失敗と成功

 昼休み。今日は授業が午前中だけだったため、ルシル、アンナ、ハナコの三人は、すでに馴染み深くなった庭園のベンチテーブルで昼食を楽しむことに決めた。陽光が木々の間から差し込み、庭園は穏やかな空気に包まれていた。


 売店でそれぞれお気に入りのサンドイッチを選び、テーブルに広げる。ルシルとアンナはハム、卵、レタスのシンプルな組み合わせを選んだが、ハナコは意外にもフルーツサンドを選び、嬉しそうにそれを頬張っていた。


「――ところで、ルーシーはレイヴン先生と前から知り合いだったの?」


 アンナが対面に座るルシルに興味深げに尋ねた。ルシルはサンドイッチに口をつけようとしていたが、その問いに驚いて一瞬手を止めた。いや、あれほどあからさまに話していたのだから、気づかれても当然だ。


「いや、この学校に入るまでいろいろお世話になったというか……」


 そこまで言って言葉に詰まる。どこまで話していいのか、何から話せばいいのか。

 ルシルが続く言葉に悩んでいると、アンナから「えー、いいなー」と声が上がる。


「レイヴン先生ってかっこいいよね。あのミステリアスというか、知的というか――とにかく、雰囲気がとっても素敵!」

「わかります。なんだか憧れちゃいます」


 ハナコの共感に、アンナはさらに熱を入れて続ける。 


「しかも、あんなに若そうなのに魔法学校の教師を務めているなんて、――まさに、あたしが目指している将来像そのものだわ。あたしもルーシーみたいに、カーラ先生って呼ぼうかな」


 ルシルはアンナとカーラのイメージを頭の中で重ね合わせながら、内心で苦笑いする。そして、笑い合う二人を眺めながら、いつか二人に全部話したいと思った。きっと二人ならわかってくれる。ルシルはそう信じることができた。




 ルシルたちが昼食を終えた頃合いに、アランとギルバートがゆったりとした足取りで庭園に姿を現した。庭園の緑が揺れる中、彼らの姿が徐々に近づいてくるのを見て、アンナが声をかける。


「二人とも遅いわよ」

「そうか? 俺たちは普通に飯食ってただけだぞ」


 ギルバートが肩をすくめながら返す。


「ルーシーは明日試合なのよ。早めに来て、すぐに作戦会議を始められるように準備するのが普通でしょ」

「そんなの暴論だ!」


 ギルバートとアンナの軽口の応酬を横目に、アランがルシルのもとに寄り、小さく謝罪を口にする。


「悪い。遅くなったみたいだな」

「ううん、大丈夫。別に遅れてないよ。私たちも今さっき昼食を終えたところだから」

「――そうか。なら良かった」


 アランは、ほっとした様子で目を細める。その表情は、その表情は、どこかカーラと似ていて、やはり姉弟なのだと実感する。


 その間に、ハナコがアンナとギルバートを落ち着かせ、テーブルに着かせることに成功していた。それを見て、ルシルとアランもその輪に加わる。そして、先ほどのカーラとの話で分かったことを二人に説明する。


「へえ、魔力と感情のコントロールか。魔力はわかるが、感情なんて考えたこともなかったな。それは今まで魔法を使ってなかったからなのか?」


 ギルバートが疑問を投げかけ、アンナがそれに答える。


「それは関係ないと思う。カーラ先生の話だと魔力と意識の感応性が高いって話だったけど」

「……それは結局悪いことなのか?」


 ギルバートは、今度はアランに尋ねる。


「どちらとも言えないな。感情の高ぶりで魔力が増加するっていう話ならいいが、結局それは魔力の扱いになれた熟練者の話だろう。ルシルの場合、逆にそれが足枷になって魔法が使えていないようだしな」


 アランの説明に全員が黙り込む。庭園をそよぐ風が、木々の葉を揺らし、ささやく音が静かな瞬間を包んだ。


「今更、悩んでも仕方がない。とりあえず、その感情を抑えての魔法使用を試してみよう。時間がないんだ。さっさと始めよう」

「そうですよね。やってみなくてはわかりません!」


 気を取り直すように、アランとハナコが言う。それにルシルも意を決した。


「やると決まれば、相手役を決めなくちゃな。アラン、くじの用意してくれ」


 その言葉にアンナはニヤリと笑う。


「あーあ。言っちゃったわね。こういうのは言い出しっぺが負けるって相場が決まってるのよ」

「確率は四分の一だぞ。それに俺は前回もやったんだぜ。当たるわけあるかよ」


 自信ありげに笑うギルバートを横目に、アランは適当な紙を鞄から取り出す。それを縦に細長く四つにちぎり、一つの先端にだけ黒い印を付けた。そして先端を見えないように握りしめ、一度テーブルの下に隠し、再びテーブルの上に差し出す。ルシルを除くアンナ、ハナコ、ギルバートに向けて差し出した。

 三人がそれぞれ手を伸ばし、同時に引く。その結果は――。


「また俺かよ⁉」


 ギルバートがくじを握りしめ、頭をテーブルに打ち付ける。


「だから言ったでしょ。言い出しっぺが負けるんだって」

「ギルバートさん、頑張ってください」

「……くっそ」


 うな垂れるその姿がなんとも滑稽で、アンナとハナコ、そしてアランまでもが微笑んだ。


「じゃ、頼むぞ、ギル」

「……わかってるよ。やればいいんだろ」


 アランの言葉に、ギルバートも顔を上げ、立ち上がる。その際、ルシルが「よろしく」と一言声をかけると、「おう、任せろ」と澄ました顔で返す。先ほどの大袈裟な反応が演技なのではないかと思わせるような切り替えの早さだ。ルシルは、その変わり身の早さに感心しながら、同時に胸の内で感謝した。


 そして、アランの指示に従い、ルシルとギルバートは適切な距離で向かい合い、杖を取り出した。庭園の風が二人の間を抜け、緊張感が静かに漂い始める。


「まずは《衝波ブレスト》からだ」


 ルシルは頷き、杖を構えた。そこでカーラの言っていたことの難しさを改めて実感する。意識をしないということは、要は無意識に魔法を使うということだ。しかし、魔法に触れてこなかったルシルには、魔法を無意識に使用するという感覚がまだ掴めない。

 ルシルが動かずにいると、アンナとハナコが「落ち着いて」や「リラックスです」と声援を送ってくれる。

 アランもルシルの心境を察してか、声をかける。


「ルシル、まだ本番じゃないんだ。失敗してもいい。何回もやり直せばいいさ」

「――わかった。やってみる」


 ルシルは深く息を吸い込み、心を静める。意識はしないが、集中する。全身を流れる魔力の熱を感じながら、それをむやみに使うのではなく、ゆっくりと慎重に巡らせる。

 ルシルは深く息を吸い込み、心を静める。すると全身を巡る熱の流れが、心が凪いでいく気がした。

 その流れを少し外側に放出するだけ。それは当たり前で、ありきたりな行為で、とても自然なこと。ルシルは自分に言い聞かせるように思い、その感覚を心の中で固める。


 ――風のそよぐ音は、今は遠い。


 そして杖を振り上げ、ゆっくりとした動作で言葉を紡ぐ。


「――《衝波ブレスト》」


 瞬間、杖先に空気と微かな光が集まり、前方へと勢いよく放たれた。ギルバートは油断していたのか、魔法名を唱えるのがわずかに遅れてしまった。


「やっ、《ファース—」


 慌てて唱え始めるも、ルシルの《衝波(ブレスト)》は既にギルバートの杖を握る手元に到達していた。ギルバートは思わず身を反らせる。しかし、威力が幸いにも強くなかったため、彼の手元は軽く後方へはじかれる程度で済んだ。それでも、反射的に避けようとした動作がバランスを崩させ、結果としてギルバートは地面に尻もちをついてしまった。

 それを見て、ルシルはすぐさまギルバートに駆け寄った。


「ごめん、ギルバート。大丈夫?」

「……いや、大丈夫だ。こっちこそ悪い。少し気を抜いていた。まさか一回目で成功するなんてな」


 ギルバートはばつの悪そうな顔で頬をかきながら、当たったはずの右手を杖とともにひらひらと振り、大丈夫なことを示す。

 ルシルがそっと胸をなでおろすと、突然、背後から抱き着かれた。驚いて振り返ると、そこにはアンナの笑顔があった。


「ルーシー、成功だよ! 大成功!」

「ルーシーさん、おめでとうございます!」


 ハナコもアンナの後ろで、小さく拍手をしてくれている。


「――二人ともありがとう」


 二人が喜ぶ姿を見て、ルシルは自分が成功したことに今になって気が付いた。


 アランはその様子を微笑ましく見守りながら、地面に座り込んでいたギルバートのもとへと近寄る。


「油断しすぎだ」

「……まずは俺の心配をするのが先じゃないですか、普通」


 ギルバートが不満げに返すと、アランは笑みをこぼしながら手を差し伸べる。


「それもそうだな。大丈夫か、ギル」 

「……ああ、もちろん大丈夫だ。ガードに当たっただけだからな」


 アランの手を取り、ギルバートは立ち上がると、ズボンについた土を軽く叩き落とす。そして軽く息を吐くと、気を取り直すように言う。


「何はともあれ、成功だな」

「うん、ありがとう。ギルバート」

「ああ。いい練習相手になっただろ」


 ギルバートの顔からは、先ほどまでのばつの悪さがすっかり消え去っており、代わりにいつもの笑みを浮かべていた。

 その様子に、アンナが悪戯っぽい笑顔を見せる。


「確かにいいやられぶりだったわ」

「……」


 その言葉に、ギルバートは反論こそしなかったものの、その右頬はぴくぴくと痙攣させていた。再びアンナとギルバートの軽口が始まりそうな気配が漂ったが、その前にアランが場を仕切る。


「ひとまず成功したことは良かった。だが、これでやっとスタートラインに立てた状態だ。ここから精度も威力も安定させていかなくちゃいけない。それに少なくともあと一つ――《要塞ファーステン》くらいはできるようになっておきたい」


 アランの言葉に、ルシルは心を新たにした。これがスタートラインなんだ。ここからどう戦うのか、どうやれば勝てるのか考えなくてはならない。


「時間もないんだ。どんどんやっていくぞ」


 アランはそう言うと、ギルバートをちらりと見る。それに何かを察したギルバートは、大きなため息をつく。


「わかってるよ、相手役だろ」

「ああ頼むぞ」


 笑みを浮かべるアランを恨めしそうに見つめるギルバートに、ルシルは一声かける。


「ギルバート、またよろしくね」

「ああ。今度は油断しないぜ。――さっきみたいな醜態はもうごめんだからな」


 後半にかけて小さくなるその声に、ルシルは小さく笑みを浮かべた。二人は先ほどの位置に戻り、再び向かい合う。

 横からはアンナとハナコの声援が聞こえる。そして、後ろにはアランが控えてくれている。


「じゃあ始めるぞ」


 アランの声が静かに響き、ルシルたちの秘密の試合練習が再開された。

 試合開始まで、もう残り二十時間を切っている。夏も終盤に差し掛かり、日差しは少しずつ穏やかになってきたが、庭園にはまだ陽が落ちる気配はなかった。

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