第17話 魔法世界の怪物

 怪物を追いかけるような形で、万穂も茂みから飛び出してきた。


「……万穂⁉」


 華やかだった衣装はボロボロになっており、全身あちこちに傷が見える。重傷ではなさそうだが、出血量は相当なものだ。


「おい、大丈夫か⁉ その怪我、あいつにやられたのか⁉」

「くっ……まさか背後から不意打ちされるなんて……」


 万穂は痛むであろう体を強引に起こし、紫の怪物を睨みつける。


「あいつはなんだ? 生き物だよな……?」


 外見のことだけを言うなら、吸血鬼よりよほど現実離れしている。というかシンプルに気持ち悪い。見るだけで本能的な嫌悪感を覚える姿だ。


「普通の生き物じゃない。あたしがいつも戦ってる怪物だよ。ああいうのが時々湧いて出るから、それを倒すのが魔法少女の役割なの」

「あんなのをいつも……? お前、やっぱり魔法少女なんかやめとけ。危なすぎるから」

「嫌だ! あたしが倒さなきゃ、あんなのが街に溢れかえるんだよ? それこそ危なすぎるでしょ!」


 万穂は顔を真っ赤にし、俺の鼻先に人差し指を突き立ててきた。


 残念なことに、俺に兄としての威厳などないに等しいので、こう激しくまくし立てられればこっちが引き下がるしかない。


「……なら、どうやったら倒せる?」

「お兄ちゃんには無理だから、下がってて」


 そう言われても、傷だらけの妹を放り出して安全地帯まで逃げられるわけがない。


「この血の匂い……なんか風見君と似てるような気がするなぁ」


 少し離れた場所で、赤牙は呑気に何か呟いている。危機感がないというか、彼女にとっては未知の生物が突然目の前に現れることくらい危機でも何でもないんだろうな。


「金属バットで殴ったら死ぬかな」

「だから、無理だって。あたしがやるから、離れて見てて」

「そういうわけにもいかないだろ。お前ボロボロじゃないか」

「これはちょっと油断しただけだから。いつもなら楽勝なの!」


 万穂はそう言って立ち上がり、ステッキを構える。


 普通の女の子なら痛みに悶絶していてもおかしくない怪我だと思うのだが、魔法少女という特殊な存在であるが故なのか、万穂の気力に陰りはない。


「足手まといだから。ほら、早く」

「いや、でも……」

「ああもう! 鬱陶しい! じゃあそこで見てて。パパっと片付けて、あたしが魔法少女としてやっていけるって認めさせてあげるから!」

「あ、おい!」


 勇猛果敢に怪物へ突進していく万穂。両者が激突する直前、半透明の壁のようなものがお互いの体から放出され、激しくぶつかり合った。


「くっ……なにこのパワー……! いつもの奴と全然ちが……!」


 予想外の衝撃だったのか、万穂の体勢が大きく崩れる。怪物はその隙を見逃さなかった。腕の一本がニョキニョキと伸び、万穂の腕を掴んだのだ。


「なっ……⁉」


 慌てて振りほどこうとする万穂。しかし怪物の表面を覆う粘液的なものが絡みついてしまい、全く離れる様子はない。それどころか、もう片方の腕まで万穂に纏わりつき、身動きが取れなくなってしまった。


「万穂! こいつ……!」


 俺はたまらず飛び出して、化け物の背中に回り込み、目玉の一つを思い切り蹴飛ばしてやった。


「かっ……た……っ!」


 目玉と言えばもっと柔らかいものであるべきだろ。なのにこいつの目玉は、コンクリートでも蹴ったみたいに硬かった。


「止めて! お兄ちゃんじゃ返り討ちにされるだけだから! 離れて!」

「うぅ……」


 蹴りの衝撃がそのまま跳ね返ってきて、じんじん痛む足を庇いながら情けなくもなんとか後退りする。

 その間、怪物が俺に何かしてくることはなかった。全身に目がある以上、奴に前も後ろもない。背後にいる俺のことは確実に見えているはずなのに、何もしてこないということはそれだけ興味がないということだ。


「クソ、やっぱり俺じゃどうにもならんか……」


 魔法少女と魔法世界の怪物との戦いに、一般人が紛れ込めるわけがない。俺がこいつを倒せるなら、魔法少女という存在そのものが不要だ。こいつをどうにかできるのはやはり、その役割を背負っている万穂しかいない。


「万穂! 頑張れ! そんなキモい腕引き千切れ!」

「できるならやってるっての! うげっ……気持ち悪……」

「足を使え! 足で蹴っ飛ばせ!」

「言われなくても……!」


 万穂が足を上げ、怪物の腕を退けようとする。しかしそのタイミングを計っていたかのように、伸びた腕が万穂の足を絡めとり、そのまま宙づりにしてしまった。


「あぁっ! ちょっ……ひっくり返したらスカートが!」

「バカ! だから短パン履けって言ったろ!」

「くうぅ……うっさい! ちゃんと応援しろ!」

「口からビーム出せ! 尻から火を噴け!」

「出るかそんなもん!」


 けど、両手両足を拘束されてしまったこの状態では、他に残された手段など限られている。


「おい、何かないのか必殺技的なものは!」

「あるけど、この状態じゃ……」


 右手に持っているステッキは、怪物に抑え込まれてしまっている。やはりアレが使えないと手詰まりなのだろう。


「万穂! 何とかしろ! 何とか頑張れ! やれ!」

「応援が雑!」


 そんなこと言われたって、この場で気の利いた言葉なんて投げかけられるわけないじゃないか。俺にできるのは怪物の周りをチョロチョロして万穂を励ますことくらいだ。


「ブッ飛ばせ! 勝てる! お前なら勝てる! 毎晩毎晩部屋でこっそり筋トレとかしてること、俺は知ってるぞ!」

「はっ⁉ えっ……ちょっ……」

「魔法少女のことは知らなかったから、てっきりダイエットでも始めたのかと思ってたけど、あれも訓練の一環だったんだろ? それだけ頑張ってるんだ! お前ならそんなキモい奴に負けはしない!」

「……………………よくもそんな恥ずかしいことを堂々と……!」

「おっ?」


 心なしか、万穂の腕が怪物の拘束を振り払いつつあるように見える。少しずつ腕の可動域が広がり、もう少しでステッキが振れるようになりそうだ。


「でも、そんなところが………………」


 万穂のステッキに光が集まっていく。それがやがて直視できないほど強烈な輝きとなり、とてつもない破壊力を伴って放たれようとしていた。


 だが、それを予期していたかのように、怪物が拘束を強める。


「ぐっ……!」


 光は力なく萎れていき、また振り出しに戻ってしまった。いや、残っていた力を振り絞った分、万穂は明らかに先ほどまでよりも疲労している。

 力を拮抗させることができなくなっており、怪物に引っ張られるがまま両手両足を大きく引き伸ばされていた。


「万穂!」


 このままでは、万穂の四肢が引き千切られる。そんな最悪の未来がもう寸前まで迫っているというのに、俺にできることは何もない。

 悔しさに拳を握り、歯噛みするばかり。やがて万穂の表情に余裕がなくなっていき限界寸前まで陥ったところで────


「────ああ! わかった! 君、風見君の妹でしょ!」


 これまで傍観を貫いていた吸血鬼が割って入った。

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