第3話 最強の吸血鬼

 人間一人を抱えたまま三階から飛び出すという離れ業を披露した赤牙は、そのまま羽根を広げて滑空し、校舎裏へと滑り込んだ。


 部活に勤しむ生徒たちもぼちぼち帰り支度を始めていて、放課後で人気のなかった学校がより一層静かになっている。


 そんな中、俺は大声を上げても誰にも聞こえないような敷地の端で美少女と二人きり。なんと理想的なシチュエーションなのだろう。相手が普通の人間でさえあればの話だが。


「こいつ……マジで飛んだぞ……」


 目が光っていた時点でもうほとんど確定みたいなものだが、この羽根がただのコスプレである可能性も少しくらいは期待していた。

 しかし、バサバサと羽ばたくその動きには生物特有の力強さがあり、よく見ると細かい毛が沢山生えていて気持ち悪い。


「当たり前でしょ。飛ぶためについてるんだから」


 彼女がそう言うと、背中の羽が返事をするように蠢く。


 もう少し可愛らしい羽根ならいいのだが、彼女の羽はやけに不気味だ。鳥や虫の羽とは違い、どこか邪悪さすら感じる。


「さて、君をどうするか、ここでジックリ検討しようか」


 俺をポイと放り投げ、赤牙はごちそうを目の前にした子どもの如く舌なめずりをする。


「お、俺は信じないぞ……吸血鬼が実在するなんて……」

「この期に及んで強情だね」

「だってそうだろ! あまりにも非現実的過ぎる!」

「じゃあ君、膝を見てごらんよ」

「膝?」


 ズボンをまくり上げ、さっき擦りむいた膝の傷を確認してみる。だが、そこにあったはずの傷は跡形もなく消え去っていた。


「な、治ってる? なんで……」

「吸血鬼の唾液には傷を治す効果があるんだよ。だから人間の首筋に噛みついて血を吸っても、噛み跡が消えるから証拠は何も残らない」


 なんだそれは。まさしく完全犯罪じゃないか。そんなことが許されていいのか。


「ふーむ。唾液の効果は出てるね。ということは、私の吸血鬼としての力が弱まっているわけじゃない。なのになんで魅了チャームが効かないんだろう」


 何かの本で読んだことがある。吸血鬼は魅了という力を持っていて、それに当てられた人間は忠実な操り人形に変えられてしまうのだとか。

 要するに、自分の全てを捧げたいと思わせられるほど、強烈に惚れさせることができる力というわけだ。


「俺は恋愛には興味ないんだ。もっぱら二次元派なもんで」


 女の子を可愛いと思う感性はあるし、モテたいと思うことも人並みにはあるが、恋愛をしたいと思うことはない。そんなものはラブコメの世界で充分供給が足りている。


「いやいや、そんな気の持ちよう程度でどうにかなるものじゃないんだけど」

「そんなこと言われても知らないよ。とにかく俺は正気だ。お前の言いなりになんかならないぞ」

「そう、だから困ってるんだよ。魅了できないと、私が吸血鬼ってことが周りにバレちゃうじゃん」

「……だったら最初から俺の血なんか舐めるなよ」

「いやぁ、あまりにも美味しそうだったから我慢できなくて。これはひょっとしたら……いや、ひょっとしなくても人間の中で一番美味しいんじゃないかな? 絶対世界一だよ!」


 世界一だと言われてこんなに嬉しくないことがあるのか。何でもいいから誰にも負けない武器を持てと、中学生の時の担任は言っていたが、それには血の味も含めていいんだろうか。


「だから私としては君に毎日食事を提供してもらいたい。ましてや殺すなんてとんでもない。だから魅了して、都合の良いお弁当箱にしようと思ってたのに……」


 かなりとんでもないことを口走っていると思うのだが、赤牙は全く気に病んだ様子もなくケロッとしている。

 どうやら確かに彼女は人間ではないようだ。それも見た目や種族的な話だけではなく、価値観そのものが人間とは大きく乖離している。彼女の表情を見ていると、そう思い知らされた。


「えっと……絶対誰にも言わないから、見逃してもらえない?」

「それを私が信用すると思う?」

「思わないけど、そうじゃないと困る」

「まあ、でもいいか。吸血鬼だなんて言って信用する人間がいるとは思えないし」


 俺がこの後警察に駆け込んで、吸血鬼に襲われたので助けてくださいなんて言っても確実に門前払いを食らうだろう。まともに取り合ってもらえるとは到底思えない。


「わかった。君を見逃してあげることにしよう。ただし、これからは私に毎日血を吸わせること。それさえ守ってもらえるならいいよ」

「血を……? それってどれくらい?」

「君の健康に支障が出ない程度に」

「それなら……まあ……」


 本当は拒否したい条件だが、命には代えられない。彼女に血を与えつつ、隙を見て十字架やらにんにくやらを食らわせれば倒せるかもしれないしな。


「あ、一応言っておくけど、もし私から逃れようとしたら君以外の全人類を滅亡させるよ?」

「…………………………………………え?」

「だって、君の血が最高なんだもん。君以外を全員殺しちゃっても、もう問題ないかなって気がするし。本気出せば私だってそれくらいできるから」

「い、いや……まさか……そんな……」


 人の血を吸い、空を飛び、怪力を持つ吸血鬼でも、たった一人で人類滅亡なんてできるわけがない。

 人間が剣と槍で戦っていた時代ならともかく、現代兵器は結構凄いんだぞ。俺もあまり詳しくは知らないけど、この怪物を一撃で粉砕できる武器くらい世界中にいくらでもあるはずだ。


「信じてないね。じゃあ見せてあげよっか。一応脅しとかないとね」


 彼女はそう言って俺を鷲掴みにすると、驚異的な跳躍力で敷地を囲うフェンスを跳び越えて道路に出た。


「ほら」


 俺は無造作に車道に放り出される。するとちょうどそこに、けたたましくクラクションを鳴らした大型トラックが突っ込んできた。


「うええええぇぇっ⁉ ちょっと⁉ 殺さないって言ったじゃん! 殺さないって言ったじゃん! ねぇ⁉」


 もう避けるのは間に合わない。それどころか立ち上がることすらできず、猛スピードで走るトラックに押し潰される。

 その瞬間を覚悟し、目を瞑ろうとしたその時、刮目せよと言わんばかりに赤牙が躍り出た。


「例えばこのくらいの質量なら……」


 彼女は俺の方を振り返り、トラックに背を向け、余裕の笑みを見せる。そんな彼女の背中に、ほとんど減速できていないトラックが激突した。


 しかし、彼女は微動だにしなかった。傷一つ付かないなんてレベルじゃない。何事もなかったかのように、瞬きもせず背中でトラックを受け止め、ぐしゃぐしゃのスクラップにして弾き返していた。


「は……? はあ…………?」


 その傍らには、いつの間にかトラックの運転手がいる。鉄の塊と化す直前に車両から引っ張り出されたようで、状況も分からず困惑している。


「ね? 全く効かないでしょ? すぐ見せられる最高の威力はこれくらいだと思うんだけど、ちなみに私、核ミサイルを撃ち込まれてもこんな感じだから」


 平気な顔でそう語る彼女を見て、俺は悟った。


 人類の命運……マジで俺にかかってるかもしれない────と。

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