魔法と感情
ルシルは授業が終わるとすぐに、カーラのもとに駆け寄った。昨日の放課後のこと、《
「カーラ――じゃなくてレイヴン先生、質問いいですか?」
「はい、なんでしょうか。ベイカーさん」
カーラは薄く笑みを浮かべて応えた。アンナとハナコが見ている手前、「レイヴン先生」と呼んだが、カーラもそれを察して「ベイカー」と呼び返した。二人には隠す必要もないようにも思えたが、カーラ自身が公私を区別しているのなら、自分もそれに従うべきだろ。
ルシルは違和感を覚えながらも、本題へと入る。
「それが私、魔法を上手く使うことができないんです……」
「それは……魔法を行使できないということ?」
カーラが問い返すと、ルシルは真剣な表情で頷いた。カーラは一瞬眉間にしわを寄せ、そのまま一人で何かを考え込む。その沈黙が重く感じられ、ルシルは焦りから言葉を続けた。
「魔力のコントロールが上手くいってないのかなと自分では思っているのですが……」
「魔力のコントロール……」
カーラはルシルの言葉をオウム返しに呟くと、もう一度ルシルに向き直った。
「ルシル、私がさっきの授業で使った魔法覚えている?」
「え、ああ、うん。確か《
突然の「ルシル」呼びに驚き、ついルシルも敬語を忘れて反応してしまう。
「それを今ここで使ってみてくれる?」
「えっ、そんな急に……できるかな」
「失敗してもいいから、気楽にやってみなさい」
「……わかった」
返事をしたものの、ルシルには自信がなかった。それでも、とりあえずは杖を取り出し、それをしっかりと握りしめた。
「この魔法は、昔、夜道を歩く際に利用されていたものよ。それを意識しながら杖の先に小さな光を宿すようにしてみなさい」
――夜道を照らす小さな光。
そのイメージを思い浮かべ、全身を巡る魔力の流れを感じ取る。
ルシルは目を閉じ、ゆっくりと深い呼吸を二度繰り返す。その感覚を杖先へと送り込み、意識を集中させた。
そして、目を開き、静かにつぶやく。
「――《
ルシルの声と共に、杖の先から小さな光が生まれた。それは微かで儚い光だったが、確かに彼女の手元で輝いていた。授業で見せたカーラの光に比べれば、あまりにも控えめな光ではあったが、それでも確かに成功だ。
「!」
「ルーシー、やったね!」
アンナとハナコの声が弾む。ルシルが振り返ると、二人の友人がすぐ後ろまで駆け寄ってきていた。しかし、その瞬間、ルシルの集中が途切れ、杖先の光は消えてしまった。
「……すぐに消えちゃったけどね」
「それでも成功だと思います!」
「そうだよ! 一度できたんだから、他の魔法だって絶対できるよ」
アンナとハナコの喜びに満ちた言葉に、ルシルは少し照れくさくなりながら、改めてカーラへと向き直った。すると、カーラは依然として難しい顔をしていた。
「カーラ?」
「――ルシル、もう一度同じ魔法をお願いできる?」
「え、 《
「ええ。それに今度は、さっきよりも大きな光源を意識してやってみてほしいの。それは当然、より多くの魔力を使ってという意味も含んでいると考えてもらっていいわ」
「……わかった」
カーラの意図ははっきりとは掴めなかったが、ルシルは素直に従うことにした。アンナの言うと通り、一度できたのだから、きっともう一度できるはずだと自分に言い聞かせながら。
ルシルは杖を握りしめ、再び内なる力に意識を集中させた。
――夜道を照らす光。それも先ほどよりも大きく、強く、暗夜を切り裂くような眩い光。
今度も成功させるのだという思いが、全身を駆け巡る魔力に熱を帯びさせる感覚とともに、胸の内に広がる。
ルシルは確信をもって唱える。
「《
だが、杖の先から光は発せられなかった。それどころか先ほどまで感じていた魔力の感覚も、まるで霧のように消えてしまっていた。
「どうして……」
失望の声が漏れる。ルシルは動揺を隠せず、その顔には困惑が色濃く滲んでいた。しかし、カーラは驚くことなく、むしろ何かを理解したかのようにうなずいた。
「ルシル、その首のペンダント、少し見せてくれる?」
「え、これ?」
「ええそう」
ルシルは予期せぬ依頼に少し戸惑いながらもペンダントを首から外し、カーラへと差し出す。
カーラはそれを丁寧に受け取ると、首紐と石をそれぞれじっと見つめる。ルシルはそれをただ見守ることしかできず、居心地の悪そう立っていた。
するとカーラがふと深いため息をつき、「なるほど」と呟いた。
「なにか分かったの?」
ルシルが緊張して尋ねると、カーラはすぐには答えず、複雑そうな表情で、言葉を選ぶように躊躇っていた。
「このペンダントに何か問題があるの?」
ルシルが続けて問うと、カーラはゆっくりと口を開いた。
「……いいえ、ペンダントには何も問題はないわ。むしろこのペンダントには、あなたを守るように魔法が施されているわね。――おそらくアマンダさんの」
「お母さんの?」
「……ええ。だからしっかりと身に付けておきなさい」
カーラはペンダントをルシルに返し、優しく笑みを浮かべた。しかし、ルシルはまだ疑問を抱えていた。
「え、じゃあ結局、私が魔法を上手く使えないのはどうしてなの?」
カーラは一瞬考え込むような仕草を見せた後、ルシルに改めて向き直る。
「ルシル、魔法を行使するために必要な要素はなんだったかしら?」
「――たしか魔力と詠唱だったよね」
カーラの口元に、わずかに笑みが浮かぶ。
「そうね。しっかり授業に集中していて偉いわ」
「……もしかして、からかってる?」
ルシルの指摘にカーラは「ごめんなさい」と返すが、その笑みは消えない。
「ルシルの場合、詠唱はおそらく大丈夫でしょう。問題なのは、自分でも言っていたように魔力のコントロールだと思うわ。ルシルはまだ大量の魔力のコントロールに慣れていないから、たとえ小規模な魔法であっても、その効果を高めようと注ぐ魔力を増やすと、逆に魔法が破綻してしまうのね。さっきの魔法、《光よ(レオマ)》を使った時の感覚を覚えている?」
「うん、たぶん?」
「じゃあ、最初と二回目の違いがなんだったかわかる?」
ルシルは先ほどのことを思い出す。一回目と二回目の違いは――。
「意識した光の強さ、かな?」
「そうね。そして、おそらくそれが行使するための魔力に影響しているのね」
「魔力に影響?」
ルシルは首を傾げる。
「そう、あなたが意識的に光の強さを変えようとしたとき、無意識に魔力の量も増やそうとしたのでしょうね」
ルシルは依然として困惑したままだった。
「魔力は本人の意識や感情に影響を受けるものよ。――これはまだ授業で説明していなかったわね。魔法使いが魔力をコントロールすること、それは自分の意識や感情をもコントロールすることに他ならないの。特にルシル、あなたは魔力と意識――というより魔力と感情の感応性が高いように見たわ。魔法を使おうとするとき、その意識が感情を昂らせて、結果として魔力に影響しているんじゃないかしら」
カーラにそう言われると、そんな気がしてきてしまう。ルシルが何も答えられずにいると、カーラは続ける。
「感情は魔力を燃やす炎、だけれどその炎を操るのは冷静な心でなければならない」
カーラはそう言うと、「昔の言葉よ」と説明を追加した。
「もう少し落ち着いて魔法を使えってこと?」
「それもあるわね。でもどちらかというと、魔力を扱うことがあなたにとって自然なことに思えるようになる方がいいわ。すぐには難しいかもしれないけれど、魔法を使うことが当たり前になれば、その前のめりの意識も改善するんじゃないかしら」
「でもそれって、つまり――」
「あなたは、まだ魔力を多く使う大規模な魔法や強力な魔法は使うのは早いってことね。まずは小規模な魔法を練習しながら、魔力を扱うことに慣れることね」
ルシルはその説明に納得しつつも、それを受け入れられない事情を抱えていた。
「……でも私、明日試合があるんだよね」
カーラの眉が苦笑を浮かべながらも、やや顰められた。
「知っているわ。無茶なことしたわね」
「やっぱり無茶だったかな」
「ええ無茶ね」
ルシルは心がさらに重くなり、つい俯いてしまった。心の中に広がる不安と焦りが、まるで濃霧のように包み込んでくるようだった。
「――でも、そんなところもアマンダさんにそっくりだわ」
「……お母さんに?」
母の名前に、ルシルが再び顔を上げると、カーラはどこか遠い目をしていた。
「ええ。あの人はいつも無茶ばかりしていたわ。誰かのために、そして何より自分のためにね。――何もかも無茶苦茶な人だった。けれど、それでも最後までやりきる人だったわ」
そう言うと、カーラはルシルを見つめ、優しげに目を細める。
「あなたにも事情があるのでしょうから今更止めるようなことはしないわ。でも、やるからには最後までやり切りなさい。――くれぐれもケガだけはしないように。そのペンダントも忘れずに身に付けておくのよ」
その穏やかな声が、ルシルの不安を少しずつ和らげていく。
「うん。わかった」
「さっきも話したけど、今のあなたには強力な魔法を使うことはきっと難しいでしょう。でも、それで試合を諦める必要はないわ。単純な魔法であろうと、たとえ小規模な魔法であろうと、それを上手く使えば高度な魔法にも対抗できるはず」
これは昨日の『対抗魔法』の授業でも聞いた話だ。
「うん。ちゃんとわかってるよ」
「そう。それなら私から言うことはもうないわ」
その時、次の授業の予鈴が教室に鳴り響く。
「ルーシー、そろそろ次の教室に向かわないと」
「うん、わかった」
アンナの声に返事をしながら、ルシルはカーラに向き直る。
「じゃあ、行くね」
「ええ。明日の試合、私も見ているから、頑張りなさい」
カーラは微笑みながら頷く。その優しい表情が、ルシルにさらなる勇気を与えてくれるようだった。
「うん!」
その言葉に力強く頷いたルシルは、そのまま教室を出て次の授業へと向かう。なぜだか足取りがここに来た時よりもずっと軽く感じた。
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