第26話 魅力的な提案

「────待って。あなたには少し話があるのよ」


 体操服に着替えグラウンドに出る際、背中越しに天塚から呼び止められた。


「……話って?」


 無視するわけにもいかないので振り返る。


「まず、調子はどう? 吸血鬼の魅了は解けたと思うけど」

「……魅了ってなんのことだ? 俺にはよくわかんないけど、体の調子は良いぞ」

「そう……ならいいわ。忘れてちょうだい」


 徹底的にすっとぼけてやるぞ。俺はどっちの味方をするのも御免だからな。


「それより、さっきのアレはなんだったんだよ」

「アレとは?」

「だから……アレだよ。屋上での!」

「ああ……キスのことね」


 天塚は凛とした表情のまま、視線を明後日の方向へ向ける。


「仕方なかったのよ。ああするのが一番手っ取り早かったんだから。一応言っておくけど、私にも羞恥心はあるのよ?」

「……恥ずかしかったってことか?」

「人並みにはね。けど、私はあなたを救う必要があったから後悔はないわ」


 よく見ると、彼女の頬が僅かに紅潮しているのがわかる。天使などと言うから身構えていたが、意外と健気に頑張ってるんだな。


「それで、あなたに聞きたいことがあるのよ」


 気を取り直し、彼女は視線を正面に戻す。


「赤牙茜のこと。彼女と付き合っているというのは本当?」

「ああ、まあ……本当かな。嘘ではない」

「歯切れが悪いわね。円満な交際ではないのかしら」

「そこは否定しない。無理やり付き合わされている形なのは事実だ」

「嫌々なのね。だったら別れたらいいじゃない」

「そういうわけにもいかないんだよ。色々事情があるんだ」


 赤牙は俺の血の質を上げるため、俺にストレスを与えないようにしている。だからどうしても付き合うのは嫌だと頼み込めば別れられるのかもしれないが、そんなものは所詮形式の話だ。やること自体は変わらない。


「事情があるのね。その問題を、私が解決できると言ったらどうする?」

「信用できない」

「彼女に脅されているのでしょう? 万が一魅了が解かれた時の保険といったところかしら。随分用意周到な吸血鬼だけど、私なら対処できる」

「何を言ってるのかよくわからないなぁ」


 一番理想的なのは、ここで天塚に赤牙が吸血鬼であると伝え、倒してもらうことだ。そうなれば俺は晴れてあの迷惑吸血鬼から解放される。

 だがその場合、天塚が返り討ちにされると最悪だ。俺が赤牙を売ったことが露呈するのだから、一番理想的どころか一番避けたい事態に陥ることになる。


 つまりハイリスクハイリターン。平穏を愛する小市民としては、そういうギャンブル精神に溢れた選択はしたくない。


 よってここはすっとぼけて、天塚と赤牙には俺の預かり知らないところで勝手に戦ってもらうのがベストだ。これ以上俺を人外同士の超常戦争に巻き込まないでもらいたい。


「私は天使だから、間違っても人間に手を出すわけにはいかない。どれだけ怪しくとも、確証がないと動けないのよ。でもあなたの証言さえあれば動ける」

「だからわからないって言ってるだろ」

「もし正直に話してくれたら、あなたの安全は私が保証するわ」

「え、マジで?」


 それは心が揺らぐな。絶対安全だって言うなら教えてもいい。一考に値する提案だ。


「……ちなみに、具体的にはどうやって?」

「そうね……下級天使を十体ほど護衛につけましょうか。あなたの証言があれば、それくらいの兵力を動かせるでしょうから」

「え、アレを十体?」


 普通に弱くね……? だって、マジで瞬殺だったぞ……?


「一つ聞きたいんだけど、上級天使って下級天使より強いの?」

「もちろんよ。私は世界でも片手の指で数えられる程度しかいない選ばれし天使なのよ?」

「どれくらい強いんだ?」

「あなたは下級天使が吸血鬼にやられる瞬間を見ているはずよね? きっとそれなりに苦戦していたと思うのだけど、私なら十秒もあれば倒せるわよ」

「は? 十秒もかかるの? じゃあ無理だ」


 駄目だこいつ、多分マジで弱い。というか赤牙が思った以上に強い。あいつ、人外の中でも飛びぬけてるっぽいな。人の外のさらに外に居やがる。


「え、え、え、なんでよ! 証言してくれないの? 魅了はもう解けてるわよね?」


 流石に予想外だったのか、天塚は露骨に狼狽え始める。


「私、これでも結構強いのよ? 吸血鬼なんて数えきれないくらい倒してきたんだから、安心していいわ」


 でも、あの下級天使相手に十秒かかるんじゃなぁ……赤牙は本当に、目で追うことすらできないくらいの瞬殺だったから……心許ない。


「というか、もうそこまで言うくらい確信してるんだったら俺とか関係なく勝手にすればいいだろうが。俺を巻き込まないでくれ」

「そうはいかないのよ。昔はそれでも良かったのだけれど、天使が吸血鬼と間違えて人間を攻撃してしまう事故が頻発してから、制度が変わったの」

「……制度?」

「冤罪を回避するためにね。どうしてもきちんとした証拠が必要なのよ。これを捏造する天使とかもいたりして大変なんだけど、私は正規の手順で証拠を揃えたいの」


 天使社会も色々あるんだなぁ……魔法少女もそうだったけど、こいつら実力はきっちり人外なのに案外社会制度とか構造は人間臭いとこあるんだよなぁ……。


「ほら、人間だって、凶悪事件の証言をしてもらう時は、証言者に護衛をつけたりすることもあるでしょう?」

「知らないけど、そうなの?」

「そうなの。だからそれと同じように、あなたにもちゃんと護衛をつけるから」

「いや、でも信用できないし。そもそも天使ってなんだよ。今更だからいちいち突っかからないけどさぁ。よくわからん存在であることに変わりないんだから。そんな連中に命を預けられるわけないだろ」


 天塚は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、立ち尽くしていた。天使をよくわからん存在と言われたのが相当ショックだったらしいな。


「……わかったわ。なら方向性を変える」

「方向性?」

「安全を提供することではあなたを懐柔できないということは理解したわ。私たちの言う安全が、あなたの解釈する安全とは少しズレているみたいだし」

「それで、なんだよ」

「だから別のものを提供することにするわ」


 周りに人がいないことを確認した後、天塚は自分の胸に手を当てて叫んだ。


「もし彼女が吸血鬼だと証言してくれたら、私があなたの彼女になってあげる!」


 何とも意外な提案だった。自分の美しさを理解し、それを交渉材料として使ってくるタイプだとは思っていなかった。


 俺はその提案を聞き、特に考える間を置くこともなく、素直にこう答えた。


「────嫌に決まってんだろ」

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