栄光と残影
試合も終わった午後、ルシルたちはお馴染みの庭園のベンチテーブルに集まっていた。祝勝会を兼ねた遅めの昼食を取ることになり、テーブルには各自が売店で購入した昼食と、アンナとハナコが持参したクッキーと紅茶が、どこから持ってきたのか、陶器の皿とカップに丁寧に並べられていた。
準備が整うと、ギルバートが自分のカップを手に取り、立ち上がった。彼の動きに皆の視線が集中する。
「じゃあここは、僭越ながらこの俺が乾杯の音頭を取らせてもらおうと思います。皆さん、お手元のコップを手にお取りください」
「もう、なに格好つけてるのよ。そもそも、紅茶で乾杯って変じゃない」
アンナが窘めるように言う。その隣ではハナコも笑っていた。
「はい、そこ静かに。誰もやらなさそうだから、俺がやってあげてんだろ」
ギルバートは咳払いを一つしてから続ける。
「まあ、なんだかんだありましたが、今日のルシルの勝利を祝しまして――乾杯!」
「「「乾杯!」」」
適当な音頭に苦笑しながら、ルシルはみんなと乾杯をする。陶器製のカップであるため、実際にぶつけることはせず、空中で軽く振るだけのものだった。
昼食が遅れたのは、試合後すぐに生徒の一部から試合内容に対する抗議があったからだ。問題に挙げられたのは、ハナコの護符だった。公平性に欠けるということで、一時は再戦の話まで出かかったのだが、エドガー自身がそれを拒否することで、やっと話は収束した。ストーンブリッジ教諭の判断も助けとなり、最終的にルシルの勝利が確定した。
ハナコはその後、申し訳なさそうに謝罪に来たが、ルシルが、護符のおかげで重傷を免れ、勝利に繋がったことを懸命に説明すると、やっと納得してくれた。
アンナとギルバートは試合直後からこの場に至るまで、ルシルの活躍を絶賛し続けていた。ルシルの試合での一挙手一投足について、アンナが興奮して褒めるのに対し、ギルバートがそれを煽るように同意する。そこに今、ハナコまで加わるとなると、ルシルにはもう止められなかった。
ルシルは助けを求めるようにアランを見るが、アランはまるで演劇でも見るように、ルシルたちのやり取りを面白そうに眺めているだけだった。
そんな時間がしばらく過ぎ、ルシルの狼狽ぶりを見て満足したのか、ギルバートが、クッキーに手にしながら話題を変える。
「――それにしても最後のあれはなんで棄権扱いにならなかったんだ?」
ギルバートがクッキーを味わいながらアランを見る。しかし、アランは軽く眉を顰め、首を傾げた。疑問の意図を理解できない様子だった。
「杖の話ですよね。エドガー君は、ルシルさんの魔法で杖を吹き飛ばされました。杖を手放すことで棄権と見なされるルールがあるにも関わらず、なぜエドガー君が棄権にならず、試合が続けられたのか、ということではないですか?」
「……ああ、あの時のことか」
ハナコが補足するように説明すると、アランはようやく理解したようにうなずいた。その様子にギルバートは軽くため息をつく。
「アラン。お前が言ったんだろ。杖を手放せば棄権と見なされるって。それを逆手に取って、アンナが考えたのが、杖を狙って落とさせるっていう、あの作戦だったんだよ。――こっちはあそこで試合が終わったかと思ってたのによ。試合が続くんだから、肝が冷えたぜ」
「……そうだったのか?」
アランがアンナに視線を寄せると、アンナは気まずそうにうなずく。
「……俺の説明不足だったみたいだな。すまない」
アランは軽く頭を下げ、申し訳なさそうに付け加える。
「棄権の方法は確かに杖を手放すことだ。だが、それは自分の意思によって行われた場合に限られるんだ。相手に杖を落とされようと、本人に続行の意思があって、まだ決着をつけるほど決定的な場面ではないと判断されれば、そのまま続行となる。――ルシルとエドガーの場合、杖はまだエドガーの拾える範囲にあったし、本人にそれを拾う意思もあった。だからストーンブリッジ先生は、続行と判断したんだろう」
そこでルシルは疑問を口にする。
「じゃあ、最後の決着の判断は何でだったの?」
「ルシルが杖を持たないエドガーに対して杖を構えたからだ。ルシルの次の魔法でエドガーを確実に無力化できると判断されたんだろう」
「チェックメイトみたいなこと?」
「そういうことだ。通常の試合でも、そう判断されて決着がつくことは少なくない」
そこまで聞いて、ルシルは自分の幸運に感謝した。あれ以上、エドガーを攻める手段を、自分は持ち合わせていなかった。あのまま試合が続いていたら確実に自分は敗れていただろう。安堵の息を漏らしながら、ルシルは手に取ったクッキーを見つめた。
その時、横に座るアンナが勢いよく頭を下げた。
「ルーシー、ごめん!」
その動きに驚き、ルシルは手に持っていたクッキーを落としそうになった。
「ど、どうしたの、急に」
「あたし、何も知らないであんな作戦を考えて……」
アンナの声には先ほどまでの興奮は消え、代わりに深い申し訳なさが滲んでいた。
「そんな――時間もなかったし仕方ないよ」
ルシルは優しくなだめるように言ったが、アンナは頭を下げたまま動こうとしない。
「――アン、頭を上げて」
ルシルは、真っ赤な髪を垂れ下げるアンナに優しく声を掛けるが、やはり反応はない。
アンナもハナコもどうして自分を責めるのか。
「もう!」
「んっ!」
ルシルは両手でアンナの頬を優しく掴み、顔を持ち上げた。
「アン。今日私が勝てたのはみんなのおかげなの。私ひとりじゃ、きっと何もできなかった。練習に付き合ってくれて、作戦を考えてくれて、応援してくれて。――それがあったからこそ、勝つことができたし、今ここでみんなとそれを喜ぶことができたんだよ」
ルシルはアンナのブラウンの瞳を見つめた。その瞳の奥に映る自分を見つめながら、自分の気持ちをしっかりと伝えるために、息を深く吸い込む。
「だから、そんな謝らないで。こっちが困っちゃうよ」
その言葉を聞くと、アンナは「ルーシー」と涙声で言いながら、ルシルに抱きついた。ルシルは優しく彼女を受け止めつつ、改めて周りの仲間たちに目を向けた。
「みんな、本当にありがとう」
ハナコは微笑み、アランとギルバートも満足そうに笑った。
「じゃあ、ここらでもう一回乾杯しておくか」
ギルバートが提案すると、全員が笑顔でカップを持ち上げた。木漏れ日がカップに反射し、温かい輝きを放つ。空気には紅茶の香りと、草花のさわやかな香りが漂っている。
「それでは――乾杯!」
「「「乾杯!」」」
その声は、庭園に心地よく響き渡った。風が再び吹き抜け、木々が揺れる音が耳を優しく包む。ルシルはこの瞬間、この場所にいることの幸せを深く感じた。
◇◇◇
祝勝会は和やかな雰囲気のまま終わりを迎え、片付けが始まる中、ルシルは一時的にその場を抜け出した。みんなには申し訳なかったが、ある人と会う約束があると伝えると、快く送り出してくれた。
約束の場所は校舎の前、あの古びた掲示板の前だった。夏の夕暮れ時、まだ日は沈んでいないものの、校舎の影が長く伸び、周囲は薄暗い雰囲気に包まれている。風が頬をかすめ、微かな涼しさを感じさせた。
約束の人物は暗がりの中で静かに立っていた。ルシルの姿を認めると、向こうから声がかかる。
「なんだよ、聞きたいことって」
エドガーは不機嫌そうな顔を隠すこともなく言う。
「――それとも、ただ負け犬を笑うために、わざわざ呼び出したのか?」
ルシルは一瞬戸惑ったが、すぐに「そんなことしないよ」と訂正しつつ、エドガーに向き合った
「それにもし再戦になっていたら、負けていたのは私の方だと思うし。……そういえば、どうして再戦を断ったの?」
あの混乱の中、エドガーが再戦を拒否した理由を知る機会はなかった。
ルシルの問いに、エドガーは軽く鼻を鳴らしながら、興味なさげに答える。
「負けは負けだろ。お前がどんな手を使おうが、どんな魔法具を使おうが、俺はそれを全てねじ伏せて勝つつもりだった。それができなかった時点で俺の負けなんだよ。それに――」
そこでエドガーは言葉を切り、大げさなため息をついた。
「……お前が近づいてきたとき、俺は攻撃じゃなく防御を選んだ。お前が近づいてきた意図が読めなかったから、一度出方を探ろうとした。だが、その選択が結果的に、自分の敗北を招いたんだ。――だから周囲が何を言おうと、俺の負けなんだよ」
言い終わると、エドガーは自嘲気味に笑った。その笑みには、悔しさと自己嫌悪が潜んでいるようで、その言葉には、彼なりの魔法使いとしての誇りが感じられた。
ルシルはどう言葉を返せばいいか迷ったが、その迷いを断ち切るかのようにエドガーが再び口を開く。
「まあ、いい経験になったさ。お前みたいな素人に負けるくらいだ。俺には足りないものが多いってことだろ。今、それに気づけたのは――まあ良かったよ」
落ち込んでいるように見えつつも、言葉の合間に皮肉を挟むエドガーに、ルシルは感心しながら「なにそれ」と笑い返した。その笑顔には少しだけ安堵が混じる。
エドガーも一瞬だけ柔らかく笑って見せたが、すぐに言葉を詰まらせたように口を閉じる。
「あと、あれだ……」
たどたどしく言葉を紡ぐエドガーに、ルシルは耳を傾けた。エドガーは綺麗に撫で上げられた金髪を一度撫で直すと、観念したように小さく息を吐く。
「……あの時は悪かったな」
突然の謝罪にルシルは目を丸くした。エドガーはそれに気付き、少し照れくさそうに視線を逸らし続けた。
「……むかつく奴の顔が見えたせいで熱くなって、余計なことばっか言ったよな。――悪かった。お前の仲間にもそう伝えてくれ」
まさかエドガーの口から謝罪の言葉が聞けるとは、ルシルは夢にも思っていなかった。今日の試合は、エドガーに謝罪を求めてのものではなく、自身が何か行動を起こさずにはいられなかったという、ひどく個人的な感情によるものだった。しかも、その行動によって誰かの認識がそう簡単に変わるなんてことを本気で信じていたわけでもない。
しかし、目の前のエドガーが自らの言動を反省し、不器用ながらも謝罪している。その事実がルシルにはただただ嬉しかった。心の中に温かい感情が広がり、表情は自然と和らいだ。
「わかった、伝えておく。――私もあの時は熱くなって、挑発するようなことを言ってたよね。こっちこそごめん」
今度はエドガーが目を丸くしたが、すぐに「お互い様ってことだな」と笑う。
その言葉が少し引っ掛かり、ルシルも笑顔で応える。
「アランにもしっかりと伝えておくから」
「はあ! あいつにだけは伝えなくていいんだよ」
期待通りのエドガーの狼狽ぶりに、ルシルはすっかり満足した。
数日前は考えられなかったような温和な雰囲気が二人の間に流れる。しかし、その空気が居心地悪いのか、エドガーは「それで!」と大声で話題を変える。
「なんなんだよ、聞きたかったことって。さっきの再戦の話がそれってことでいいのか。なら俺はもう行くぞ」
エドガーは身をひるがえして立ち去ろうとする。ルシルはここに来た理由を思い出し、エドガーを呼び止めた。
「いや、それとは別に聞きたいことがあったの」
その言葉にエドガーは足を止めた。ルシルは安堵し、彼の背中を見つめながら続ける。
「試合中、私に言ったよね。私が魔法をまともに使えないって。あれはどういう意味だったの?」
「――ああ、あれか」
エドガーは背を向けたまま、顔だけをこちらに向けて答えた。
「人から聞いたんだ。――というか、聞いてもないのにあっちから教えてきたって言う方が正しいな。ルシル・ベイカーは魔法をまともに使ったことがない。だから軽く脅すだけで容易に勝つことができるだろう、とかなんとかな。……それがどうかしたのか?」
「いや……」
ルシルはその言葉に息をのんだ。胸の奥で不安が膨らむ。
その人物が「魔法をまともに使えない」と言ったのなら理解できる。それは事実であり、庭園の練習を少し覗けば、すぐにわかることだ。だが、その人物は「魔法をまともに使ったことがない」と言った。それはルシルの過去を知っているということを意味している。そんな人物は、当然限られてくる。
「……それって誰が言ってたの?」
「ああ、それは――」
校舎の影がさらに濃くなったような気がする。どこからか風が吹き込み、ルシルは肌寒さを感じた。
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