第25話 天使と吸血鬼

 吸血鬼と上級天使が対面し、数秒間見つめ合う。その沈黙が異様に長く感じられた。


「やあ、君が転校生? 初めまして、私は赤牙茜だよ。よろしくね」


 先に沈黙を破ったのは赤牙だった。彼女は気さくな笑みを浮かべ、柔らかな声色を使いながら挨拶する。その間も、俺に迫ろうとする体勢は変えない。


「赤牙さん。悪いのだけれど、彼を少し貸してもらえるかしら? まだ話の途中なの」


 どうやら天塚は赤牙が吸血鬼であると気づいていない。だが完全に油断し切っているわけでもなく、表情はさっき見た時よりも硬い。


「話? 君と風見君は知り合いじゃないよね? 何の話をするのかな?」

「何でもいいでしょう。ちょっとした雑談よ」

「だったら後にしてくれる? 見てわかると思うけど、こっちは取り込み中なんだよね。私と風見君は付き合ってるから」

「付き合っている? それが何か関係あるのかしら?」

「それ言わせる? キスだよキス。恋人同士なら普通でしょ? 君は恋人でもない初対面の男にいきなりキスして舌まで入れる痴女だからわかんないか?」


 なぜそんな喧嘩腰なのか。せっかく正体に気づかれていないのだから、このまま上手く誤魔化して言い逃れればいいのに。


「……痴女とは心外ね。あなたこそ、人に見られているのだから少し距離を取ったらどうなの?」

「言ったでしょ。私と風見君は付き合ってるの。恥ずかしがる必要なんてないんだよ」

「その割にはこんなに人目のつかないところで密会してるのね。ひょっとして人には言えない事情でも? 例えば……血を吸っているとか」


 ほら! 変な挑発するから勘付いてるじゃないか!


「血を吸っている? 意味がわからないな。人の血なんか吸わないよ。君は一体何を言っているのかな」

「……いいえ、何でもないわ。あなたが彼の首筋に顔を近づけて、噛みつこうとしているように見えたからそう言っただけよ」

「奇妙なことを言うね。私をそんな特殊性癖の持ち主だとでも思ったのかな?」

「そうね。ただの私の勘違いならいいのだけど」


 二人はバチバチと睨み合い、貧弱な人間である俺はただただ息を潜める。


 なぜ極めて平凡な一般人である俺がこんな人外たちの争いに巻き込まれなければならないのか。

 よく考えたら、俺はもう赤牙の機嫌を取る必要なんかないんじゃないか? 上級天使である天塚は、吸血鬼を探してここへ来たような口ぶりだった。ならば天塚に頼めば赤牙を倒してくれて、全て丸く収まったりするんじゃないだろうか。


 ……いや、赤牙は下級天使を瞬殺している。ひょっとしたら上級天使だって彼女の敵ではないのかもしれない。天塚が信用できる相手なのかどうかもわからないし、赤牙を売って天塚につく判断をするのはまだ時期尚早だ。


 それにここで赤牙の正体を教えれば、二人はこの場ですぐさま争いを始めるだろう。そうなれば俺はどちらにせよ巻き込まれるし、最悪の場合街に多大な被害が出かねない。


 ここはまだ様子見が最善だ。赤牙の正体がバレないようにしつつ、かといって完全に赤牙の肩を持って天使と敵対するわけでもない。それくらいの絶妙な距離感でいこう。


 ……万穂に話せば、姑息だとか卑怯だとかそしられるかもしれないが、これが力無き人間の賢い立ち回りというものだ。


「ふ、二人とも。そろそろ授業が始まるし、教室に戻らないか……?」


 勇気を振り絞り、俺はそんな提案をしてみた。


 まずは人目のあるところに二人を連れ出すんだ。正体を隠したい赤牙はそれだけで大人しくなるし、天塚だってそこまで詰めてこないはず。


「天塚も、転校初日からサボりは印象悪いだろ……?」

「……そうね。遅刻してしまったら先生に申し訳ないものね」


 そう言って、天塚は校舎裏から出て行った。しかし、視界の外へ消える最後の最後まで赤牙を睨みつけており、相当疑っているのは間違いなさそうだ。


「……おい、お前絶対正体バレてるぞ」

「そうだね。いやぁ、困ったなぁ」

「お前があんな挑発的なこと言うからだろ⁉ どうすんだ! 天使と戦うつもりか? 俺は知らないぞ⁉」

「だって、よりにもよって天使が、私の知らないとこで私の男に唾つけたんだよ? こっちだって牽制しておかないと駄目でしょ。もちろん、争いに君を巻き込むつもりはないよ。そんなものは一番のストレスの原因だからね」

「もう既にストレスフルだぞ……」


 争いが起きるかもしれないという不安だけで充分なストレスなんだ。なにせこいつらの戦闘規模はほとんど災害だ。殴り合いの喧嘩なら可愛いものだが、大地を割いて山を抉るような大戦争が勃発した日には一体どれだけの人が巻き込まれるのかわかったものではない。


「……ちなみに聞くけど、お前とあいつならどっちが強いんだ?」


 それとなく話題を振ってみたつもりだった。しかし赤牙は俺の心を見透かしたようにニヤリと笑う。


「私の方が千倍強いよ。最初に言ったはずだけど、私は君を賢い人間だと思っているから、信じるかどうかは君に任せる。自分の好きなようにしたらいいよ」


 ……ハッタリを言っているようには見えなかった。少なくとも彼女には、上級天使を圧倒できる自信があるらしく、俺に選択の余地を与えるくらいの余裕もあるようだ。


「……だったら、お前の正体を隠し通すしかないだろ。何か手段はあるのか?」

「特にないよ。ただこのままずっと人間のフリして学校生活を続けるだけ」

「それで大丈夫なのか? 相手は一緒のクラスにいるんだぞ?」

「血を吸っている瞬間とか、人智を超えた力を使っているところを見られない限りはバレないと思うよ。私はそんじょそこらの吸血鬼とは違うから、こっちがミスしない限り正体が露呈することはないかな。相手もそのつもりで、わざわざ潜入捜査みたいなことをしてきてるんだろうし」

「こっちがミスしない限りは……ねぇ……」


 俺は先日、赤牙が見せた鉄棒での大車輪を思い出す。


「お前、今日の一時間目がなんだったか憶えてるか?」

「ん? なんだっけ? 国語?」

「違う。今日の時間割は特別。午前中はずっと体力テストだ」

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