第12話 最も身近な人
気付けば、俺は見知らぬビルの屋上にいた。学校は遥か遠く、目視できるギリギリの距離くらいの位置に見える。
「な……は? なんだこれ……?」
瞬間移動したんだろうか。果たしてそんなことが可能なのかどうか考えることに意味はない。
ついさっきまで教室にいたはずの俺が、今ここにいるのが現実なのだ。そして目の前にはとてつもない負のオーラを迸らせる魔法少女。まさしく絶体絶命のピンチと呼ぶに相応しい危機的な状況だった。
「あ、あの……」
俺は恐る恐る声をかけてみる。
こっちに背を向けた魔法少女が動く気配はない。彼女はただただ荒い呼吸を繰り返すばかりだ。
「ひょっとして、俺のこと知ってる?」
「……………………」
「俺が憶えてないだけで、知り合いだったりとか……?」
「………………本当なの?」
やっと口を開いたかと思えば、魔法少女は全く俺の質問には答えず、別の問いを投げてくる。
「な、なにが?」
「だから、つ………………」
「つ?」
「つきあ…………その、付き合ってるって話」
「え?」
「言ってたじゃん! あの女と付き合ってるって! それは本当なの⁉」
魔法少女は勢いよくこちらを振り向き、頭突きでもするつもりかというほどの勢いで顔を寄せてくる。
「あ、ああ、それは……本当といえば本当なんだけど……」
果たして俺と赤牙の関係を付き合っていると表現していいものか。脅されて無理やり一緒にいるだけだしなぁ。
「そもそもあの女何⁉ 私のマジカルパワーを素手で弾き返してきたんだけど⁉」
「いやぁ……その……」
正直に赤牙の正体を言ったら絶対話が拗れるよな。大体、こいつの方こそ何者なんだよ。シレッと言ってるけどマジカルパワーってなんだ。何がマジカルなんだ。
「正直に答えて! あたしに隠し事なんか認めないから!」
「えぇ……?」
魔法少女がグイグイと詰め寄ってきて、視界の九割以上が彼女の顔面で埋まる。ここまでされると適当にはぐらかすのは難しそうだ。
俺としては平穏無事にこの場を切り抜けたい。俺は平和主義者なんだ。何でもいいからとにかく厄介ごとを避ける方向に行きたいのだが……どう答えるべきだろう。
「……いや、ちょっと待て」
今まで気が動転していたし、魔法少女特有の派手な髪色と奇抜な髪形が邪魔をして気づかなかったのだが、彼女の顔は俺の身近な人物によく似ていた。
「お前……万穂じゃね?」
家族とは最も身近にいる人間だ。両親が不在であることが多い俺にとって、妹の万穂こそが全人類の中で最も俺に近い人間であると言える。
だから万穂の顔は自分の顔より見る機会が多いし、万穂のことなら世界の誰よりも知っている自信がある。
その上で言うが、彼女は極めて万穂に似ている。それこそ、他人の空似では済まされないくらいに。
「はっ……あっ……えっ……」
彼女は五秒間の内に百回くらい表情を変えつつ、ゆっくり後退りした。
「な、なんで……」
「なんでって、どこからどう見てもそうだろ。え、そうだよね?」
「ちょっ……え? 認識阻害は? 変身したら認識阻害の魔法がかかるんじゃないの……?」
「そのはずなんですけど……どうも彼には効きが悪いみたいですね……」
隣にフワフワ飛んでいるウサギだかネコだかよくわからない謎のマスコットとヒソヒソ話し始めた。
「効きが悪いって何? ちゃんとしてよ! 絶対正体がバレないって言うから魔法少女になったのに!」
「いや、すみません。私、営業職なもので魔法の不具合については開発担当の方に確認してみないと……」
「はぁ? 絶対安全って言ったのはあんたでしょ! あんたの口であたしに言ったんでしょうが! ちゃんと責任負ってよ!」
「そ、それはそうなんですけど……私も開発担当が言ったことをそのままお伝えしているだけでして……」
「だったらその開発担当が直接あたしに説明しなさいよ! あんたじゃ話にならないんだから!」
「そういうわけにも……イテテテテテ! み、耳を引っ張らないでください!」
全然マジカルじゃない喧嘩が始まってしまった。もう今にも殴り合いに発展しそうなほど白熱したところで、俺の存在を思い出したらしい魔法少女が咳ばらいを一つ入れる。
「ナニヲイッテルノカ……ワカラナイヨ」
「裏声……?」
「ア、アタシハ……アンタのイモウトじゃないよ」
「妹なんて一言も言ってないぞ」
「………………とにかく違うの! これはそういう魔法なの! あんたにとって一番身近な人間に見えるようになってるの! ほら、魔法少女だから! 親しみやすくなるようにさ!」
「な、なるほど……?」
筋が通っているような通っていないような。しかし確かに、いつもの万穂とは雰囲気が違い過ぎるので、本人だと断言できるほどの確信は俺にもない。
「そういうことだから! あたしは万穂じゃないの! わかった?」
「わ、わかった。で、じゃあお前は誰なんだよ」
「…………それは秘密。魔法少女は正体を明かさないから。なんのためにこんな変身してると思ってるの?」
「それもそうか。じゃあそれはいいとして、お前の目的は一体何なんだ」
「目的? そりゃその……何か隠し事してるみたいだったから、それを調べたくて」
「隠し事?」
「いいや違う! そうじゃなくて! あたしはあんな怪しい女絶対認めないから!」
情緒不安定だなこいつ。急に叫び出したり怒ったり、今度は半分涙目になってやがる。
「そうだ、あんな女に盗られるくらいなら……」
彼女はまた俺に近づいていて、今度は胸倉を掴んできた。そのまま俺は持ち上げられるように引き寄せられる。
「あたしと付き合いなさい! あたしがあんたを幸せにしてあげる!」
「………………は?」
傍から見たらカツアゲにした見えない光景だろう。俺自身も何か恫喝されるんだと思って身構えていた。
しかし実際に彼女の口から飛び出たのは、この上ないほどドストレートな愛の告白だった。
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