第32話 森の中の少女

 翌日も俺はその森に足を運んだ。すると、彼女は昨日と全く同じ場所に同じ服装で変わらず佇んでいた。


「お前、もしかしてメチャクチャ暇なのか?」

「……暇じゃないし」

「でもずっとここにいるよな?」

「いいじゃん。だってここ涼しいんだもん」

「学校の宿題はやってるのか?」

「……学校?」


 彼女はコテンと首を傾げる。


「そんなの行ってないよ」

「え、なんで? 学校嫌いなのか?」

「そうじゃなくて、最初から行ってない」

「最初から? なんで?」

「色々面倒臭いし、行く意味ないかなって」

「ふぅん……」


 血を吸わなければ生きていけないとか言っている時点でわかりきっていたことではあるが、彼女はかなり変わった子だった。

 普通と違うというか、浮世離れしているというか。そういう超然としたところに俺は仄かな憧れを抱いていた。


「それより、今日も来てくれたってことは……」

「ああ、血だろ。わかってるよ」


 俺が腕を出すと、いつも通り彼女は牙を突き刺す。そうして少しだけ血を吸うと、彼女はすぐに口を離す。


「なあ、俺は血をあげてるんだからお前も何かくれよ」

「何かって何?」

「なんでもいいよ。とにかく何か」

「そうだなぁ……じゃあ、カブトムシあげようか」

「え、マジで⁉」

「ちょっと待ってて」


 そう言うと、彼女は森の奥の方へと入っていった。そして一分も経たないうちに戻って来ると、その右手に握りしめられたカブトムシを手渡してきた。


「はい、これ」

「おぉ、本当にカブトムシ! どうやって捕まえたんだ?」

「え? 飛んでるところを普通にだけど」

「そんなんで捕まえられるもんなのか……?」


 この森には元々カブトムシを捕りに来たわけだが、ただ暇潰しの思い付きで来ただけで捕り方まで知っているわけじゃない。

 昼間はほとんど活動しない習性があることも知らなかったし、飛んでいるところを捕まえたという彼女の言い分にも、そこまで違和感を覚えることはなかった。


「で、この虫をどうするの? 食べるの?」

「食べるわけないだろ」

「じゃあどうするの?」

「……どうするんだろう?」


 クラスメイトがカブトムシを捕りに行くとかなんとか言っていたのを小耳に挟んだので、それを真似したくなっただけなのだ。捕まえた後のことなんか何も考えていない。


「まあ……逃がす……かな?」

「せっかく捕まえたのに?」

「うちには虫かごとかないし。持ち帰っても仕方ないかなって」

「ふぅん、君がいいなら私はいいけど」


 彼女が手を離すと、カブトムシはフラフラとぎこちない飛び方で森の奥へと帰っていった。


「あの虫が見たいなら、また明日も捕まえておくけど?」

「……いや、別にいいや。俺はそこまで虫に興味ないんだ」

「そうなの?」

「誰かと遊べればそれでいいんだよ。だから一緒に遊ぼう。それが血のお礼ってことでいいよ」


 それから俺はその森に毎日通うようになった。夏休みの間はどうせ暇だったし、彼女との出会いはその日限りにしておけるほど退屈な体験でもなかったからだ。

 彼女はいつ行っても既にそこにいて俺を待っていた。服装もずっと同じ、白いワンピースだ。


 やることといえば大したことじゃない。喋ったり、ゲームしたりするだけだ。それでも俺にとっては初めての体験で、すごく楽しかった。


「お前には友達とかいないの?」


 ある日、ふと彼女にそんなことを聞いてみた。


「いないけど、君は?」

「俺もいない。だから……まあ……似た者同士だな」

「そうかな。私と君は、少し違うと思うけど」

「違う?」

「君、私と会ってることは誰にも言わない方がいいよ。きっと皆、不気味に思うだろうから」

「……よくわかんないけど、お前がそう言うならそうするよ」


 そう答えはしたが、仮に口止めされていなかったとしても、誰かに話すことはなかっただろう。

 俺は友達ができないことを気にしていた。そしてどれだけ引っ越しを繰り替えしてもすぐに友達を作って遊びに行く万穂に、少しばかり嫉妬に似た感情を抱いていた。

 だから俺には俺だけの繋がりが欲しかった。俺しか存在を知らない少女というのはまさに打ってつけの相手だったのだ。


「お前、明日もここにいるよな?」

「うん、いると思うけど……」

「じゃあ、明日も会いに来るよ。また遊ぼう」


 そう言って去ろうとした時、彼女は俺のシャツの裾を掴んできた。


「……どうした?」

「約束」

「へ?」

「これからもずっと私に会いに来るって約束して。もう……一人で生きていくのは嫌だから」

「……もちろん、俺だってお前と遊びたいし、これからも毎日来るよ」


 よく考えず、俺はそう返答した。


 そして翌日のこと。その日は外に出るのも躊躇うほどの大嵐だった。台風が直撃したとかで、天候が荒れに荒れていたのだ。

 それでも俺は、約束を守るべく家を抜け出して森へ向かった。どう考えても彼女は来ていない可能性が高いだろうに、俺にとって彼女の存在はそれだけ大きなものになっていたんだ。


「あっ」


 森の中は地面がぬかるんでいて、まっすぐ歩くことすらままならなかった。いつもは穏やかな森だが、この日はまるで戦場のような様相を呈していた。


 俺はぬかるみに足を取られ、思い切り転んだ。そして抗う術もなく坂を滑り落ちていき、気づけば俺の体は空中に放り出されていた。

 森の奥深くには崖があったのだ。そんなところまで進んで来てしまっていたということに全く気付いていなかった。


 崖の高さは家一軒分程度。そのまま落下すれば無事では済まないだろう。俺は悲鳴を上げることすらできないまま、硬い地面に向かって落ちていくしかなかった。

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