ホームルーム
ルシルたちは教室の前に立っていた。扉のプレートを確認し、目的のクラス教室であることを確認する。
「ここだね」
アンナが確認するように言い、ルシルとハナコがうなずく。
「――行くよ」
そのかけ声とともに教室の扉を開く。
教室は前方の黒板、中央の通路を挟んで左右に固定された長机と椅子が設置されていた。そこにはルシルたちを除く、ほとんどの生徒がすでに席についており、そのいくつかの視線がこちらに注がれる。ルシルはそれに一瞬、身が震えるのを感じたが、アンナはそれを気にする様子を一切見せず、教室に一歩踏み出していく。ルシルとハナコもその後に続く。
「席が決まってるみたいだね。――みんな同じ机みたい」
アンナは笑顔で黒板の張り紙を指さす。長机は五人かけのようで、ルシルたちの名前は窓側の三列目に書かれていた。通路側からハナコ、アンナ、ルシルの名前が続き、その隣には二人の名前が書かれている。
アラン・レイヴン
ギルバート・ミラー
その席を探すと三人分の空間がぽっかり空き、それぞれ黒髪と金髪の二人の男子生徒だけが座っていた。黒髪の少年は腕を組んで目を伏せており、金髪の少年にいたっては、完全に頭を机に伏せて眠っている。名前の順番通りならば、黒髪の彼がアラン、金髪の寝ている彼がギルバートだろう。
「あそこみたいだね。先生来ちゃうし座ろっか」
ルシルは少し緊張しながらも、先陣を切って指定された席に向かって歩き出した。
近づく三人に気が付いたのか、アランがこちらに視線を向ける。直毛気味の前髪がかかるその瞳は、その髪色と同じく黒色をしており、寝不足気味なのかその周りは少々くすんで見える。一見すると冷たそうな印象を持たれそうだが、ルシルはそれ以上にどこか親しみを覚えるのを感じた。むしろ、どこかであったような既視感すら覚えてしまう。
ルシルたちが隣の席に座ろうとすると、アランの方から声をかけてきた。
「よろしく」
思ったよりも低い声だなと思った。
「こちらこそ、よろしく」
ルシルが短く返事をしたところで、机に伏せていた金髪がもぞもぞと動き出した。すると突然、バッと頭を上げ、顔を三人へと向ける。切れ長で灰がかった瞳。数回の瞬き後、その視線はルシルを通り越し、その隣のアンナへと向く。
「わあ、すっげえ赤髪」
その声はそれほど大きなものではなかった。だが、その瞬間、教室全体が水を打ったように静まり返るのを、ルシルは確かに感じた。本人もそれを察したのか気まずそうに周りの様子をうかがう。
「……ギル」
アランが窘めるように名前を呼んだ。声音が先ほどよりも一段と低くなっている。
「アラン、そんな目で見るなよ。起き抜けで驚いただけだって。別に深い意味はないから」
そう言うと、ギルバートは「すまん」と口元だけで謝罪する。ルシルは、謝罪の対象であるアンナに目をやるが、彼女は特に気にした様子はなく、それどころかギルバートの存在をはなから認識していないかのように平然としていた。
そんな教室全体を包む異様な静寂を破ったのは、前方のドアが開けられる音だった。ルシルも自然と教室前方に目を向ける。そして、驚いた。そこにはルシルの知っている顔があった。腰まで伸びた艶のある黒髪を揺らしながら教壇へと上がっていく。同じく黒い澄んだ瞳と、ルシルは目が合ったような気がした。
「私がこのクラスの担任になったカーラ・レイブンです。皆さん、よろしくお願いします」
この透き通る声。間違いなくカーラだ。それにレイヴンって――。
ルシルはちらりとアランの方を見る。
「あの先生、アランの親戚かなにかなのか?」
同じ疑問に行き着いたのだろう。ギルバートが頬杖をつきながらアランに尋ねる。
「……姉だ」
アランはそう短く答えると、そのまま黙ってしまった。
確かに似ている。ルシルは先ほどの既視感の正体に一人で納得する。
「姉さんかよ。まだ若そうなのに先生なんて――優秀なんだな」
ギルバートはにやりと笑うと「お前も大変だな」とアランに投げかける。右頬だけを上げる独特の笑い方だな、とルシルは思った。それにアランは肩をすくめて見せる。その一連のかけ合いは、なかなかに様になっていた。二人はもともと知り合いだったのだろうか。ルシルがそんなことを考えていると、壇上のカーラから声が上がる。
「皆さん、誰かが壇上で話をしているときは、私語を慎みましょう」
明らかにこちらに向かって放たれた言葉に、今度はギルバートが肩をすくめる。
カーラの話は授業科目の履修方法、教科書の受け取り方など、事務的なものばかりだった。
「――最後に一つ大切なお知らせです。一、二年生の必修科目の中には、グループで実施してもらう科目も存在しています。もちろん成績もグループ全体の評価となります。皆さんも不思議に思われたかもしれませんが、この座席配置はグループメンバーごとに区切られています。そして原則、このメンバーが変わることはありません。これを機に交友を深めておくとよいでしょう。それでは皆さん、また明日会いましょう」
カーラがそう締めくくり、教室から出ていくと、教室の雰囲気は緊張から解放され、再びざわつきを取り戻した。
ルシルは立ち上がり、アンナとハナコに「ちょっと先生に用事があるの」と言い残し、急いで教室を出た。
カーラは廊下の先、ちょうど角を曲がるところだった。ルシルが後と追いかけるように角へ走ると、カーラはルシルが追いかけてくることを予期していたように、その先で待ってくれていた。
「カーラ――先生」
「ルシル、一日ぶりね。――周りに誰もいないときはカーラで大丈夫よ」
カーラの表情は先ほど教室で見た時よりも柔らかくなっていた。おそらく公私を分けているのだろう。
「カーラの用事って、教員の仕事のことだったんだね。言ってくれればいいのに。教室で見たときはびっくりしたよ」
「ふふっ、ごめんなさい。少し驚かせたくなくてね」
カーラは悪戯っぽく笑う。
「知ってはいたけれど、無事にたどり着いたようで良かったわ。――改めて入学おめでとう、ルシル」
「え、うん。ありがとう」
ルシルは少し戸惑った。思いがけないカーラの登場に驚いて追いかけたはいいものの特に何か伝えたかったわけではなかった。やはりどこかに不安があったのか、知っている人に会うことで安心したかったのかもしれない。
「魔法学校に来た感想はどう? やっていけそう?」
「……うん。なんだか大変なことも多そうだけど、何とかやっていけそうだよ」
「そう。それは良かったわ」
カーラはルシルの頭を優しく撫でる。その手の温もりに心が軽くなるような気がした。
「この学園生活の中で、あなたはいくつもの困難と理不尽に直面するかもしれない。それでも、その一つ一つをしっかりと乗り越えていってちょうだい。それを乗り越える経験と、そこで出会う人たちとの記憶は、将来あなたの宝物になっているはず。――きっとその先で、成長したあなたをアマンダさんは待っていてくれているわ」
カーラの声には、確かに彼女の優しさが込められていた。頭を撫でるその手にも少し力が入るのを感じる。
「カーラ、ありがとう。……でも、そんないい言葉があるならホームルームでみんなに聞かせないといけなかったね」
ルシルは少し挑発的に言い、恥ずかしさが混じった笑顔を浮かべた。
「先生だからって全員が清廉潔白、公平無私っていうわけじゃないわ。お気に入りの生徒がいたら特別扱いしたくなるものよ」
「良くない先生だね」
「まだまだ新米なんだから許してね」
二人は笑い合い、その笑い声が廊下に響いた。
「そろそろ教室に戻りなさい、きっとお友達が待っているわ」
ルシルはアンナとハナコの顔を思い浮かべる。
「そうだね。じゃあ、戻るね」
「ええ」
ルシルが教室に戻ろうと踵を返すと「弟のこともよろしくね」という声が耳に届く。それにルシルが振り返るともうカーラの姿はなかった。
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