ローワンベリー魔法学校

 この島、ネブラディアは、本島と二つの小島から構成されている。島の地図を真上から眺めると、本島はまるで肉厚なクロワッサンのような形態している。それを反時計回りへ少し傾けると、その南西方向に一つ、北東方向に一つと小島が位置している。

 そこには本島の五つの自治区を含めた合計七つの自治区が存在し、それぞれが異なる自然環境の中で独自の文化と歴史を育んでいる。

 本島の中心の平地に位置する『セントラリア』は、島の政治的・経済的な心臓部としての重要な役割を果たし、一方で北部の『ラズベルク』には、雄大な山々が連なり、雪に覆われるその頂には数百年生きるというドラゴンが今なお住むと言われている。

 東部の『ブリーズベール』は、ルシルが現在、足を踏み入れている自治区であり、穏やかな気候と豊かな自然に恵まれた地域だ。

 西部の『フェアブルック』は、水の都と呼ばれており、その名の通り水辺の美しい場所として知られ、運河と橋が織りなす風景が訪れる者を魅了している。対照的に、南西部の『ソルギルト』は、一面の砂漠地帯が広がる地域であり、その金色に輝く砂丘は、太陽が昇るたびに異なる影を落とし、不思議な紋様を浮かび上がらせる。

 南西の小島、『ウォーランド』は、本島が生まれる際、当時の魔法使いたちが足掛かりとした始まりの地であり、今なお多くの者にとって特別な意味を持つ。

 そして最後、北東の小島、『アサカ』は、大陸極東の文化が根強い自治区であり、現在は本島との関わりを制限しているそうだ。


 昨夜、ルシルはカーラからこの島の地理について簡単に説明を受けた。

 それは、ルシルがあの隠れ家のような家から、一人で魔法学校に向かう必要があったからだった。カーラには別に用事があり、送ることはできないため、最低限の地理情報を事前に教えようということだった。

 ルシルはこれまで通りカーラが最後まで送ってくれるものと思っていたので、その知らせを聞いた時にはひどく動揺した。しかし、もう驚くことにも疲れた様子で、話を受け入れ、カーラの説明をこれまでになく真剣に聞き入った。

 その夜、ルシルはなかなか寝付けなかった。それは、寝具がいつものものと違うだけが理由ではなかった。


 案の定、ルシルは列車の乗り換えに手間取ってしまい、時刻はとっくに昼過ぎを迎えていた。

 そして今、彼女は一人、駅のプラットフォームに降り立つ。

 その視線の先には、『ウィストン駅』の文字が見えた。ウィストン――ブリーズベールの中心地に位置する町。そこにルシルの目指すローワンベリー魔法学校があった。

 ルシルは駅から抜け出すと、まずその直線的な道の美しさに圧倒された。町そのものが魔法学校を中心に形成されたとでも言うように、その先には魔法学校であろう建物の影が、小さく見えた。駅から伸びるこの道は、魔法学ぶ若者たちに魔法学校への期待と希望を育ませ、まっすぐに学校へと導くものだった。

 道の両側には、風格のある石造りの建物が並び、「ダダリス魔法道具店」、「エララ宝石店」など、様々な店が装飾的な看板を掲げている。中には「グウェンドリンの光る森」というような、一目では何の店かわからないものも多くあった。

 これらの店々に心を惹かれつつも、ルシルは重いトランクケースを抱え、ローワンベリー魔法学校へと急ぐ。トランクケースがあまりに重たい。これを早くどこかに置いておきたかった。

 ルシルがその歩みを進めるごとに、その荘厳な建物が徐々に大きくなっていく。城かと見紛うその建築は、尖塔や塔を備えた歴史ある古典的な様式で、堅固な石造りの建物が巧みに組み合わされ、その複雑な構造は、この場所がただの学校ではないことを、ルシルに思わせるには十分なものだった。

 その圧倒的な存在感に少々気後れしながらも、厳かな石造りの正門を抜け、ルシルは敷地内へと足を進める。目下の目標は、寮の場所を突き止めることだ。

 ルシルは人、あるいは看板を探すため、敷地内を一度ぐるりと見て回ろうと歩き出す。

 しかし、すぐにある一画に視線が吸い込まれる。そこは庭園だった。色とりどりの草花が丁寧に手入れされ、秩序だって配置されている。そしてその中で一つの人影が見えたのだ。どうやら水を撒いているようだった。

 その人影に向かって、ルシルは勇気を出して声をかける。


「あっ、あの! 学生寮の場所をご存知ですかー?」

「………」


 しばらく待ったが、問いに対する返答はない。声が届かなかったのだろうか。

 仕方ない、とルシルは庭園の入口を飾る草花のアーチをくぐり抜け、園庭へと足を踏み入れる。

 やはり落ち着く場所だ。

 ルシルは、トランクの重さを忘れたかのように、軽い足取りでその人影に向っていく。

 だが、どこかおかしい。人影との距離が縮まるにつれ、ルシルはある違和感を抱き始めた。その人影は、ルシルの想像以上に小柄だった。明らかに彼女よりも一回り小さかった。それに加え。身に纏っているのは、質素な茶色の布切れとしか言い表せない代物だった。

 極めつけは、振り返って見えたその顔だ。少年にも、老人にも見える。しかし、明らかに人間ではない生き物だった。耳は人間のそれとは異なり、先端に向かって細く尖りを見せ、瞳は黒がその大部分を占めている。


「あの……」

「………」


 ルシルは続く言葉が出てこなかった。その間も、黒い瞳は彼女をとらえ続ける。

 ルシルはトランクを地面に下ろし、どうしようかと考え込んでいると、不意に背後から声をかけられた。


「――あなた、どうかしたの?」


 その声にルシルが振り向く。そこには彼女と同じ制服を身に纏った一人の少女が立っていた。

 色素の薄い碧眼に、筋の通った鼻。その端正な顔立ちの後ろで、亜麻色の髪を綺麗にまとめている。背後の校舎も相まって、どこか貴族のお嬢様を思わせる優雅さを漂わせていた。身長はルシルとそれほど変わらないにも関わらず、その凛とした立ち姿には、制服が良く似合っていた。

 ルシルは朝、鏡で見た自分の制服姿と少女の姿を比べ、ため息をつきたくなった。自分はどこかで着方を間違えたのではないか。


「彼らを見るのは初めてかしら」

「えっと……」


 ルシルは戸惑って言葉が上手く出てこなかったが、少女はその戸惑いを優しく解きほぐすように言葉を紡ぐ。


「彼らはブラウニー。恥ずかしがり屋だから、話しかけてもめったに返事は返してくれないわ」

「いや、えっと……私、今日この学校に来たので、その……学生寮の場所が分からなくて」


 その返答に少女は何か納得した様子で、ルシルの全身を一度、舐めるように見る。


「あなた……」

「な、何か?」


 やはり何か間違っていたのか。ルシルは自分の姿を再度確認する。


「いえ、ごめんなさい。なんでもないわ。——私の名前はエレノア・ブランドン。あなたと同じ高等部の一年生よ。これからよろしくね」


 エレノアが握手を求めるように片手を差し出す。


「私はルシル。ルシル・ベイカー、です。こちらこそよろしく」


 ルシルは応え、エレノアの手を握った。


「……ベイカーさん、でいいのかしら?」

「うん、そう。でも良かったらルシルって呼んでくれると嬉しいな」


 ルシルは少し照れながら言う。苗字で呼ばれるのは、あまり好きではなかった。パン屋の娘の苗字が「ベイカー」というは、あまりに出来すぎている。

 そんな意図は知らないエレノアは、それを快く受け入れる。


「わかったわ、ルシル。それなら私のことは……エレナと呼んで」

「わかった、エレナ。――それにしてもエレナって、すごく大人びているというか、なんだか、この学校にもう馴染んでいるみたい。さっき見たときは上級生かと思ったよ」


 先ほどまでの戸惑いは消え、ルシルは安心感から早口で話していた。エレノアはそれを笑顔で聞いていた。


「それは褒められていると受け取ってもいいのかしら。けれど、私は中等部からこの学校にいるからね。慣れて見えるのは、きっとそのおかげだと思うわ」


 エレノアはそう言うと、自分の制服のネクタイを指差す。ルシルはその指先に注目し、あることに気が付いた。それはルシルが身に付けているものとは微妙に違っていた。ルシルのネクタイは真っ赤で柄のないシンプルなものだが、エレノアのネクタイには黒と金色のチェック柄が施されていた。

 これがなんだと言いうのだろう。


「そんなことより学生寮の場所だったわね。この庭園を出て右に真っすぐ、道なりに進めば見えてくるわよ」

「そうだった‼」


 エレノアはルシルの反応に小さく笑う。


「ごめん、エレナ。私、少し急ぐね」

「ええ、気を付けて」


 ルシルはエレノアに短く別れを告げると、トランクを手に、庭園のアーチを抜けてその場を後にする。

 途中で一度振り返るが、そこにはエレノアの姿はもうなかった。彼女こそが妖精か何かだったのか。そんな妄想を振り切り、ルシルは寮へと向かう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る