次の言葉を待つことしかできなかった。
「それで、ずっと離れに一人でいたんだけど、ある日、マギーが来てくれたの。……たぶん、マギーも選択の余地なんてなかったんだと思う。マギーも自分の家族とうまくいってなかったみたいだから。でも、私にとっては唯一の話し相手だったの。『専属のお手伝いさん』って言ったけど、実際はいつも私を守ってくれていた」
セシリアの顔に浮かんだ満面の笑みには、マーガレットへの深い友愛が感じられた。そこには、自分の過去や境遇を悲観する様子は一切なく、むしろマーガレットが彼女に与えた影響の大きさが見て取れた。
その瞬間、ルシルはふとアンナのことを思い出した。アンナと彼女――ある特徴を持った者と持たなかった者。二人の状況はまるで異なるが、しっかりと前に進んでいる――その点では共通しているのだと。
「……そっか。すごいんだね」
「うん。そうなの!」
セシリアは力強くうなずき、その言葉に込められた感情が一層深まるのを感じる。その姿を見て、ルシルも自然と微笑みを返した。
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