魔法生物講義①
ルシルたちがクラブ見学に来たと伝えると、二人は快く迎えてくれた。彼女たちをもう片方のソファへと促し、女子生徒は部屋の奥へと姿を消す。先生らしい男も机上に散らばっていた諸々のものを片付け、奥へと持ち運んでいった。
三人は促されるままにソファに身を沈めた。柔らかな革の感触が身体を包み込み、次第に緊張が解けていくのを感じる。両脇のアンナとハナコもどこかリラックスした様子で、ルシルも自然と呼吸が深くなっていった。
しばらくして、男が戻ってきた。先ほどまで寝ていたソファに再び腰を下ろし、無造作に置かれていた毛布を丁寧に丸めて膝の上に乗せる。乱れていたシャツは着替えられ、顔も洗ったのか、さっぱりとした印象になっていた。しかし、顎にはまだ薄く無精髭が残っており、少し疲れたような風貌を醸し出しているが、それが逆に彼の親しみやすさを際立たせているようだった。
「――恥ずかしいところを見せてしまったね」
彼は気恥ずかしそうに頭をかいた。薄茶色の髪は短く整えられているが、生え際がやや後退しており、それが彼の人生を静かに物語っている。鼻の上に軽く乗った丸眼鏡の奥からは、澄んだ青色の瞳が柔らかな光を放っていた。
「私がその『魔法生物学部』の顧問、オスカー・ハートだよ。もちろん専門は魔法生物学だ。よろしく」
三人が揃って「よろしくお願いします」と軽く腰を浮かせかけたが、オスカーは手をかざしてそれを制した。三人は目を見合わせ、再びソファに身を沈める。
そして今度はこちらが自己紹介をする番だと、アンナが口を開く。
「あの、あたしは――」
「私、知ってるよ」
その瞬間、背後から柔らかな声が響いた。振り返ると、先ほどの女子生徒が部屋の奥から静かに戻ってきていた。ゆるく波打つ金髪をなびかせながら、ティートレイを手にしている。傍から見ても背が高くスタイルが良い。歩く姿もどこか優雅だった。
「アンナ・ミードさんでしょ」
彼女はアンナに笑いかけ、ティートレイを机にそっと置くと、自然な仕草でオスカーの隣に腰を下ろした。金色の花模様が施されたカップから立ち昇る湯気が、彼女の動きに合わせて軽やかに揺れ、紅茶の香りが部屋全体に漂い始める。
「あなたは……ハナコ・ヨシダさんだったかな」
彼女は柔らかな笑みを浮かべながら、今度はハナコに視線を送った。ハナコは一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに「は、はい」と小さくうなずく。
「そして――」
彼女の視線が、ゆっくりとルシルへと移る。
「あなたが、ルシル・ベイカーさん」
彼女は切れ長の目を細め、まるで猫のように微笑んだ。その表情には、親しみやすさと共に、どこか鋭さが感じられた。ルシルの第一印象は、どこか掴みどころのない人物だというものだった。そして同時に、疑問が心に芽生える。
――どうして私たちのことを知っているのだろう。
彼女のネクタイの色と柄から、彼女が三年生であり、外部生であることがわかった。そんな彼女と接点があるはずがないのだが、ルシルもどこかで見たことがあるような気がしていた。
ルシルが考え込んでいると、オスカーも「おや?」と不思議そうに首をかしげた。
「知り合いだったのかい?」
「いやいや、違いますよ。ていうか、さっき一緒に誰なのか聞いていたじゃないですか」
彼女は軽やかな笑い声を漏らした。
「彼女、この前の魔法実技試合に出ていたんですよ。それはもう大盛り上がりだったんですから」
彼女が興奮気味に語ると、オスカーは感心したように「ほう」と低く呟いた。
「先生、そういうのにはあまり関心がないですもんね。たまには外に出た方がいいですよ」
彼女は「ねえ」と言いながらルシルに話を振るように視線を向けた。
「えっと……」
ルシルは驚いて言葉に詰まる。
「ああ、急にごめんね。私は高等部三年、キャロライン――ええ、キャロラインよ。堅苦しいのは苦手だから、キャリーでいいからね」
「……よろしくお願いします」
ルシルたちは一瞬の間を置いてから、揃って軽く会釈をしながら答えた。キャロラインはそんな三人に満足げに微笑み、ティートレイからカップを手に取ると、一口紅茶をすすった。
オスカーも自分のカップに手を伸ばし、紅茶を飲みながら、少しリラックスした表情を見せる。それを見て、ルシルたちも自然とカップを手に取った。
――それにしても、あの試合がここまで影響力を持っていたとは。
掲示板に載っていた自分や、印象的な髪色のアンナはともかく、ハナコまで名前が知られているとは予想外だった。
ルシルはゆっくりとカップを口に運び、温かな紅茶を含む。紅茶の香りが口の中に広がり、そんな動揺も少しずつほぐれていくのを感じた。
しばらくお茶を飲みながら静かな時間が流れ、部屋にほのかな温もりが広がる。その空気の中で、オスカーはゆっくりとカップを置き、改めて三人を見渡した。
「さて、改めて聞くけれど、君たちは魔法生物部の見学に来たということでいいんだね?」
その問いかけに、ルシルたちは静かにうなずきながら、手にしていたカップをそっと置く。
「それは嬉しいね」
オスカーは穏やかな笑みを浮かべるが、すぐに申し訳なさそうに眉を下げる。
「――ただ、知っているかい? 今、わが『魔法生物部』は部員がゼロで、実質休部状態なんだ」
その言葉に、ルシルは目を見開いた。ハナコも同様に驚いた様子で、二人の視線は自然と彼の隣のキャロラインへと向かう。しかし、彼女は平然とした表情で、淡々と答えた。
「ああ、私は部員じゃないよ。ただ、たまに先生のお手伝いをしているだけ。――内申点も期待できるからね」
オスカーは、ははっと乾いた笑いを漏らし、肩をすくめて見せた。
ルシルとハナコは困惑の色を隠せず、今度は揃ってアンナに視線を送る。しかし、彼女はまるで驚くこともなく、冷静な態度で答えた。
「はい、大丈夫です。知ってて来ましたから」
その言葉に、今度はオスカーとキャロラインの目が小さく見開かれた。
「――先生、良かったですね。新入部員ですよ!」
キャロラインが明るい声で言うと、オスカーは嬉しそうに目じりにしわを寄せる。
「ああ、嬉しいことだね」
感慨深げに三人を見つめた後、彼は優しい口調で問いかける。
「君たちは一年生だったね。魔法生物については、どれくらい知っているのかな?」
その問いかけに、ルシルとハナコは互いに顔を見合わせ、静かに首を振った。実際、ルシルは魔法生物についての知識がほとんどないことを自覚していた。
オスカーは理解を示すように優しくうなずき、しばし考え込むように視線を落とした後、提案する。
「じゃあ、今日は見学ということだし、魔法生物の特別講義でもしようかな」
「お、お願いします!」
アンナは興奮を抑えきれず、身を乗り出した。ルシルとハナコもその勢いに自然と引き込まれ、「お願いします」と声を揃える。
オスカーは「よしっ」と嬉しそうに手を一度叩いた。
「では、まず君たちは、魔法生物と言われて、何を思い浮かべるかな?」
オスカーはハナコに視線を向けた。ハナコは一瞬戸惑いながらも、考え込んだ後、ためらいがちに答えた。
「龍……ドラゴンなどでしょうか」
オスカーは満足げに大きくうなずき、今度はルシルへと視線を移す。
「えっと、フェニックス、ブラウニーとか……かな」
ルシルは少し不安げに隣のアンナをちらりと見やった。オスカーもその動きを追いかけるようにアンナに視線を向けた。
アンナはルシルを安心させるように一瞬微笑み、再びオスカーへと向き直った。
「ケンタウロス、サラマンダー、それからピクシーなどでしょうか」
オスカーは再び大きくうなずき、ルシルたちの答えに満足した様子で話を進める。
「君たちが挙げてくれた通り、魔法生物と言っても様々だ。そして、その分類法も多く存在する」
オスカーはここで言葉を切り、気を持たせるようにたっぷりと間を置く。その表情には、まるで知識を披露することに心踊る子供のような無邪気さが見え隠れしていた。
「そこで今日は、最も一般的な分類法のひとつである『マクシム分類法』を紹介しようか。――これが提唱されたのは、今からちょうど百二十年前のこと。当時、まだ無名だった魔法生物学者、マクシム博士によって発表されたんだが、この分類法は、現在でも魔法生物学の世界ではたびたび取り上げられていて、僕にとってもバイブル的な存在なんだ。ちなみに、マクシム博士というのは、本名をロバート・マクシムといって、彼自身も非常にユニークな経歴の持ち主で……」
オスカーは滔々と語り始め、その言葉は次第に熱を帯びていく。語り口も自然と早くなっていった。ルシルたちはその勢いに少し圧倒されつつも、なんとか耳を傾けていたが、キャロラインが遮るように軽く咳払いをした。
「……おっと、すまない。こういう細かい話は、また別の機会にしよう」
オスカーは照れくさそうに軽く咳払いをする。隣ではキャロラインが、やれやれといった表情で肩をすくめる姿が目に入った。
「この分類法は、魔法生物の本質と世界における役割を基準にしたものなんだが、大きく魔法生物を四つに分けている。
一つ目は、顕界的存在 (Manifested Beings)――現実世界において物理的な形態、特に動物のような特徴を持ちながらも、魔法的な能力や特性を併せ持ち、生態系の一部として機能している魔法生物の総称だ。代表的なものは、やはりドラゴンかな」
オスカーはゆっくりとした口調で話し始めたが、その声には再び確かな熱がこもっていた。
「ドラゴンとは、多くの文化や伝説において登場する巨大な爬虫類型の魔法生物の総称だね。巨大な翼を持つもの、口から炎を吹き出す能力を持っているもの、ドラゴンだけでも多種多様だ。――アサカで言い伝えられている『龍』なども、その一種と考えられる」
彼は微笑みながらハナコに視線を送る。彼女の出身地を見抜いたのだろう。
ハナコは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにうなずいて見せた。
「二つ目は、異界的存在 (Ethereal Beings)――異世界にその主体が存在し、現実世界では物質的な形態を持たない霊的な魔法生物の総称だね。妖精や精霊なんて呼び方もされるものたちだ。――先ほど君が挙げてくれたサラマンダーやピクシーなんかがこれに該当する」
オスカーは今度はアンナに視線を向け、さらに話を進める。アンナもまた、彼の説明に真剣な表情で耳を傾けていた。
「そして三つ目が、境界的存在 (Liminal Beings)――現実世界と異世界の両方に属し、そのどちらにも完全には依存しない中間的な魔法生物のことだ。人型を持ちながらも、妖精的な特徴や力を持つものが多く、現実世界で実体を持つことが特徴だね。ブラウニーなどはここに該当する」
オスカーの視線がルシルに移り、二人の視線が交わる。その瞬間、ルシルは、無意識に庭園で働くブラウニーの姿が浮かべていた。小さな体で静かに庭を手入れする、その姿が脳裏に鮮明に蘇る。
「――実は、私の研究テーマが彼らに関するものでね。彼らの存在、つまり二つの世界の側面を兼ね備えるその性質について、ずっと研究しているんだ」
そうポツリと言うと、オスカーは視線をテーブルへと落とした。その瞬間、その表情に微かな陰りが差し、口元が固く閉ざされる。先ほどまでの情熱的な語り口が一変し、部屋の空気が重く沈んだ静寂に包まれる。
ルシルたちは突如訪れた静寂に戸惑い、困惑の色を浮かべた顔でお互いを見つめ合った。キャロラインもまた、どこか落ち着かない様子で視線を宙へと彷徨わせている。
彼自身もそれに気づいたのか、すぐに顔を上げ、誤魔化すような微笑みを浮かべると、カップをもう一度手に取った。
「……えっと、次は四つ目だったね。四つ目は、異質的存在 (Outlier Beings)だ。現実世界や異世界のいずれにも完全には属さず、定義が曖昧で分類が困難な存在だ。要するに、よくわかっていないものたちのことさ。――亡霊、そして悪魔なんかがここに分類される」
オスカーは少し早口に言葉を続けたが、その声には依然としてどこか戸惑いの色が残っており、彼の指先はカップの冷たい縁を撫でるように動いていた。
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