第5話 初めての吸血

 吸血鬼の住処と言えばどんなものを想像するだろうか。


 俺は崖の上に建つ古城をイメージしていた。常に雷が落ちていて、おどろおどろしい雰囲気が漂う城で、棺桶に入って寝泊まりしている感じだ。


 しかし、辿り着いたのはどこにでもありそうなごく普通のアパートだった。


 二階建てで、部屋は八つ。その内、赤牙は一階の一番端の部屋に住んでいるらしい。


「吸血鬼にしては普通過ぎないか?」

「逆に聞くけど、吸血鬼があからさまに吸血鬼が住んでそうな場所に住むと思う?」


 真顔で正論を言われてしまった。確かにわざわざそんな場所に住む必要はないな。


「私たち吸血鬼は、人間にその存在を隠してるの。なぜかわかる?」

「え、攻撃されないようにするため?」

「違う。言ったよね? 私は人類を滅ぼせるって。別に人間相手にコソコソする必要なんて本当はないんだよ」

「じゃあなんで?」

「美味しい血を飲むためだよ」


 ピンとこない理屈に首を傾げる。


「わからないかな。君たち人間だって、牛とか豚とかを飼育する時にはなるべくストレスをかけないようにしているはずだよ。味が落ちるからね」

「ああ、そういえば牛にクラシックを聞かせたりすることもあるって聞いたことがあるな」

「人間より遥か上位の種族が存在するという事実が露呈すると、それだけで全人類に多大なストレスがかかるでしょ? そうすると味が落ちるんだよ。やっぱり君たち人類には、自分たちが食物連鎖の頂点にいると勘違いしていてもらわないと」


 そのためにいつでも支配できる人類を野放しにし、人間社会に紛れて暮らすことを選んでいるというのか。なんて性格の悪い連中なんだ。


「じゃあ、なるべく自分から血を差し出してほしいってのも?」

「魅了は人間を簡単に支配できるけど、脳に負荷をかけるからね。どうしても血が不味くなっちゃうんだよね。だから心の底から私に心酔してもらうのがベストってわけだよ」


 こいつはとことん人間を食料としか見ていないんだな。既に羽根はどこかに収納され、赤い目も黒に戻っており、外見はすっかり人間そのものになっているが、一度この本性を知ってしまうともう人間には見えないな。


「ささ、中へどうぞ」


 赤牙に背中を押され、彼女の部屋へと踏み込む。


 建物だけでなく、室内も実に普通だった。ありふれた女子高生の部屋だ。俺は女子高生の部屋に入った経験などないので、あくまでもイメージの話ではあるが。


「ベッドも普通だな。棺桶で寝たりしないのか」

「棺桶は人間の死体を入れるものでしょ。なんで私がそんなところで寝ないといけないわけ?」

「それはそうかもしれないけど……吸血鬼ってそうじゃないのか?」

「人間の勝手な想像だよ。長い歴史の中で、吸血鬼の存在が人間にバレそうになったことは何度かあるみたいだけど、そのたびにあの手この手でごまかしてきたんだよね。そういう逸話はその名残かな」

「じゃあ吸血鬼が太陽に弱いっていうのは?」

「別にそんなことないよ? だって普通に昼間は学校に行ってるじゃん」


 彼女はうちの高校の生徒として、誰にも怪しまれることなく学校に通っている。太陽光を避けるような動きをしたところは見たことがない。


「多分、私たちが夜行性だからかな。人目が少なくて、血を吸いやすい夜に行動することが多かったから、太陽に弱いと思われたのかも」

「じゃ、じゃあ、十字架は?」

「あー、それも全然平気。教会が自分たちの力を誇示するために流した噂じゃないかな?」

「ならにんにくは?」

「にんにく? 別に効かないけど? ただの好き嫌いの問題じゃない?」

「弱点ないじゃねぇか⁉ 無敵かよ⁉」

「だから言ってるじゃん。強いってさ」


 普通こういう突き抜けた化け物にはそれ相応の弱点があるものだろ。じゃなかったら釣り合いが取れないぞ。


「強いて言うなら、人間の血がないと生きていけないってことかな。私たち吸血鬼も生き物だから、食べられるものがないと餓死しちゃうからね」

「……それなら、人類を滅亡させたらお前も死ぬじゃないか」

「それは大丈夫。君の血さえあれば、私は飢餓をも克服できると思うんだよ」


 赤牙は俺の肩を掴むと、そのままグイっとベッドに押し倒した。


「それじゃあさっそく、血を吸わせてもらってもいいかな?」

「え、あの、その……痛くしないでくれる……?」

「くくっ……大丈夫だよ。君にストレスを与えるようなことはしない」


 そう言って、彼女はその鋭い牙を剥きだしにして、俺の首筋に噛みつく。


「痛ッ⁉ 普通に痛いんだけど⁉ 注射の十倍くらい痛いんだけど⁉」

「ひのへいひのへい」

「気のせい⁉ いや、気のせいじゃないって! 痛い痛い痛い痛い!」


 首筋に刃物を突き立てられるような感触だった。あの牙がそのまま刺さっているのだから当然と言えば当然だ。


「うあ……しかも……なんか気力が……」


 みるみる内に活力が吸われていく。生命力そのものが奪われていくかのように、俺の肉体が色を失っていくのがわかる。


「ちょ……もう……ギブ……」


 圧倒的な力を持つ彼女に抵抗することはできない。痺れる手を懸命に動かし、彼女の背中をタップする。


「ぷはっ! あぁ、やべ。ちょっと吸い過ぎたかも」


 ようやく彼女が俺から離れた時には、もう俺の肌はすっかり青白くなっていた。


「やっぱり格別だなぁ、君の血は。でも、さっき舐めたあの一滴に比べると全然だよ」

「そりゃ……お前……これだけ色々あれば……ストレスもかかるだろ……」

「確かにその通りだね。筋肉もちょっと硬くなってたし、どうにも血流が悪くなってるね。そのせいで舌触りも悪化してる。これじゃ極上の一滴には程遠いよ! もっとしっかりしてもらわないと!」


 部活のコーチみたいなノリで叱責してくるが、別に俺は自分の血を美味しくしたいなんて思ってない。どういうモチベーションで過ごせばいいんだよ。


「うぁ……み、水……」

「はいはい」


 赤牙からコップを受け取り、一気に飲み干す。


 乾いた砂漠に水がしみこむように、あっという間に体に溶けていった。さらに俺はもう一杯所望し、それもあっという間に飲み干す。


「ぜぇ……ぜぇ……や、やばい……貧血でクラクラする」

「この程度で駄目なんだ。君にはもっと体力をつけてもらわないと困るなぁ」

「そういう問題なのか……?」

「あと、血の味も上げてもらわないと」

「そんなの……どうやって?」

「決まってるじゃん。私に心酔すること。進んで血を差し出すこと。要するに、私に惚れればそれでいいんだよ」


 赤牙は口元に血を拭った跡をつけたまま笑顔でそう言った。そんなのどう考えても無理な話だと、素直にそう思った。

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