第2話 逢魔が時
断った。そして逃げるように保健室を出た。
だってヤバくないか? いくら相手が可愛い同級生だからって、他人の血を舐めるようなヤバい女にいきなり告白されて、すんなり頷けるわけがないだろ。
そもそも俺は恋愛なんかに興味はない。相手がどれだけ可愛くて、理想的な女性であったとしても、付き合いたいとまで思ったことはない。そしてそれは赤牙も当然例外ではないのだ。
なんか怖かったので、振り返らずに走った。サッサと帰れば良かったのかもしれないが、何となく昇降口の方は先回りされる気がして、自分の教室へ向かった。
「ここまで来れば……もういいだろ……」
俺は乱れた呼吸を整え、一息つく。
授業が終わり、とっくに放課後になっているので、人の気配はない。どの教室も静かで、夕暮れ時という時間帯も相まってノスタルジーな雰囲気になっている。
「うげ、しまった。荷物保健室に忘れてきた……」
慌てて逃げたので、鞄を置き去りにしてきてしまった。取りに戻りたいが、赤牙と鉢合わせるとこの上なく面倒なことになる予感しかしない。
かといって鞄をそのままにしていくわけにもいかない。あの中には明日提出するべき宿題も入っている。今日中にやらなければ、明日は居残り確定だ。
「けど戻るのもなぁ……見つかったら怖いし……」
あちらを立てればこちらが立たず。板挟みになった俺は頭を抱える。
「しばらく教室で時間を潰してから行くか。赤牙が帰ってから荷物を取りに行こう」
俺は誰もいない教室に入り、窓枠にもたれかかった。
グラウンドから響いてくるサッカー部のかけ声も、これだけ距離があればただの環境音でしかない。放課後の学校特有の空気に浸りつつ、ボーっとして過ごす。
大きく伸びをして、頭の後ろに手を組もうとしたその時、後頭部に何やら強い衝撃が入った。
「うげっ!」
またしても俺はひっくり返り、床に転がる。
「な、なんだぁ?」
顔を上げてみると、そこには俺の鞄があった。
学校の指定鞄なので、生徒なら全員持っているものではあるが、傷のつき方や持ち手に縛り付けられたアニメキャラのキーホルダーを見る限り、俺のものであることは間違いない。
「……え? なんでこんなところに?」
ひたすら困惑していると、窓際に立つ俺の全身を影が覆った。てっきり雲が夕日にかかったのかと思ったが、顔を上げて確認してみればそうではなかった。
「うわああああああああああああああああああああああああああっ⁉」
人だ。
人が窓の外で逆さまになっている。ここは校舎の三階で、窓の外にベランダなんかない。有り得ない場所に人間の姿がある。
「そう大声出さないでよ。騒がしいのは嫌いなんだ」
少し遅れて、それが赤牙茜であるということに気が付く。よく見れば、彼女の背中には大きな黒い羽が生えており、頭を下にして窓枠にぶら下がるその姿はまるでコウモリのようだった。
「おっと、危ない危ない。パンツが見えるところだった」
赤牙はスカートを抑えつつ、軽い身のこなしで教室内に入って来た。対して俺は尻もちをついたままポカンと口を開け、全く身動きが取れずにいた。
「逃げなかったのは賢明な判断だね。ここらの人間全員の記憶を消さなくちゃいけなくなるところだった。ま、その場合は面倒臭いし街ごと潰すことになるだろうけど」
「お、お前は一体……」
ついさっきまで、俺は彼女のことを変人だと思っていた。他人の血を舐める奴なんかどう考えても常識人ではないからだ。
しかし、これはもうそんなレベルの話じゃない。窓の外で宙づりになっていたのは百歩譲ってギリギリいいとして、その背中の羽根は明らかに彼女が人ではない何かであることを示していた。
それに加え、口元から覗く鋭い牙に、夕日に染まる教室で妖しく煌めく赤い目。それらの特徴が視界に飛び込んできて、混乱した俺の脳は一つの結論を叩き出す。
「吸血鬼…………?」
「ご明察」
何を馬鹿なことを口走っているんだと思ったが、驚くべきことに赤牙は俺の推測をノータイムで肯定した。
「さて、私の秘密を知った君はいよいよこのままにしておけなくなったね」
「な……いやいやいやいやいや! 見てない! 俺は何も見てないから!」
「それは無理があるでしょ」
「マジで見てない! マジで見てないって!」
必死の命乞いも虚しく、赤牙はペロリと舌を出しながら近づいてくる。
「殺しはしないから大丈夫。ただちょーっと自我を奪って操り人形にするだけだから」
「何が大丈夫なんだよ⁉」
慌てて逃げようとするも、両腕をガッチリ掴まれる。
「ぐっ……⁉ な、なんだこのパワー⁉」
華奢の少女の腕とは思えない力で押さえつけられ、空中で固定されたみたいにピクリとも動けなくなった。そのまま上に跨られ、完全に拘束される。
「ほら、私の目を見て」
彼女の赤い目が光を放つ。気が狂いそうな魅力を放つ光だ。脳みその奥に直接電気でも流されているかのように、抗いがたい刺激が全身を駆け抜ける。
だが、それだけだ。妙に気持ち悪い感覚がするというだけで、それ以外に変わったことは特にない。
「え、えっと……これは……一体?」
「あ、あれ? 正気を保ってる? おかしいな……」
もう一度、今度は鼻先がくっつきそうになるほど接近してから、赤牙はその眼球を光らせる。もはや眼球から眼球へダイレクトに光を送り込んでいると言っても過言ではないほどの至近距離だったが、それでも特に変化はなかった。
「嘘……私の
表情から余裕を失い、狼狽えた様子の赤牙が後ずさる。
「操り人形にしてはべらせようと思ったのに……なんで効かないわけ⁉」
「そ、そんなこと言われても……いや、それ以前にお前……一体何者なんだ⁉」
「だから言ってるでしょ。吸血鬼だって」
「吸血鬼って……そんなものが実在するのか?」
彼女はどこからどう見ても吸血鬼だ。それ以外にはない。ただ、吸血鬼というのは漫画や小説の中にしかいない架空の存在であるはず。それが今、俺の目の前にいるという現実が理解できない。
「うーん、どうしよ。口封じしておくべきなんだろうけど……こんなに美味しい血の人間も珍しいし……あああああああ、もう!」
赤牙は俺の首根っこを掴み、軽々と持ち上げる。
「とりあえず、場所を変えるよ!」
「いや、ちょっと待っ────」
じたばたする俺を意に介することもなく、赤牙は颯爽と教室の窓から飛び出した。
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