第18話 蹂躙

「そうだよね! なーんか血の匂いに覚えがあると思ったんだよ! これは間違いなく血の繋がりがある証拠! どっちかって言ったら年下っぽいし、妹でしょ!」


 状況がわかっていないのか、あるいはわかっていてその態度なのか、赤牙は世間話でもするような調子で万穂に語り掛ける。


「く…………う…………」


 当然、万穂に返事をする余裕などない。


「ふむ、じゃあちょっと確認させてもらうよ」


 赤牙は万穂の頬にあった擦り傷を舐め、その血を口に入れた。


「やっぱり味も似てるね。でも質は比べ物にならないくらい風見君の方が上だ。あ、どっちも風見かな?」


 にこやかだった表情を一変させ、赤牙はくるんと振り返る。そこには腕を伸ばして魔法少女を拘束する怪物の姿がある。


「困るよ。妹ちゃんに何かあったら、きっと風見君が悲しむだろうから」


 彼女は両手で怪物の両腕をそれぞれ掴んだ。そしてスポンジでも潰すみたいに容易く粉砕する。


「ギュギョオエエエエ⁉」


 これまで無口だった怪物が鳴き声めいた音を出しながらよろめく。


「万穂! 大丈夫か!」


 拘束を解かれ、地面に落ちそうになった万穂を何とか滑り込んでキャッチする。


「う……お兄ちゃん……」

「よかった。とりあえずは無事だな」


 俺がホッと一息つくのを、赤牙は背中越しに確認した。


「料理は下ごしらえが肝心なんだよ。私は今、長い長い下ごしらえの真っ最中なの。それを邪魔されると、すごく困っちゃうんだよね」


 赤牙の華奢な右腕から血管が浮き出る。それは彼女が目の前の怪物に対し、並々ならぬ敵意を向けている証拠だった。


「風見君、こいつどうなってもいいよね?」

「あ、ああ! ……どうなってもいい!」


 妹を痛めつけた怪物だ。庇う理由などどこにもない。俺は力強く頷き、赤牙はそれを見て牙を剥きだしにする。


「ガッテン承知! 妹ちゃんをいじめた分の仕返しはきっちりするよ!」


 怪物もまた、乱入者を明確に敵とみなしたのだろう。俺とは違い、無視できない相手であると判断し、千切れた腕を再び伸ばしながら攻撃を仕掛けてくる。


「気を付けろ赤牙! その腕は────」


 忠告など挟む暇もなく、彼女は突風と共に姿を消した。そして再び姿を現す頃には、怪物の懐に入り込んで、その刃物染みた右腕を鳩尾らしき部分に深々と突き刺していた。


「ギュモモモモギャウウウウアアアアア⁉」

「まだこんなものじゃないよ!」


 腹を抑え、蹲ろうとする怪物の顔面に向けて、ドン引きするくらい腰の入った厳つい右ストレートを叩きこむ。


 ブッ飛びそうになった怪物を左手で捕まえ、さらにもう一発。それ以降、もはや俺の目では全くカウントできないほどの速さで殴り続ける。


 やがて、そこに顔があったことすらわからなくなるほど損傷を与えると、次は胴体を狙い打ち始めた。怪物も何やら抵抗しようとはしているが、全く意味がない。


 これは例えるならば、残酷にも虫を解体して遊ぶ小学生のような図だ。


 赤牙には戦っているという認識すら多分なく、無邪気に怪物の全身を破壊している。怪物はそれに抗う術などなく、されるがまま。

 トンボを捕まえて羽根を毟ったり、アリの巣を踏ん付けたりする子どもの姿を連想せずにはいられない。ただ、そのスケールを人間より遥かに強い怪物を相手にやっているというだけのことだ。


「そろそろ仕上げだよ!」


 もはや何がなんだか判別がつかなくなった肉塊を両手で握り、挟み込むようにして圧縮する。

 俺が蹴っ飛ばして、逆に足を痛めるくらいには頑強だったはずの肉体がみるみる縮んでいき、おにぎりでも握っているみたいに小さく丸くなっていく。


 指でつまめるくらい小さくすると、ポイっと地面に放り投げた。そしてもう飽きたと言わんばかりに足で踏み潰し、土に擦りつける。


 赤牙が足を上げた後、そこにはもうほとんど何も残っていなかった。ブルーベリーを潰した跡みたいなものが染みついただけで、怪物がいた痕跡などもはや皆無だ。


「やったよ! 風見君!」


 赤牙は楽しそうに跳びはねつつ、満面の笑みで俺に駆け寄って来る。


「お前……やっぱ化け物だな……」


 赤牙が規格外であることは知っていたが、相手だって相当な戦闘力を持つ文字通りの怪物だったはず。

 それをあそこまで圧倒するとは。普通の人間より遥かに強い怪物より遥かに強い吸血鬼という構図になるわけだ。もはや俺には強さの尺度が計り知れん。


「……でも、ありがとう。お陰で万穂が助かった」


 赤牙がいなければ、万穂はどうなっていたかわからない。そこは素直に感謝しておくべきだろう。


「あ、あたしは……別に……助けなんて……もういいから下ろして」


 少し元気を取り戻したらしい万穂は、俺の腕から離れ、自分の足で立った。そして不服そうな目で赤牙を見つめる。


「いやぁ、無事で良かったよ。家族は大切でしょ? もしよかったら、その怪我も私が舐めて治してあげようか?」

「舐める⁉ そ、そんなの要らないから!」


 万穂は顔を青ざめさせ、素早い動きで距離を取る。


「そう? それは残念。じゃあ風見君、私にご褒美ちょうだい!」


 赤牙がまたも両手を伸ばし、俺に血をねだってくる。


「……そうだな。今回ばかりはそれが妥当だと俺も思う」


 妹を助けてもらったお礼なのだ。血くらい安いものだ。


「わーい」


 俺を抱き寄せた赤牙は、いつも通りカプッと首筋に噛みつく。


「ん⁉」


 だが、いつもと違い赤牙は驚愕の声を上げると、すぐに口を離した。


「ちょっと美味しくなってる!」

「……え?」

「もしかして、私に惚れた? いやぁ、いい兆候だね。このままガンガン私にべた惚れしてよ!」


 そう言って、また赤牙は吸血を再開した。俺の視線の先には、軽蔑したような目でこちらを見つめる妹の姿がある。


「あ、いや、これはその……」

「……認めない」

「はい?」

「あたしは絶対認めないから!」


 弁解するチャンスすら与えてもらえず、万穂は走り去ってしまった。


「……惚れてる? 俺が……? いやいや、そんなわけ……」


 絆されては駄目だ。赤牙は吸血鬼。俺が惚れたら、彼女は誰も勝てない正真正銘の化け物になってしまう。


 惚れるわけにはいかないんだ。例えどれだけ可愛くとも、どれだけ頼もしくとも、彼女は俺の血が欲しいだけの吸血鬼なのだから。

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