第23話 浮気の口止め

「……よし、これで魅了は解除できたは────」


 天塚が離れるのと同時に、俺は俺の人生史上間違いなく最速であろうスタートダッシュを決めて駆け出した。


 俺が天塚とキスしていたことが、赤牙にバレたらどうなる? 俺は殺されるだろうか。それとも俺の周りの人が殺されるだろうか。いずれにせよ流血沙汰になる危険性が極めて高い。


 何としてでも、平が赤牙に報告する前に止めなくては。


「あの馬鹿はどこへ行きやがった⁉」


 階段を転がるように下りて、廊下を走る。そのまま自分の教室へと戻ってみたが、そこには赤牙も平もいなかった。


「あ! 風見君! 探してたよ!」


 近くにいたクラスメイトが俺に気づくと、大声を出して駆け寄って来た。


「ねえ、君って天塚さんとはどういう関係なの⁉」


 それに呼応するように、他の生徒も続々と集まってくる。


「しまった……そういやそうだった!」


 俺は何のために屋上へ行ったのか。天塚から名前を出され、疑問に思った皆から質問攻めに遭うのを避けるためじゃないか。あれからまだ数分しか経っていないのに教室へ戻ってしまえば、取り囲まれるのは当然だ。


「何でもない! ただの知り合いの知り合いの親戚みたいなモンだ!」


 適当なことを言い残し、俺はまた走り出す。廊下という廊下を駆けまわり、注意してくる生徒指導の教員を無視して、校舎中を見て回ったが、平の姿はなかった。


「クソ! 外か……⁉」


 靴に履き替えることもなく、上履きのまま昇降口を突っ切る。するとちょうど校舎裏から飛び出してきた平とバッタリ遭遇した。


「うげっ! 風見⁉」


 俺を見るなり平は体を反転させ、また校舎裏へと戻って行こうとする。


「あ! おい待て! 逃げるな!」

「うるさい! 僕は逃げるぞ! 必ず赤牙さんにこの事実を伝えるんだ!」

「だから待て話を聞いてくれ! 違うんだ! 誤解なんだ!」

「何が誤解だ! バッチリガッツリネットリしたキスをしてたじゃないか!」

「してない! ああ、いや、したっちゃしたんだけど、アレはそういうのじゃないというか……」


 まさか魅了を解除するため、キスをしてくるとは想定していなかった。あんなのどう考えても予測不可能だろ。


「挨拶なんだよ! 天塚ってほら、日本人っぽくないだろ? だからその、挨拶の仕方も独特というか……」

「嘘を吐くな! アレは完全に舌まで入ってただろ! どこの世界に挨拶で舌を入れるような文化があるんだよ!」


 そんなもの俺が聞きたいくらいだ。こっちは完全に被害者だって言うのに、なぜこうも走り回って弁明せねばならないのか。


「とにかく! 一旦落ち着け! 話をしよう!」

「その前に風見‼ 赤牙さんは一体どこにいるんだ⁉ さっきからずっと探してるのにどこにも見当たらないんだが⁉」

「……わかった! 教えるから! 教えるから一旦止まれ! もうお互い体力も限界だろ!」


 俺も平も、体力に自信がある方じゃない。また足の速さにも差がないので、追い付けもせず逃げ切れもしないだろう。そんな不毛な鬼ごっこを続けていれば両者ともに疲れ果ててしまう。


「……よし、わかった。だったら教えてもらおうか」


 平は立ち止まり、振り返って俺に情報を求める。だが俺はそのまま止まることなく平に突っ込み、彼を羽交い絞めにした。


「な、なにをするんだ!」

「馬鹿め! 赤牙の居場所なんか俺も知らないんだよ! だけど、これでようやくゆっくり話ができるな!」


 天敵である天使が同級生として転校してきたのだ。赤牙は今頃どこかに隠れたか逃げたに違いない。

 だから平を放置してもひょっとしたら問題はなかったかもしれないが、一応口止めはしておかなくてはどんな噂を広められるかわかったものではないからな。


「いいか? 俺と天塚は初対面だ。そして天塚はちょっと変人なんだ。初めて会う人にもああいう感じで接してくる人なんだよ」

「本気で言ってるのか? だったら僕にもキスしてもらえるチャンスがあると?」

「…………それはわかんないけど」


 一応アレは吸血鬼の魅了を解除するための儀式だったはず。何もされていない平にキスをする理由は特にないだろう。


「はぁ⁉ じゃあやっぱり君だけ特別扱いじゃないか! 浮気だ浮気! 名前だって知られてたし! そもそもそういう事情があるなら、赤牙さんにも正直にそう言えばいいじゃないか! これだけ必死に止めるってことは、後ろめたいと思ってるんだろ?」

「いや、そういうわけじゃなく……なんというか……バレたら人類滅亡の危機というか……」

「君、言い訳が下手過ぎないか?」


 クソ、こっちは間違ったことなんて言ってないはずなのに反論できない。どいつもこいつも常識外れなことばっかりするせいで、完全に俺が頭のおかしい奴みたいになってるじゃないか。


「とにかく、屋上で見たことは誰にも言わないでくれ!」


 もうヤケクソだ。平を説き伏せられるような手札はこっちになく、もう勢いでどうにか押し切る以外に方法はなかった。


「……はぁ、そこまで言うなら仕方ない。僕からは何も言わないと約束するよ」


 呆気なく拒否されるかと思った懇願だが、意外にも平は首を縦に振った。


「何か事情があるんだろ? ならそれを信じることにしよう。僕だって何も本気で君が二股するような男だと思っているわけじゃないからね。ただし、一つだけ条件がある」

「条件? なんだよ?」

「僕が天塚さんと付き合えるように協力してくれ。君が天塚さんと浮気しているわけじゃないというなら、問題ないだろ?」

「ま、まあ……問題はないけど……」


 相手は天使だぞ? どんな手を使おうがまともに付き合えるとは思えない。そんな無理難題に協力しろというのは、なかなかハードな条件だ。

 しかし、人類滅亡の危機には代えられまい。赤牙に天使とキスした事実を知られるよりは遥かにマシだ。


「……わかった。協力するよ。ただし、結果は保証できないからな?」

「もちろんだ。全力を尽くした結果、玉砕したとしても、僕は誰かを恨んだりはしない。ただ赤牙さんと交際し、どんな事情があったにせよ天塚さんと濃厚なキスをしていた君を妬んで毎日呪いの言葉を呟きながら眠るだけだ」

「それは充分恨んでいるのでは……?」

「当たり前だ! 仮に浮気じゃなかったのだとしても、羨ましいことに変わりはないからな! いずれちゃんと説明してもらうぞ!」

「あ、ああ……そうできたらいいんだけど」


 どうにも平は納得していないようではあったが、誰にも話さないと約束はしてくれた。なんだかんだ言っても、平は俺のことを信じてくれたみたいだ。やはり持つべきものは友ということだろうか。


「ふぅ、それにしても危なかった。何とか赤牙に知られる前に対処できたから良かったけど……」


 平がその場を去った後、俺は一人長い息を吐く。


「────本当だよねぇ。もし天使とベロチューしたなんてバレたら、大変なことになっちゃうもんねぇ」

「ああ、あと一歩で大惨事に……………………ん?」


 見上げると、二階の窓枠の下、校舎にピタリと張り付くようにぶら下がっている見慣れた赤い目の少女がいた。


「やっほー♪ ぜーんぶ聞いちゃった♪」


 吸血鬼とは神出鬼没なものである。そして視覚も聴覚も人より数段優れている。なんということはない。俺は最強の吸血鬼である彼女を、まだまだ過小評価していたのだ。


 吸血鬼相手に隠し事なんて、通用するはずがないというのに。

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